1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「仕事でやる?好きでやる?競ってやる?趣味のモチベーションについて思うこと。 『#わたしのアウトプット方法』」

 


今回は、キャンペーンタグの
#わたしのアウトプット方法 で
書かせていただきます。

 

お題にあるように、アウトプットと一口にいっても、
人それぞれそれを行う理由が違うことと思います。
それはモチベーションは何か?ということでもあります。

 

仕事で必要だからアウトプットをする。

 

そのために資格や自己成長のために行う。

 

趣味のジャンルでそれをやりたいからやる。

 

暇つぶしにSNSで、ストレス発散で……など、さまざまあることと思います。

 

このなかで、結果にこだわるのは、
仕事や趣味で点数などの『評価』がつくジャンルだと思います。

 

仕事は営業や経営の数字、経済面で現実的に必要なので、
それによって裕福になりたい、それをもっとと欲を出すと
どこまででも結果にこだわらないとなりません。

 

そういう意味ではビジネス、仕事と収入に関わるモチベーションは本来、
疲労やストレスや、仕事が嫌いということがない限り、
あるのが自然です。

 

そこにある『結果にこだわる競争』も、
より稼ぐためには必要なストレスとして大抵は許容されます。
競争なくして大金を稼ぎたいという人がいるなら、
そんな錬金術を開発してください、是非。法に触れない範囲で。

 

話を趣味の方に移します。

 

完全な『自分はこういうのがやりたい』、の個人の楽しみの趣味だと、
本来は他人との競わなくても、
個人的に、個性的に楽しめていればそれだけで自分大勝利なのだと思います、趣味とは本来。

 

けれど、ラジオや雑誌投稿がメインだった時代や、登竜門、
現在ではネットなどのイラストや小説など各種投稿サイト、
SNSYouTubeなどもそうですが、
いいねや点数によって評価され、その数字で明確に他人との優劣がつきます。

 

世間の誰がみても、基本は
いいね10の人よりも10000の人の方が人気で実力があると
簡単にジャッジします。

 

実際には、実力差はそれほどでもなく、
低い点数でも実力や味、個性があるのが趣味の世界です。
本当は、数値では測れないし、正解がないのがこういった世界です。

 

点数は分かりやすい基準です。
競争社会の基盤である学校、学歴戦争の渦中で、
採点、減点方式での学歴レースに義務で参加してきた国民の大多数は、
そういう『点数が高い=優れている』
の基準を絶対的に崇拝しています。(ある種、教育による洗脳、悪影響です)

 

そして、ネットの投稿サイトは評価形式を採ることで、
より人気の作品に注目が集まるようにして、
サイトのアクセス数を増やし、
広告収入などでサイト運営側の収益につなげるシステムとしています。

 

そのサイトにアカウントを持つ投稿者たちは、
承認欲求が叶えられ、商業媒体や同人などの活動の宣伝も果たせて、
素人の多くは趣味の同好の士とも繋がれます。
点数が高いと、色々それらにプラスになることもあり、
サイトの評価方式とウィンウィンの関係なので、
それに大多数が疑うことなく乗じています。

 

評価方式のデメリットと、その対策。

 

けれど、この点数加点、他者との優劣がつくシステムというのは、
上記のようにメリットもありますが、
趣味人としてはデメリットもあるのだと、
2010年代に自分もイラストや小説投稿サイトに
投稿させていただく経験をして、今は冷静に分かっているつもりです。

 

そのデメリットとは、
点数がつくことでモチベーションが左右される、ということです。

 

本来、イラストなり小説なり、趣味から拡がって、
楽しそう、個人的に価値がありそう、
そうした制作に愛を感じるから手をだしたにも関わらず、
点数ひとつで納得や満足が得られないから、と
やる気をいちいちさげたりあげたりする。

 

これは、本当はおかしなことです。
やりいたいからやっているのでしょう?趣味って本来。

 

点数や、仮に収入や地位に結びつくとしても、
それはやっていた行為に後からついてきた付随物に過ぎないでしょう。

 

