1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「気になったこともあったけど、結局は気にしても仕方ない。今週のお題「外のことがわからない」」

今週のお題「外のことがわからない」

 

今回は、今週のお題「外のことがわからない」
で書かせていただきます。

 

外のことで何が分からないか?

 

現状での店や学校、交通機関などはおっかなびっくり利用してみると
分かることもありました。
都会はどうかは知りませんが、
田舎の街でもマスクやソーシャルディスタンスこそ当然ありますが、
現状でもなんとか回っているようです。

 

今回は、そんな今にフォーカスした話と違うのですが、
昔から……というか、昔気になっていた
外、つまり世間でわからないことというのがありまして、
それは『他の家の人の事情』です。

 

結論から言うと、タイトル通り『気にしてもしゃーないやん』
という考えに至りました。

 

ただ、自分や他の人もそうですが、
親の言動、収入、家の建物としての状態、
教育の内容、進学や就職、結婚や出産、
近所づきあいに地域づきあい、女性ならママ友のつきあいなど……
まあ気に出しだすと、みんなどうしているの?
ウチのやり方は正しいのか?
それと程度としてはどうなのか?
など気になることは皆さんもあると思います。
自分もありました。

 

自分の事情を語ると、
あまり大きな声では言えたことでもないのですが、
親に関していうと女やギャンブルは大人しいのですが、
ストレス発散に酒を飲んで家族に気に入らないことがあると物を投げ、
子供の性格や性質、事情を鑑みず、
世間の一般論や
親の価値観、正しいと思うもの差し、
それに彼らの理想で相手を見て、
その思い通りにならないと不機嫌になりキレるという親で……

 

それだけならまだしも、
彼らの思い通りになるように、
心身ともにストレスを与えて疲弊させて思い通りにしようとしてくる親たちでした。
心ない言葉や、やる気を削ぐ言い回し、
物理的に困る手に出てくるなどが昔からちょくちょくありました。
厄介なのは、当人たちはそれを自分たちは正しいと思って、
言うことをきかない子供の被害者だと思っているところです(´ヘ`;)ウーム…

 

子供の頃は(いや、成人してだいぶですが)そうした親の言動の意味を理解していなかったので、
感覚的にストレスで、直感的に反発していました。
実際、そうした彼らの在り方で、
心身両方でだいぶ足を引っ張られていたと今は思います。
でも今冷静に思うとこれ、親が自分の人生のままならなさの代替に
子供という自分たちよりも弱い存在を思い通りにして優越感を抱き、
慰める心理で、
ただただ子供な人間だったということです、彼らは。
親に対してシビアなジャッジをすると。

 

そういう親に変わって欲しいと思ったこともありますし、
衝突も何度かありました。
今の理解でそれを言葉でぶつけようと何度も思いますが、
同時に学んだことがそれを辛抱させます。

 

これは結局のところ、彼らの個人としての課題であり、
あまり触れることでもないように考えるようになったのです。

 

それにエネルギーを費やすくらいなら、
自分の人生を少しでもより良くするために今できることにエネルギーを注ぐ。

 

彼らの課題であり彼らの人生、迷惑は被りますが、
それで彼らが不満なのは彼らに自分でなんとかしてもらいましょう。
自分は自分の人生をより良くする自分の課題に取り組みますから。
それがお互いのため。
そう思います。

 

自分は自分の親からこうしたことを考え、学び、行動を変えましたが、
世間の親や子供はどんな感じだろうか?
とちょっと思ったりもします。

 

あなたの家、ドン引きですわ……、
という親子関係の良好な家庭もあることでしょうし、
いや、そのくらいの毒親まだマシですよ、ウチなんかもっともっと酷い……、
というご家庭もあるかもしれません。

 

そういうところが、
自分のウチと世間の他のウチとの問題の程度の差がわからないな、
と思っていました。
これは言い換えると、
自分のウチと世間のウチを比較して相対的に幸せを測ろう、実感しよう、
安心しよう、という心理なのかもしれません。

 

でもこれ、世間の情報にアンテナを張って見渡せば、
酷いウチもあるし、割とまともなウチもある、
でも、まともなウチも一見まともそうでも、
環境的に近所に騒音を振りまく人がいて苦労していたり、
実は子供が病だったり、
学校などで問題を抱えていたり、
旦那が女遊びや酒で問題があったり、
なんやかんやあるようです。
まったく問題と無縁というご家庭はない、
というのが人間というか世間のようだと年をとるなかで分かってきました。

 

だったらまあ、人がどうとか気にしても仕方ないし、
個人的な考え方として、幸せそうな人や裕福な人をうらやむならば、
少しでも自分がそれに近づけるように何かできることを少しずつでもやればいいんじゃない、
と思うのです。

 

他人を出汁にして、
不幸比べや愚痴を言い合ったりしてぐだ巻いて、
酒やなんやで酔いごまかして、不幸を嘆いて人の慈悲を期待する、
という人もいます。(割と多いのが今も昔もですが)

 

それもまた世間、外のことだとわかってきましたが、
じゃあ自分はどう在りたいかと考えたとき、
格好わるい生き方はしたくないな、と思います。

 

そういうことを考えられるあなたはまだ余裕があるんだよ、
幸せだよ、
という人もいそうです。
世間の酷い状況の人の詳細は知りません。
本当に酷いところの詳しい外のことはわかりません。
ただ、先に述べたようにどこのご家庭も問題はあるものです。
そこでそれをどう捉えるか、見切りをつけて甘んじるか、
より良くを目指して少しずつでも行動と環境、人間関係を変えていくか、
その違いはあるとは思います。
世間一般、外の人がそういう考え方を持つかどうかはわかりません。
しかし、自分はそういう考え方なので、
あまり外のことに構わずにマイペースにやっていくのみです。

 

みんな大概、多かれ少なかれ問題はあり、
それは一言では言えないことが多い。
言葉にはならない問題や気持ちもある。
でも、人間は大概弱い生き物で、
みんなそうなら、
みんな似たようにそういう問題、不満、悩みを抱えていることと思います。
だったら、
お互い自分の境遇や宿命、持って生まれたモノや状況に負けないで行きたいですね。

 

外のことはわからない。
世間のみんなの本当の詳しいところはわからない。
でも、みんな弱いところがあるから問題を抱えて、
親でさえ子に対してあまりよろしくないことをする人も多く、
そういう人たちが大半だとはわかります。
認めたくない、自分は違う、マシな方、と言いたいことと思いますが、
そういう人たちであふれているから世間のネガティブな問題は尽きないと思います。

 

2:6:2の法則でいうと、
マシでうまく言っている人たちは良い方の2くらいです。
あとの8は大なり小なり問題があると思っていいと思います。
それがだいたいの世の中、外の現実。
それが年を重ねて色々学ぶうちにわかってきました。
だったらあとは、自分次第。
自分の人生をどうしたいかは、自分次第だと思います。
みんなそうだから失望し嘆いて腐って生きる、
ではなく、
自分がどうしたいか。

 

現状に対しても、どれだけしんどい負担が掛かっているか
外の詳細なことはわかりません。
けれど、みんな多かれ少なかれ苦労しているからこそ、
負けんな同志!お互い踏ん張って生きていこうぜ。
と思う次第です。

 

今回のお題から、
昔を経て今はこう思っている、というそんなことを書かせていただきました。
説教くさかったらすみません。
ですが、少しでも多くの人に、より良い行動につながる幸運を祈ります。

 

ではでは~。