1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「FINAL FANTASYⅦ REMAKE ついに発売!!お祭り騒ぎのネットのお祝いイラストに参加」


今日、4月10日はSQUARE ENIX から
FINAL FANTASYⅦ REMAKE
が発売になる日でした。

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 © 1997, 2020 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

 


自分はゲーム離れをしたのでもうハードはPS3移行購入していないのですが、
FINAL FANTASYⅦに関してはリアルタイム当時にプレイして
ファンアートをたくさん描いていた思い出深い作品です。

 

ファンの延長でファイナルファンタジーVII アドベントチルドレンでは
クラウドウルフ仕様のPS3を購入したりもしました。

 

そんな自分ですので、
23年の時を経てのFFⅦのリメイクに
Twitterをはじめとするネットのお祭り騒ぎは
日付が変わって製品のダウンロードが開始されたあたりから動向を見守っていました。
そして、自分もファン活動の一環として、
この日のために準備したファンアート(簡単なモノですが)
をTwiiterにアップさせていただきました。

 

こちらがそのイラスト。

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リメイクですので今さらいいと思うのですが、
ラスボスの変形形態のセフィロスです。
当時はスクショ画像などなく、
兄弟のゲームプレイリアルタイムの横でスケッチしたりしていました。
なので細部は少し違い、アレンジして描いています。
当時ノートに線画だけを描いていた作品ですが、
昨年の大掃除で古のノートを発掘したので
それを再利用してデジタルで少し色を塗りました。

 

この彼、本作は強いボスとなっているのか?
PS1では結構さくっと倒せるボスだったのですよね。

 

けど、原点のⅦのストーリー上のイベント量を考えると、
このリメイク版のクオリティですべてを製作すると
ラストバトルの製品が発売されるのがいつになるのか?という懸念は
今もうすでにネットでされています。
そのへんは今後のスクエア本社の発表待ちですが。

 

自分やプレイするファンのみなさんとしては、
このラスボスをぶっ倒すまでみんなで行きましょう!
ということだと言えるといます。
現状がアレですからね。本当、健康に気をつけて追っていきましょう。

 

他にも発掘したノートからイラストがあって、
それを今回、少し描き直してみました。
それがこちらになります。

 

ティファ(新デザイン版)

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クラウド

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「出番まだかな~」という感じのアンニュイなユフィ

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しかし、この順番で並べると、
おっきいのにおっきくなって、
白い目でみている少女、
というコマの進みになってしまうという偶然(笑


ところで、FFⅦのファンアートは当時、
ノートで描いていたモノがまだあったので、
それをこの機会にいくつかアップさせていただきます。
これまで20年規模で誰にも見せたことがなったので、
この機会に見ていただけると幸いです。

このセフィロスは当時のX JAPANのカレンダー写真をモチーフに描いていました。


それから、Twiiterでリメイクの動画や画像を見させていただいていると、
序盤のクラウドがエアリスをお姫様だっこして運ぶシーンが
最新のCG技術で美麗に描かれている画像がありまして、
それを見て急にうずうずとイラストを描きたくなりました。

 

それで今日は朝と夕で3、4時間ほど割いてイラストを描いていました。

ラフカラーですが。

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そんなFINAL FANTASYⅦ REMAKE発売に乗じたへっぽこイラスト描きの
ファンアートでした。

 

でも過去の栄光を少しだけ言わせてもらうと、
FFⅦのイラストで当時97年末発売のVジャンプのFFコーナーページ、
『FFコロシアム』で
採用枚数ほんの数枚くらいのなかに
自分の描いた踊り子衣装のティファのイラストが採用、掲載されたことがありました。
FINAL FANTASYⅦとファンアートはそんなわけで自分にとっては
印象深い作品でしたので、
この祭りに乗じてしまった次第です。

 

体調のせいで本腰を入れてイラストに取り組めなかった人間の、
好きの横好きですので、
温かく見守っていただけると幸いです。

 

リメイク版がどういうモノか少し興味を持たれた方は
公式サイト⇒

www.jp.square-enix.com

 

ではFINAL FANTASYⅦ REMAKEの続きと
完結までが無事発売されることを祈って。

 

また次の記事で~。

 

 

 

 

「お題「カメラ」スマホで屋外で写真を撮ると感じる確認のし難さの対処。お題スロットより」

お題「カメラ」

 

お題スロットから、お題「カメラ」で書かせていただきます。

 

現在の世界的な問題はありますが、
季節は春なのでちょっと町中の通りすがりに春の桜が咲いている季節です。
自粛ムードですがこんな時にも
通りすがりに個人的な楽しみとして
こういうスナップを撮るのは楽しみとして良いと思います。

 

そんな屋外での写真撮影、
とくに昨今はしっかりしたカメラではなくても
スマホのカメラでも高性能でいい画が撮れますね。
(この辺の一眼カメラ派との論争はいったんおいておいて)

 

けれどスマホの写真を撮ると……
いえ、これはガラケー時代から不満に感じていたことなのですが、
太陽光のもとだと液晶の撮った画像がよく見えなくて
せっかく撮りたいと思った風景などもしっかり撮れたのか不安になります。

 

そんなときの光が強くて画像が見えにく、の対処法を調べたことがありました。

 

以前まではまあ、
手をかざして庇にするくらいでごまかしていたり、
あとで日陰で確認したりしていたのですが、
この方法のほうが結構見えやすいです。

 

それは、
スマホの設定から(機種にもよりますがだいたい)
⇒ディスプレイ⇒明るさの設定(明るさのレベル)

 

で、通常30%~くらいになっているのを80%以上にあげます。

 

これにより、自然光のもとでも写真に撮った画像が結構見やすくなります。
簡単ですね!