(シビアに言うなら、最初からプロ志向なら、サイトにアップして
外堀を埋めていないで、最初から登竜門に挑むべきです。
そっちの方がよっぽど間口が広いです、今の日本のエンタメ社会は)

 

点数でモチベーションに影響がでる。
このことは、点数とその優劣、そしてそこから誰かよりも上の評価を得よう、
自分の優秀さを示そう、自己に確認しよう、という負けん気が絡んでいると思います。
これは学歴競争社会の悪影響を受けていて、そのことに気づかないまま、
趣味の土俵で採点方式を行うことを真に受けていることで起こっているといえます。

 

この点数に左右されて趣味のモチベーションがさがるなどの問題、
安易にサイトの点数に躍起になり、
それに一喜一憂していた結果どうなるのか。

 

大抵の人は、点数が低いと自己肯定感が削がれ、
承認欲求も満たされず、不満で苦しくなってサイトやその趣味自体から離れます。

 

もしうまく他のことでストレス発散をして不満をやり過ごし、
結果を得ようと少しずつ技術や人脈の外堀を埋めて
結果に結びつけようと思って、
それがうまくいったとしても、(うまく行く人、行かない人それぞれ見てきました)
彼らは認められなかった経験からくる劣等感で、
相互で評価するという営利目的以外では他人の作品を認めず、
少しでも目立って点数が低い、格下とおぼしき相手を見いだすと、
安易にネガティブな嘲りを吐いて優越感に浸り、
気を削いでその活動の足を引っ張る行為に手を出します。

 

当人たちは自分も昔からやられたいし、
ネガティブな感情をこうして出すのはみんなやっているし、
まかり通ると思っているのです。
本当は、そうした行為をする人が幼い問題ある人間なだけなのに……。

 

Pixivでも人気の絵師などをSNSでチェックすると、
人格的に円満な人、他人を安易にさげすまないちゃんとした大人のメンタルの人は、

かなりの少数派です。
大抵は劣等感を抱えて誰かを安易に批判して石を投げているのを見てきました。

 

(こちらにその石や毒矢が飛んでくることもしばしばです。
お陰でSNSで素晴らしい絵がまわってきても、
その絵師をフォローするかはかなり吟味します。
場合によって、様子見でフォローして、
ネガがよく出ると思ったらさよならすることも経験してきました)

 

これは本当は、趣味に限った話ではなく、
大体の場合に通じることなのですが、
他者との競争、比較を当たり前にして
他人より劣ってきた人は大抵の場合、
劣等感のごまかし、憂さ晴らしに他人を傷つけて優越感に浸る行為に手を染めます。
これはされたこともある人もいることでしょうし、
人生の過程で自ら行ってきた経験も大抵の人はあること思います。

 

自分もそういう部分を持った時代もありました。
でも今は、人は何かで必ず誰かに敗れ、
すべてにおいての勝利者などはほぼいない、
みんな同じ弱さがある。弱いのが人間の本質であり、
そんな人間同士で石を投げ合って傷つけても仕方ないと、
比較と劣等感からの定番の考え方、在り方にノーをもっています。

 

競争社会、学歴採点社会では大抵の人が疑うことなく
他者を攻撃する方をデフォルトとしていると思います。

だから他人を馬鹿にして見下し、笑いものにして優越感に浸る人間と、
それによって傷つけられる人間、
その復讐から他の自分より弱い立場の人を傷つけて憂さ晴らしをする、
という社会のネガティブな連鎖が生じ続けていると思います。

 

こう書くと、じゃあ競争社会、学歴主義、資本主義を覆さないとならないのか?
社会に問題があるのか?
と思うかもしれません。
それはもう、半世紀くらい前から同じやり取りが繰り返されてきたと思います。

 

けれど、自分は少し考え方が違います。
それは現代のメンタルハックや、心理セラピー、ストレス対策の心理学などの方面から
色々学んで自分なり集約した近しい考え方なのですが、
まとめると、

 

