1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「こうしなきゃ、という捉われの正体と、それ自体からの離れ」


今回は、お題の
私がとらわれていた「しなきゃ」
で書かせていただきます。

 

この何々「しなきゃ」ですが、
みなさんはどういう風にお考えになるでしょうか?
つい力を入れてしまいがちな個人的な何かについて
記憶を巡らせて、
その事柄についての苦労と、だからこそそれから離れようと思われた
のではないかとも思います。

 

自分もそれは同様で、
けれどそれを突き詰めると、
~しなきゃ、

~であるべき、
のべき思考で、
さらにいうと、
完璧主義が根っこにあると思うのです。

 

思い返してみると、
~しなきゃ、と思うときって、
その事柄をちゃんとやらなきゃ、と思っていることが大体です。

 

ちゃんとやらなきゃ、(しなきゃ)も、
いい加減適当にやっていては怒られるので、
よりしっかり(自分にできるだけ完璧に近く)やらなきゃ、
と思っているのではないでしょうか。

 

どうも、幼い頃から減点方式の教育にさらされ続けているせいか、
人より評価され、自己の価値を確認したり、示したりするには
(減点方式のテストや評価について)
より完璧を目指しがちになります。
しっかりやらなきゃ、とか完璧に押さえないとテストで駄目だ、
とか。
若い頃にそういう意識が働きがちなので
大体の人間が通過するメンタルとして、
「完璧主義」があるように思います。

 

これについて考えると、
職人気質とか、より良いクオリティとかならまだいいのですが、
(それが職業的な実入りに結びつきますから、ほどほどならまあ)
しかし日常的なことから始まり、
人間関係で苦痛が生じるレベルにまでそれを持ち込んでいる(適用している)
ケースもちょくちょくあるのではないでしょうか。

 

完璧にやらなきゃならない、やるべき。
という考え方は確かに真面目な姿勢や、
より高い結果に結びつきそうなスタンス、考え方ではあります。
一概に全否定するものではない面もあります。
けれど、
それで生活や人間関係に苦痛が生じ、あまつさえ病気になったり何かが破綻するのでは
なんのための完璧なのかわからないのではないでしょうか。

 

かくいう自分も
一時期は(だいぶ前にはなりますが)
こうしなきゃ、とか完璧にやりたい、
という意識はありました。
しかし、個人個人には環境や持っている資質、才能、その時々の状況
などの違いがあり、
必ずしも思ったように完璧にできるわけではないのではないでしょうか。

 

自分もそれで苦労して病気にもなったクチなので、
そうしたスタンスからは意識して
距離を置いて久しいです。

 

といっても、そうした生真面目なところがあるので、
時々は意識していなくてもそうした『癖』が出てしまうこともあります。

 

そういう時の対処としては、
意識して完璧主義をやめる、というのもありますが、
そのやめるための根拠、
完璧主義に対しての懐疑的な解釈を持つのが良いと思います。

 

みなさんも~しなきゃ、
ということから離れる時、
これは本当は良くないのでは?
という疑いや否定感を抱かれたと思います。

 

それと同じで、自分なりの反論、根拠を持ち、
そうしたマインドセットを行うことで、
完璧主義や、~しなきゃ、こうあるべき、
という考え方からも離れられるのではないでしょうか。

 

専門家的なことは知りませんが、
実際にはありそうな気もします。

 

それでいうと、かなり昔から自分が完璧主義について思うのが、
そもそも、人間のやることに完璧なんてあるのか?
ということです。
20年以上(さらに倍ちかく、もしくは倍以上の方々も)
人間をやっていると、
人間がまあ~ミスをよくするということが
自己の経験的にも、世間や歴史を見てもよくわかると思います。

 

だから
論法的にいうなら、

 

『人間はよくミスを犯す

人間のすることにミスはつきもの

ミスがあっては完璧は成立しない

人間に完璧は存在しない

故に完璧主義にこだわる必要はない』

 

という事にになります。

 

これさえも今的にいうと
そんなのは誰でも思い至っていて珍しくもない考え方だ、
という意見もあると思います。

 

ただ、
そういうメンタル、マインドセットをどこかで行うかどうかで、
自分は完璧主義を大幅に緩和できて、
だいぶ楽になったのも確かです。

 

まあ、几帳面とか生真面目とか、マメとか作業が細かいとか、
根気があるとか根を詰めるとか、
そういう面で得る成果もあります。
完璧もすべてを否定したものではありません。

 

これらの美徳も肯定すべきものであり、
そしてこれらは
「完璧を求めたことで培われる精神」
でもありますよね。

 

何が言いたいかというと、
完璧もその完璧主義も、
ケースバイケース、使いどころであり、

 

また、本当に完璧に仕上げようと固執しないまでも、
それを目指すことでより高い結果や成果を出せる、
という点でやはり
『完璧』という概念、存在、考え方も
否定し切ったものではない、
と思っています。

 

こういうのもまた、~しなきゃ、こうあるべきの
既成概念から離れるということかもしれません。

 

要は、自分がより快適に
そしてより良い結果やそれで得られる幸せ
(それがお金か物か、それともあなたにとって大切な別の何かでも何でも)
を得るためにこうした「切り替え」が求められることも
人生ではあるということなので、
うまいように、都合のいいように解釈していきたいですね。
と思っています。

 

 

以上が自分にとっての
捉われていた完璧主義や、~するべき、~しなきゃ、
から考えていたことで、

 

今回はそう思っていたことを書いておきたくて
こうした記事を書かせていただきました。

 

この記事を読んだどこかの誰かにとっての、
何等かのプラスになれば幸いです。

 

今回はここらで。

 

ではでは~。