 

こちらは参考にしたサイト

 

日差しが強くてスマホの画面が見えない!そんなときは......

enjoy.sso.biglobe.ne.jp


これでも屋内、室内で見るほど正確に色合いが確認できるわけではないので、
やはり屋外撮影はその後の確認が大切なのは変わらないかもしれません。

 

あと、屋外で撮影するときにこの方法で光の設定をあげて、
屋内や暗い場所でスマホを扱う場合は、
光量が強いことを忘れてうっかり強い光を見てダメージを受けないように
気をつけてましょう。

 

面倒でも、屋外で写真を撮る際にこの方法を使った場合は、
その後にもとに戻すことをお忘れなく。

 

そんなスマホの写真ですが、
近所でもようやく桜がしっかり咲いたので
それをパシャリとしました。

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現状、外出も危ぶまれる地域もあるので
あまりこういう記事もどうかと思ったのですが、
また問題なく平常を取り戻したときにちょっと役立つマメ知識として
この季節に書かせていただきました。

 

誰かが言っていましたが、
こういう状態がさがる時期というのは学びの時期であり、
だから不安ばかりに駆られていないで
その時できることを少しでもすることが大切で、
その一つとして学びがあるのだと思います。
それに、不安で頭がいっぱいなのは何もしていないからだとも言えますので、
こんなちょっとした学びでも
一時の不安を和らげる足しになれば幸いです。

 

ではでは~。

 

 

「読書感想 『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編』」

 

 全国大会での金賞を目指し更に練習に励む北宇治吹部。
けれど関西大会でのオーディション結果や全国へ向けての練習の過熱で
部内は険悪さを帯びる。
部長としてそれを治め、
吹部に入って良かったと思ってもらいたい久美子部長の苦悩は増す一方。

 

自分の演奏、滝への不信、真由や求といった部員への対処、
大会の結果、そして進学。
多くの問題を抱えるだけに、
これらに対してのうまい回答を導けるようになった時には
久美子も人として大きく成長しているだろうことが読んでいて楽しみに感じた。

 

 進学の悩みに関しては葉月がいい仕事をしていた。
他にも葉月の言葉が久美子を救う場面はあったし、
そもそも彼女が秀一を好きにならなければ
久美子は自分の想いを自覚しなかったかもしれないことを思うと、
葉月は地味に久美子を何度も良い方向に救っている。
さすが低音パートは縁の下の力持ち。

 

 久美子がぎりぎりまで悩んであすか先輩に相談したのは良かった。
すべて自分で完璧に出来なくてもいい。
自分の出来る限りをやって人に頼るのもまた成長。
滝もまた完璧な人間ではなく、
自分の出来うるベストで生徒がより良い結果を出せるように努めている。
それを痛感できた久美子はよい大人になるだろう。

 

 そのうえでの全国大会での結果。
おめでとう。最高の気分のフィナーレとなった。
梓の立華編も読んでみようと思う。

 

ではまた次の本の感想で。

 

 

 

「公生の恋心の自覚……と思った矢先に!!?『四月は君の嘘』第20話感想・改稿」

 

アニメ『四月は君の嘘』第20話の感想の改稿文になります。
おつきあいいただけると幸いです。

 

今回はAパートでは椿と公生は、Bパートではかをりと公生の2つで
ヒロインとの関係について描かれている恋愛回ともいえるかもしれません。

 

冒頭、幼少期の椿と公生から始まり、
女の子に対して失礼千万な揶揄をされるほど健康的な椿が
奇妙な、特徴的なくしゃみをしている様子が描かれます。

 

何故わざわざ風邪のエピソードなのか?
これはあとあと何かに繋がってくる気配もやや感じます。

 

公生のために苦手な勉強をがんばって受験の判定をあげて、
それを公生に自慢しようとして……
という椿の公生を思う一喜一憂。

 

でもその陰では公生も、
かをりと再共演を約束するくらいに、
視線は彼女の顔にとまるくらいに気になる娘でありながら、
かをりと渡のあいだで椿と同じようにブルーになったりです。

 

そんな公生の心のなかでは、
かをりと自分の定義づけがこれまでと同様にされます。
盗撮魔で代役で伴奏者、友達を好きな女の子……

 

この彼の内心は、
ここまで来た公生にとっては、
まるっきり、自分の気持ちに目を逸らす言い訳のようです。
自己主張ができるようになっても、
恋に踏み出すのはまた別の度胸や覚悟がいるようで……。

 

ここで挟まれる過去の公生と椿の会話で、
自分の気持ちを隠してしまう悪い癖が公生にはあることと、
そんな公生の本心を椿はいつもずっと気づいていたということが描かれて、
これがこの後の駄菓子屋の軒先での雨宿りに繋がります。

 

渡がいることでかをりのお見舞いを避けた公生の本心を、
椿は口にしてしまいます。

 

体重が意外と軽いだの、
ハンカチが可愛いだので、
椿のことを女の子だといいながら、
ふられたときには「一緒にいるよ」といった公生が、
その本心では宮園かをりという女の子にことを椿のことよりも考えていそうで、
なのにその公生は、
なんだかんだと言い訳する意気地のなさや、自分へのあいまいな態度、
それなのに椿の方は公生と一緒にいるために必死になっていること……
そういう苛立ちがここでちょっとした発火を起こして公生への言及となって表れたのかもしれません。
 

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

 ここで公生もようやく、自分のかをりへの気持ちを自覚しました。

 

その駄目押しをしたのが、
かをりと出会う直前に出逢った人によって世界が色づき始めると、
人生が変わると言った他ならぬ椿というのが、
しかも椿はずっと公生のことを同じように思っていたのに、
なんとも皮肉と言うか……

 

 ……まあ、半分は椿が素直じゃないのも原因ともいえますが。

 