趣味でやっていることを
他者や、既に社会で成果を出しているレベルの高い人たちなどとの比較、
相対的、一般的な基準で自分の価値を量らない。
自分の行いは、自分が自分の行いに胸を張れるかで価値を決める。
ネットの評価数値を真に受けないというのも、ひとつのネットリテラシーではないか。

という考え方です。

 

趣味を楽しむ在り方。

 

それが仕事に結びつく可能性も含んだ営業の一環なら、
その点数は大切です。
出版社などからスカウトがある場合、
投稿サイトでもアップした作品の評価数値でスカウトする人の考え方、
見る目も違ってくるかもしれませんし。

 

しかし、それが趣味で、描きたいモノを描きたいだけ。
サイトにアップして見たもらうのは、
できが良かったら、見る目があるやに趣味が合う人に評価がもらえたら、
それはそれで嬉しい、
というのなら、

 

点数で一喜一憂してモチベーションを左右されるのは、
多くの人がはまりがちで、はまらない方が良いワナだ、
ということは知っておいた方がいいのだと思います。

 

あくまで、イラストなり、小説なり、写真なり、模型なり、音楽なり、
その趣味的な行いの目的に依ります。

 

承認欲求を満たすため、
という人は、どうぞ苦しい思いをしてがんばってください。
栄光も敗れていくのもあなた次第です。
一般的な栄光であり敗北ですが。それが価値があるのなら無理にとめません。

 

ただ、
自分が今回のこのテーマ記事で書きたかったのは、
好きで楽しい趣味を、そういう趣味として楽しむための考え方、心構えです。

 

点数やいいねをたくさん得ること、バズることが至上目的で、
承認欲求を満たしたい、
そのためにフォロワーをかき集めて、コミュニケーションを取り相互評価のコネをつくり、
何がなんでも高い点数やいいねを集めたい!
という人はそれはそれで良いと思います。
それも趣味と同じ自己満足の一形態です。
(場合によってはサイドビジネスや営業にもなりますし、一概に否定はしません)

 

ただ、SNSのいいねや投稿サイトの点数に左右されて、
せっかく楽しくてやっていた趣味から離れてしまう人たちは、
とてももったいないと思います。

 

ネットで10年来、沢山のイラスト描きさんなど見てきましたが、
評価が低いにもかかわらず光るものを持っている人も沢山いました。
お世辞や社交辞令ではなく。
自分は作品のジャッジ、審美眼はこだわりがあると自覚しています。

 

にも関わらず、作品の点数が~、
他人との差が~、
それを埋めるためにコミュニケーション、フォロワー集めに、
相互RTを大量に~、
となって、疲れ果ててしまった人が結構います。
(点数以外の他の理由でネット投稿をしなくなった、
というケースもあるかもですが)

 

それくらいに、趣味のネットでの点数、評価を気にするのは、
本来繊細な感性を持つ創作人にとって、『毒』なのです。

 

このことは、一度はっきり言いたかったです。

 

SNSや投稿サイトの評価を
誰もが疑うことなく当たり前にしていますが、
あれ、相当ストレスですし、害がありますよ。正味な話。

 

このことは趣味人、モノ作りの人間、創作人として
一度冷静に認識して、分かっておいて欲しいと思います。

 

その上で、趣味として楽しむための方法が、上記の考え方です。

 

加えて、趣味でやってきて、実力に伴う評価がSNSなどで得られるから
自分は平気でそれらを活用する、
という人はそれで良いと思います。

 

あくまで、
評価によって苦しまずに、
趣味を自分の息抜きや楽しみとして楽しみたい人に向けた
『一つの考え方』です。

 

それをどう考えるか、何を目的として、どう在るかを選ぶのは
あくまでこの記事を読み、自分のやりたいアウトプットを行う
あなた自身です。

 

少しでも多くの人が充実したアウトプット、
趣味を楽しめますように。

 

一時華々しく評価を得るのも価値なら、
長く続けて着実につけた実力で誰かの楽しみを生み出す。
それもまた趣味、アウトプットの在り方だと自分は思います。

 

今回は、そんな『#わたしのアウトプット方法』
で書かせていただきました。

 

ではでは~。