公生の椿に言葉で言われて、てそうか、と静かに納得した短い肯定の言葉。
それを耳にした椿の苦痛そうな表情がちょっとかわいそうです。
正ヒロインをかをりとした場合、
主人公の公生とヒロインのかをりの恋を進展させる当て馬のポジションは
椿といえるのでしょうけれど、
このシーンとここに至る椿を見てきた視聴者や読者の方々には
椿への応援の気持ちも高まるようなシーンとも言えそうです。

 

その後に自分の恋心を椿なりに表現して、
気恥ずかしさから蹴りを入れてエスケープする様も
不器用な青春をしていて可愛さが増しますね。

 

本作では椿は、
公生を『弟みたいな存在』と自分の気持ちに『嘘』をついて、
踏み出せないで留まっていたという面があり、
ここで椿は自ら止まった時間を動かして走り出したようです。
白い息を吐いて走っていく椿が、青春やなあ、という感じです。

 

紘子さんが岐路に立っていると言いますが、
このシーンは原作では

 

「ロングの娘?ショートの娘?どっちにするの?」

 

と公生はかをりと椿のどちらを好きだと自らに定めるのか、
そこも紘子さんはそろそろ決めなくては
進学先によっては放置できない問題になる、と匂わせています。

 

ただこのカットされたセリフ、
メタ的な解釈によっては新川先生がかをりと椿のどちらを公生と結びつけるか、
それをそろそろ確定しなくてはならない時期に差し掛かっていたことの
心境の表れとも受け取れるかもしれません。

 

場合よって、
かをりの病状が思わしくない方向に進んで椿と結ばれたり、
かをりが回復して公生と結ばれたり、
そういう岐路でもあったと言えるかもしれません。

 

けれど思うに、ガラコン後の紘子さんと落合先生の会話から、
本作は母を失って前に進めるようになった経緯も含めて、
失ってでも進む
というテーマ性を持っているように感じています。
だとしたら、こちらも原作の過去描写で
紘子さんが旦那との喧嘩を戦争と喝破したコマで

 

『道を極める』

 

とあったように、『そういう路線』で極めるという線もあるのかもしれません。

 

その後に、公生はかをりからお見舞いに来なくていいと言われるも、
かをりのことを思うと心が躍る自分に
自らの気持ちを『恋だと』ようやく本当の本当に自ら肯定します。

 

このシーンの公生のポエム調のモノローグは
ショパンでもある公生の恋の詩情なのでしょうかね。

 

さらにここで
「君に逢いたいんだ」
と告げた時の映像では後ろ姿だったかをりの気持ちや表情を想像してみると、
かなり「わー!」という感じで楽しいです。

 

少しだけ書いてしまうと、
最終回を見たあとでこのシーンを考えると
かをりの真意からすれば、内なるかをりがガッツポーズモノだったことでしょう。
 

もう一つ書くと、
このシーンとAパートの椿との駄菓子屋のシーンでは公生のそばに黒猫がいます。
これまで公生にとって黒猫は
自己主張の迷いの象徴として幻影の姿をとっていました。
それがここで公生の想いが形をとった時に黒猫が実体化している……。

 

そしてこの後にその黒猫はああいうことになるわけです。

 

かをりへの恋心を自覚して、
渡にも宣戦布告のように自分のかをりへの想いを言って、
さあこれからだというときに、
そのかをりを襲う急変……!

 

その後に猫は……。
公生の手が赤く染まる。

 

春にかをりに手を引かれ、
怖れに向き合う旅に掌を合わせて、
かをりに導かれてピアノを弾いた公生の手が。

 

かをりとの思い出が残るその手が。

 

ああ、これは見てるこっちも辛いな……。

 

公生の嗚咽が胸に迫ってきて、
く、苦しいです……(泣

 

でもここで敢えて言わせてもらうと、公生。
冬場の屋外の水道水で手を洗ったりしたら、
なおさら神経が刺激されて辛いことが一層沁みるから!
誰か助けてあげて!

 

これ、次の回ごろから控えるコンクールの本選は大丈夫なのでしょうか?
と心配になる。
いや、うっかり公生だけにフォーカスしそうになるけど、
それ以前にかをりの容態は本当大丈夫なのか!!?
と色々戦々恐々な今回のラストとなりました。
 

せめて誰かの掌や、何かの存在が
公生の凍えた手と心を温めてくれることを願います。

 

ときに、
単行本で8巻のかをりと、10巻のこの公生の嗚咽を比較してみると……
胸に来すぎるのでちゅういです
ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!
 

 《宣伝》

今回のエピソードの
お正月から駄菓子屋での椿の告白から始まる四月は君の嘘終盤の
椿視点の二次創作小説の自著をPixivで公開しております。

四月は君の嘘 『春待ちバラード』

www.pixiv.net

興味あればご一読くださると嬉しいです。


ではまた君嘘の感想でお逢いしましょう~。
あと2話!!

 

 

 

 

「ネットでのイラストなどの投稿の弊害と、そこから学んだことの経験談。今週のお題「オンライン」」


今週のお題「オンライン」で書かせていただきます。

 

自分はオンラインというかネット環境は仕事のために
PCでは2010年台から始めた素人だったのですが、

 

最初の2年間は趣味の一環として
これまで紙とペンで線画や漫画絵のみだった趣味のイラストを
デジタルペイントの練習をしたりもしていました。

 

その際、ペイントソフトを探す際も先人たちの書いたブログなどを
たいへん有難く活用させていただき、
その際に購入した
ペイントツールSAIはいまだに使って時々イラストを描いています。
(SAIについての賛否はこの際おいておいて)

 

また、デジ絵の塗り方の基本や様々なテクニックを学んだのも
ネットが中心でした。
書籍でも購入して、付録ディスクのリアルタイムのペイント動画を見たりもしたのですが、
(現在ではTwitterなどでもgif動画で工程をさくっと見れたりするのですが)
そういうのをデジ絵専門誌の付録で見たりして、
分からないところはネットで色々な人の意見を参考に補填しながら
少しずつ自分で描いていました。

 

その甲斐あって、それまで20年来カラーイラストを避けてきた自分が
(線画は好きだったのでたくさん描いていたのですが、
その渾身の線画を色塗りのミスで台無しにするのが嫌だったのです。
ならコピーでもしてやれば良かったのですが、
色々情弱だった自分の時代でした)
2年ほどカラーイラストを描いて塗りの技術も少しずつ向上しました。
この辺はデジタルとオンラインの恩恵です。感謝しております。

 

その間、せっかく描いたイラストなので、
噂にきくネットのイラスト投稿サイトという存在に
アップロードをしてみようと思いました。

 

それが2012年のことなのですが、
そこから自分のネットにあげることの中毒と依存、
そして少し距離をおく考え方の変化、成長がありました。

 

アップしてしばらくは
カラーイラスト初心者の自分のレベルもあるのですが、
ぽっと出の名もない新入りの作品なんて誰もまあ見向きもしないだろうと思っていました。
サイトを少し見て、ランキングや
気になる漫画やアニメの既存のアップ作品を見ると、
うまい人とのレベル差は歴然ですし、
そういう人は大抵同人で10年以上のレベルの選手がごろごろいますし、
人によっては本当に漫画雑誌で連載している先生や、
プロで食べているイラストレーターさんもいるのです。
これは評価などされなくて当然……半笑

 

と思って始めたら、
何の運命のいたずらか、割とすぐになにやら赤い印が通知欄に。
最初のびくりとしたときの感じは思い出せますが、
それで首尾よく少しは評価されて味を占めたところがあったのかもしれません。

 

そこからイラストは描きたいネタは沢山あったのと、
デジタルのカラーイラストの練習が楽しかったので、
少し本職の暇な時期だったのも助けて週2~3くらいで描いてアップをして
反応を見ていたのですが、
この反応を待つ時間がまあ、じりじりする。
しきりに作品管理をクリックして閲覧数と評価点数をチェックする自分がいました。
そんなにすぐにバンバン反応がるわけではないのに、実力的に。
……この辺はイラスト投稿サイトあるあるだそうです。

 

けれどこれはあとで知ったのですが、
こういうネットの点数や反応というのは、
SNSやメール、スマホの通知と同じで
アクションがあると脳が報酬を得られたと認識して脳内に快感物質が放出されて、
その反応がまた欲しくて癖になるところがあるのだそうです。

 

スマホ依存、ネット依存という言葉がありますが、
まさしく自分はしばらく
イラスト投稿の評価反応に中毒的になっていたのです。

 

これがオンラインを始めて2年以内に行ったことで、
そこからどうしたかというと、
反応が気になる気持ちを抱えながら、
しかしイラストは普通に描く意欲があったので取り組み、
そうして塗りの練習と仕上げた作品の投稿を繰り返す日々がしばらく続き、
やがてイラストは少しずつ塗りの技術も上達して、
最初は得点もブックマークも1~5とか、10~20台だったのが、
2014年にはブクマも100件に至るイラストが出てきました。

 

その節は、拙作を見て評価してくださった皆様、
たいへんありがとうございました<(_ _)>

 

それで満足してネットの評価反応をみるのが小康状態になったのかというと、
自分にあった変化は少し違って、
体力的にイラストを描くのがきつくなってきたのです。

 

これは本職の方が忙しくなってきて、
余暇にイラストを描き続ける日々のなかで
ある時期の線画はもう、よれよれで力がなく、
最初にデジ絵を始めてしばらくの頃の方が線画レベルが高かったくらいになってしまいました。

 

それで、イラストは少し離れることにしたのです。
反応があるということは、それは自分の作品が価値ありと認められたということ。

 

(……いや、投稿サイトはそう単純ではなく、
別の意図で評価した、ブクマしただけという人も割といるのは後々学びましたが。

 

これは余談ですが、ああいう投稿サイトを純粋に絵が好きで
見るのも描くのも好きで純粋に評価しているのは結構少数派だと思われます。
多くの人は評価基準が好意や利益で偏っているのが現実です)

 

それでも、評価はそれはそれでモノ作りの人間にはたいへん嬉しいことです。
でも、反応欲しさのために無理をして、
それで身体に負担がかかって本来できることが出来ないというのは、
何をやってるんだか?と自分に呆れたわけです。
それで反応を気にするよりもイラストは本来の自分が楽しいから描く、
というために描くという気持ちになれました。

 

まあ、それでも今でもたまにイラストを描いてアップすると、
その後少しの間はややサイトをチェックする頻度が増すのですが……。

 

この辺についての自分なりのアンサーは、
自尊心と承認欲求と、そして誰かを自分の作品で楽しませることが出来たという価値、
そのない交ぜだと理解しています。

 

ときどきいる聖人のような『人を楽しませたいだけ』
という人はややうさん臭く感じます。
モノ作りの人間は作品で自己の価値と幸せを感じる人間なので、
作品≒自分
であり、
自分のことが勘定にまったく入らないモノ作りの人間というのは、
欺瞞か自分の実際の醜い部分から目を逸らしていると理解します。
それに畢竟、他人を楽しませたり喜ばせたいなら、
モノ作りで作品でなくても成立するのですから。

 

作品で自己を訴えるとき、自分のことを勘定しない誰かのためだけ、
というのは欺瞞も甚だしいかと思います。

 

『綺麗ごとだけではない己の醜さも承知で自分という人間すべてで
幸せを作品で求めるのがモノ作りの人間』

 

個人的な考え方ですがおそらくこれは真理に近いと思っています。

 

話が反れました。
それでも距離をとるに至る過程で
ネット依存、承認欲求、中毒性などについて学び、
これは投稿サイトに限らず反応がくるネット、PCとは、
ある程度の距離をおいて適度に付き合っていくべきことだ、
というある種のネットリテラシーを学べる機会にもなりました。

 

それに、これは個人的なイラスト描きさんたちへの感慨なのですが、
特にSNSもするようになって感じたのが、
新作のイラストを描いている途中のモノまでアップして反応をもらっていたり、
閲覧数を稼いだりそこから評価を高めるために、
お互い様、相互でRTしあっている人が結構いたり、
そういう人は酷いとき、1日500件以上RTしているのを見て、
そこまでやって評価されたいのか……?
とその承認欲求としつこさに不快になりげんなりしました。
(こんな人の自尊心のために評価の片棒担ぐとか御免ですわ~、と)

 

自分はこういう人を見ると、
評価されたいこと自体は別にいいのですが、
それならそんな裏の人脈構築のようなことに地道をあげていないで、
イラストならイラスト、文章なら文章で
少しでも本を読ん少しでも書く、
という自分の実力を少しでも向上させることに時間を割きなさいな、
と思うのです。
むろん、宣伝が悪いわけではないのですが、
本来的なこというと、プロでお金がかかっているわけでもない
趣味なんですがね?と思うのです。
そのへんどういうつもりかと問うと、
その人の自尊心のためだということになり、
はあ……まあ好きな人たち同士でやってください、
という考えになったわけです。

 

そういう時代は自分にもありましたが、
今はもうあまり乗っかる気はありません。

 

そんなことも経て、自分はオンラインで
評価は無理してこちらから得にいくモノではないという、
人からすれば淡泊ともいえるネットの態度になりました。
(仕事に関しては評価が収入にかかわってくるので
正しく評価はもらいに行きますし、
当然評価に値する実力をつける取り組みもします)

 

これはイラスト投稿サイトを始めて1年と少しくらいは自分も
こちらの作品を見てそこから評価してもらう意図で
少しでも多くの人にこちらからアクセスしたりもしました。
でもそれも実際のその作品への描く、書くという行動が高まるにつれて、
評価されるための工作的な行動よりも、
作品をただ作ることが楽しいという、
モノ作り人にとって当たり前のスタンスに変わってきたのです。

 

それにそうしていた方が
相互評価という下心で評価した体の人と余計なコミュニケーションをとって
時間とエネルギーを削がれずに済みます。

 

これもイラスト投稿サイトで学んだことですが、
相互評価の工作をした人はその実力がてんで大したことがない人でも
誰がどう見てもその十倍はうまい人よりも評価点数が高い場合が結構あります。
悲しいですが、
これはコミュニケーション系投稿サイトの一面の真実です。

 

自分は7年くらいで純粋にうまいと思える絵に対して
(初期はコミュニケーションして相互ブクマしていたこともありましたが)
7000オーバーの相手へのブクマ、その3倍以上は評価し、
5倍以上閲覧してきた身なので、
色んな人の作品を見てきましたから、
この実力と評価のコミュニケーションと人脈、人気によるギャップを
正しく見てきたと思っています。

 

そんなネットと多くの人々の心理傾向をオンラインで見ることになったのを経て、
イラスト投稿サイトやSNSでの人気取り、承認欲求オバケになるのは
自分は遠慮しますわー、となりました。

 

もう少しいうなら承認欲求自体は別にいいんですよ。
向上心になりますし、人に認められることでやる気や幸福になれる面もありますから。
ただ、それで余計な行動に躍起になり、
時間とエネルギーを浪費して本来やるべきことの時間をおろそかにしてしまうようなら、
それは戒めるべき依存であり中毒なので、
控えた方がその人の本当の実りのためになりますよ、
と思うようになったのです。

 

自分は2016年くらいからイラストの投稿件数は減りましたが、
それでも今でもイラストはたまに描いてアップしています。
そんな自分が数年のイラストなどのアップをオンラインで行い、
多くの人のそんな弊害とそれとうまく距離をとる考え方を学ぶことになりました。

 

ただ、オンライン環境自体は便利であり、
うまくつきあえば様々な情報などの恩恵があるので、
全否定というわけではありません。

 

よいモノも過剰になると毒になる。
節度、ちょうど良いを知ることが大切。

 

今はそう思います。

 

……といった様々なことを自分はオンラインで実感したと、
そんな言葉でこの記事はまとめたいと思います。

 

多少辛辣なことも書きましたが、
みなさまもその辺を気をつけて今後とも良いオンライン生活を。
ではでは~。

 

 

 

「コードギアス『亡国のアキト』第2章「引き裂かれし翼竜」鑑賞・感想」


コードギアスシリーズの外伝、
『亡国のアキト』の第2章を鑑賞した感想になります。
おつきあいいただけると幸いです。

 

第1章でギアスの力で上官を亡き者にして
ミカエル騎士団のトップについたシン・ヒュウガ・シャイングが
ブリタニアヨーロッパ方面軍内で彼らの進軍の脅威と目される
ハンニバルの亡霊』を討つことを告げる。

 

その『ハンニバルの亡霊』であるwZERO部隊を率いるレイラは
城に戻り次の作戦までの待機状態を過ごしている。
その城内にはアキトの他、前回テロリストとしての犯行を阻止されて
wZERO部隊に入隊することを条件に安全の保障をされた
リョウ、ユキヤ、アヤノの三人も
専用の部屋で監視状態ではあるがともに生活していた。

 

そんな中、入ってきた次の作戦は
E.U.の政治上の都合で立てられたwZERO部隊『ワイヴァン隊』を
使い捨てにするもので、
レイラはアキトやリョウたちを生還させるための方策を考える。
立場や正論ではこの作戦を遂行することしかできず、
いかにしてワイヴァン隊を生還させるかが今回の目玉といえそう。

 

一方、元テロリストのリョウたちは監視されほぼ軟禁状態の
現状からの脱出と反逆の行動に出るが、
向かったKMFナイトメアフレーム)の格納庫でみた大気圏離脱式超長距離輸送機に
積まれたKMFから次の作戦を知らされ、
レイラが隊員の安全のために無人兵器ドローンを操作して援護するために
自らも出撃することを告げられる。

 

この間のやり取りで、
レイラはアヤノとも、
アキトはユキヤと会話をして、彼らの素性と感情の交流が行われる。
少しずつ互いを知っていくワイヴァン隊。
レイラも自分の正しさのために安全圏に留まれならないで無茶な選択をするあたりに
彼女の人道主義の芯の強さがうかがえますが、
それはまだアキトやリョウたちにはそれほど大きな意味はないようです。

 

そんな彼女だからこそ、
作戦待ちの状態でもいずれ死地に向かうことが決まっている隊員と、
そして死の影を帯びるアキトのことが妙に気になるようです。

 

作戦は大気圏外から地球を一周して目的交戦地点の反対方面からの奇襲。
しかし着陸後にリョウたちはアキトとレイラに対して攻撃を開始するあたり、
まだリョウたちイレブンの反抗の意思と、
ワイヴァン隊の司令官レイラと同僚アキトへの不信感が感じられます。
彼らが一丸となるときはくるのか……。
ブリタニアのような超大国と戦って生き延びるのに
個人的な小集団での抵抗は長生きの芽はかなりシビアに映りますが……。

 

それとも、この作品の人物の心中には、
ある種の現状の力と理不尽による世界への絶望があって、
自暴自棄なところでもあるのか……?
こんな腐れた世界はぶっ壊すなり、大きく反抗して乱してやるのが
せめてもの意趣返しであり生きている存在の証明である、とか……。

 

どんな人間にも虐げられていても意地や尊厳がありますから、
それを守るために命を懸けるということもあるのかもしれません。

 

コードギアスのような世界全体が戦争状態のなかに生きる人々には、
そんな命をかけた反抗、意地を見せつける生き方もあるのかもしれない。
こんな世の中でどうせ早死にするなら好きにやって世界に目にもの見せてやる、
……そういう人間の心理もまったく分からなくもないですし。

 

作戦はブリタニア側の長距離砲により退く方向へ。
そこでアキトたちはシンとアシュレイのミカエル隊と交戦するが、
そこでアキトにまたしても死を感じさせるギアスの呪いが表れ、
これがリョウたちと共有され、圧倒的な戦闘力でアシュレイたちを退ける。
この辺は、アキトにかけられたギアスの意味の解釈として、
前話のシンの上官のように死を命じられた
幼い頃のアキトが描かれていたことが気になります。

 

これはギアスによって死ぬために無理をしていることが
かえって生存に繋がっているのか?
攻撃が翻って最大の防御となるように、
命を賭した特攻が却って敵を撃退して生存に繋がっている……とか。

 

それとこの意識の共有に関してはコードギアス本編とは別の
本作で新たに出てきた要素のようで、
wZERO部隊の研究者の女性のかつての恋人が
その研究をしていたようです。
これが本作にどう絡むのか?
まだ2章であまりギアス能力についても分かりやすい存在感や意味は描かれておらず、
ここまではレイラとアキトたちの作戦行動と
それと敵対するブリタニアのヨーロッパ方面軍の様子が中心ですね。

 

その両陣営をつなぐかのようにこの戦闘で
アキトはシンと遭遇。
彼らは肉親関係のようです。
これは何故二人がこれほどまで現状の立場が違うものになったのか、
その辺にシンとギアスを使ったのし上がりの目的、
アキトたち肉親を殺した理由がありそうです。
シンもこの世界に対してなんらかの不満や憤り、
納得いかない何かがあってギアスという力に訴えているのでしょうか……。

 

シンとの遭遇後、ワイヴァン隊はなんとか戦線を離脱し、
今回は全員が生還することが出来ました。
いや、これいつ誰が脱落するか分からない作品世界でもありますから、
そのへん油断せず見ていきたいですね。

 

アキトが敵側の将と兄弟関係であることをレイラは心配しますが、
しかしアキトはまたしても不穏なことを告げる。
レイラにしたら同隊として生き延びて欲しい人の一人なのに、
普段から突き放すような言動をとり、
こんな遠くに行ってしまいそうなことを口にする彼に内心どんな気持ちなのか……。
勝手にすれば、と言ってしまえる程度の相手ならいいのかもしれませんが、
それがもし大切な存在になってしまったときに、
彼女にできることはあるのか?
現状は、アキトの所属するワイヴァン隊の生還のために
知恵を絞って努力するくらいかもしれませんが。

 

そんな中、
E.U.のユーロブリタニア軍に合流するスザクと軍師ジュリアス・キングスレイ。
いや、どう見てもルル(ry……
しかし、その知略がE.U.攻略に奮われるとしたら、
レイラとアキトにとっては更に生存を危ぶむ要素が増えたと言えます。

 

外伝であるこの『亡国アキト』に彼が出てきたのは、
アキトたちの生存を更に危機的にし、理不尽な世界の暴力性を描くためかもしれません。

 

前回の感想ではあまり触れなかったのですが
ED曲中はアニメのイメージボードのようなイラストが表示され、
各キャラの過去や描かれなかったシーンが描かれています。
この辺はコードギアスの定番ですね。

 

アシュレイは動物に育てられた野生児で、シンに拾われたのかな。
レイラがちょっとおっちょこちょいっぽいところを助けるアキトや、
アキトがレイラの猫を見かけて微笑んでいる貴重なシーンがありますね。
こういう本編の尺で描き切れない要素を見せていくのは、
漫画の単行本のカバー下のようでちょっと得した気分かもしれませんね。

 

そんな「コードギアス『亡国のアキト』」第2章の鑑賞、感想でした。
次回は本格的に軍師が介入して、
アキトとシンの衝突も激化するのか?
というか、ワイヴァン隊の結束とかあるのでしょうか?
当然、彼らの生存も心配ですが。

 

その辺も期待しながら、ではまた次の感想で~。

 

 

 

「集団戦、戦術、多数の個性的で的確な人物造形、そして遅れて知ることの妙味。お題スロットから「好きな作家」」

お題「好きな作家」

 

お題スロットから、お題「好きな作家」で書かせていただきます。

 

自分の好きな作家といって、
分量的に活字の小説よりも
漫画を読んでくることが多かった自分なので、
このお題の初めての作家さんは漫画家さんでいかせていただきます。

 

その自分の好きな作家は、

 

葦原大介先生

 

です。

 

葦原大介先生とは?

この漫画家さんは、
集英社週刊少年ジャンプで2008年に手塚賞を受賞して読み切り作デビューされた方で、
他の読み切りを経て2009年に
賢い犬リリエンタール
という漫画作品でジャンプ誌上で連載をされています。

 

本来、受賞作がミステリーテイストであり、
このあとの作品もどこか多くのジャンプで人気の漫画とは少し違う、
という作風があった先生でしたが、
『リリエンタール』もキュートな動物のような生命体を登場させながら、
少し変わっていたといえます。
(具体的にどう変わっていたかは、
ご興味があれば手に取って確かめてみてください)

 

そのせいかは分かりませんが、
『リリエンタール』自体は単行本4巻で連載終了でした。

 

しかし、この葦原先生が本領を発揮しだしたのは、
このあとの作品でした。

 

2013年に再び週刊少年ジャンプ誌上で連載が開始された
ワールドトリガー
これがすごく面白い!

 

ワールドトリガー

 

こちらは、あらすじを書くと、
この世界と隣接する異世界『近界』(ネイバーフッド)からの侵略者『ネイバー』と
日本の地方都市、三門市を拠点とする防衛組織『ボーダー』の戦いを描いています。

 

ワールドトリガー(以下『ワートリ』)』はSFモノであり、
敵対関係にあるこれらの集団は
人間に存在する未知のみえない内臓、トリオン器官
から供給される『トリオン』というエネルギーを使って
疑似的な肉体を構成したり、武器を作って戦闘します。

 

トリオンはかなりの汎用と応用の利くエネルギーで、
近界民は自国以外のこちらの世界(玄界(ミデン))の人間のそれを利用しようと
拉致のためにトリオンで作ったトリオン兵や
玄界と同じ人型のネイバーたちがゲートを通って現れます。
その被害を抑えるためにボーダーはネイバーを迎撃して地球側を防衛しています。

 

この作品がどう面白いのか?

 

本来、作家さんを語るべき記事ですが、
それは一番熱を上げている作品を語ることで代えたいと思います。

 

色々面白い点はあるのですが、特徴がそのまま面白いとも言えるので、
本作の特徴を挙げていくと、

 

まずSFなので設定がしっかりしています。
しかしその情報の開示が進行に沿ってとても適度で、上手で、ストレスなく
そのシーンの目的とそのための戦闘に集中できます。

 

組織と他の近界の国々との戦いを描くのでキャラの数が豊富です。

 

主人公自体も四人主人公というスタイルをとっていて、
コミックス1巻の表紙から近界からこちらの世界に渡ってきたネイバーの少年、
空閑遊真。彼は歴戦の手練れで嘘を見抜く力がありますが、身体的に秘密があります。
2巻のメガネの少年、三雲修。
この少年は才能が全然ない持たざる者、能力的に弱い人間です。
しかし一筋縄ではいかない正義感と読んでいくと分かる驚くべきメンタルがあります。
3巻のショートの女の子、雨取千佳。
彼女は修とは逆に天賦の才のある人間です。しかし内向的な子でネイバーがらみの問題を抱えています。
4巻のお兄さん風の迅悠一。
この人はサイドエフェクトと呼ばれる異能力の使い手で、
他の三人とボーダーの牽引的な役割をもつ存在ですが、
過去に色々とありそうなキャラです。

 

それにボーダーには兵士の部隊として
400人の初級のC級、
C級からあがりチームを組んだ100人前後のB級チーム、
(ひとつの隊は実動員3~4名とオペレーター一人の編成)
その上位、精鋭のA級部隊と、
特例のS級隊員から構成され、
B級A級はすべての隊の構成メンバー一人一人キャラが設定されているのですが、
このキャラ造形もとてもうまいのです。
分かりやすい属性やテンプレのキャラメイクではないことが
彼らのやりとりと日常生活が垣間見える瞬間に読み取れて、
そういうキャラの隠された広がりを読み取る楽しさを知っている人はにはたまらないような、
キャラ造形がしっかしした面もこの作品の特徴だと思います。

 

キャラの描写でいうと例えば、
3巻で修と遊真が所属することになった玉狛支部に小南先輩という女の子がいるのですが、
彼女は戦闘の腕は立つのですが性格が信じやすく、人の言葉をすぐ信じる騙されガールです。

 

そして、修は体力面戦闘面で弱いのですが、
これに小南先輩は手厳しい言葉をかけます。
そこで修を鍛える立場になった小南と同隊のもさもさ髪のイケメン、烏丸は
そんな厳しい言葉に傷つく修の直後に、小南に対して
「でもこいつ先輩のこと可愛いといってましたよ」と言って
小南は真に受けて照れるのですが、直後、烏丸はきっぱり「嘘です」と言います。
小南先輩は「だましたなメガネ、プライドが傷つけられた!」
ときれて修を羽交い絞めにして噛みつくのですが……

 

このシーンは一見、
烏丸のキャラと小南との関係性と、
騙されガールの小南先輩をからかった烏丸のギャグシーンに見えるのですが、
実は巧みな意趣返しの裏に
玉狛支部で初めて弟子を持った烏丸の弟子想いさが垣間見えるのです。

 

こういうちょっと隠れたキャラの一面がさらっと描かれているあたり、
そしてそれに
(あれ?あのシーンのこのキャラ、実はこういう意図だったのでは?)
と気づかされる小説のような作りの物語を描かれるのもこの作品の特徴で、
自分としても面白くて好きなところです。

 

というか、葦原先生は漫画家ですが、
その作品は色々作家的な方だと思っています。

 

コミックス10巻以降、
近界への渡航、遠征のための選抜試験の面もある
B級隊のランク戦(複数チームによる模擬戦)が行われ、
今月5月号でランク戦が終了したラウンド8まで
さまざまな隊と隊員が描かれ、その各キャラがみんな魅力的。
嫌なキャラが(おそらくたいていの人に)いないだろうことが予想される
恐ろしいまでのキャラメイク力の作品でもあります。

 


ここまで書いたところでは、
意味を知る、多数のキャラ、そしてチーム同士の戦闘。
チーム同士の戦い、そう集団戦もこの作品の魅力的な点だと思います。

 

これまでのジャンプの、そして多くのアニメ作品の集団戦というのは、
結局のところ
4対4の場合、1対1が4回という描かれ方だと多くの人は認識していると思います。
でもワートリはだいぶ違います。
本当に集団入り乱れての戦闘、
二人で一人を十字砲火したり、二対一で戦っているところを狙撃で援護したり、
他にも色々な形で複数対複数がしっかりと描かれています。

 

それが時に隊員がばらけている場合は違う局面を描きながら、
他の局面から遠くの仲間のためになる援護をしたり、
一人が勝つことで状況が変わる戦闘もあるのですが、
基本的に集団として勝利を目指していくスタイルが新鮮なのです。

 

しかもそれを全然矛盾も無理もなく完成度高く描いている。

 

そうした集団戦からいえるように、本作は一人の才能ある主人公が活躍したりや
弱い主人公が成長したりの王道の少年漫画とは違います。
具体的に自分なりにいうなら、
一つの目標を達成するために集団で勝つ過程を描いている面があります。
そして面白いのが、そのために必要なのは、一人の突出した才能や
努力と成長を総合しての現実的な『戦術』だと描いている点です。

 

ワートリは才能差や規模の格差、実力の差という現実的な困難をしっかり描いていて、
でもそういう現実の困難に打ち勝って目標を達成するために、
いかにして合理的に状況をクリアするかの『戦術』や、
そのために敵方の情報収集や戦闘の場所、地形の事前情報を集めたり、
勝つための作戦を練ったりの『準備』の必要性を描いています。

 

作中の言葉で、
実力がだいたい同じなら、より準備した方が勝つ。
というのがありますが、
まさにそういう戦い方を描いている点も面白いのです。

 

というか、こんなことを描いている少年漫画というのが珍しい。
週刊少年ジャンプでも異端も異端、変わり者の好む作品ともいえたかもしれません。

 

でも、とても味があるのです。
戦闘の絵にしても的確なのがすごいです。
銃弾が撃たれている数やオノマトペの数が適当に描かれていない。
今こう撃ってるのはあとのことを考えてちゃんと意図がある、
など戦闘でもその意味にあとから気づかされる面白さがあります。

 

そんなワートリ、ついたキャッチフレーズが

 

『やがてその意味にきづく物語』
『遅効性SF』

 

自分がこの作品に触れたのは、週刊誌上で41話、
コミックスでいうと5巻だったのですが、
この回は直前の遊真とA級隊員緑川との戦闘の
感想戦というか、どういう意図で戦っていたかが語られていたのですが、
孫子』を読んでいた自分は一見して
「あ、この作品戦術がしっかりしたバトルモノだ」
と他とは一味違う雰囲気を感じ取り、そこから単行本を集めてはまって
今に至ります。

 

ワートリはそんな、
ここまで書いたような従来のバトル漫画とは一線を画した
現実的に勝つ戦術バトルSF漫画と言えそうで、
少し変わった作品が好きな方は読んでみると楽しめるかもしれません。

 

本作は2014年10月から全73話という最近にしては珍しい
クールモノとしてではない形態でアニメ化されており、
今年はその久しぶりの第2シーズンも予定されています。

 

それで現在、昨日の4月3日の夜11時からBS朝日で再放送が開始されていたりもします。

 

葦原先生は首のご病気で2016年の暮れ頃から体調のために休載され、
2年後の2018年に連載再開、週刊ジャンプからジャンプSQ.に移籍して
現在は体調の様子を見ながら(時々休載もいれて)の連載を続けています。

 

もうね、葦原先生には健康を第一に考えて、ローペースでもなんとか
先生も読書も満足いく作品として描き切ってくださることを願うばかりです。

 

ご興味がわいた方は、『ワールドトリガー』是非読んでみてください。

 

そんな『ワールドトリガー』の葦原大介先生を、
自分の好きな作家として書かさせていただきました。

 

ではでは~。