1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「英語という存在から学んだこと。「わたしと英語」」


お題より、「わたしと英語」で書かせていただきます。

 

自分は英会話に関しては中学の時点で
文法から入るスタイルが歯抜けな覚えかたでポンコツだったので、
英語の成績は平均より下、英会話など全然の英語劣等生です。

 

そんな自分ですが、英語の文章や単語自体は
本や音楽、映画などで触れるモノに興味がわいて調べて、
それを知る楽しさを感じることが出来たので、
特段の苦手意識があるわけではありませんし、
職業に活かせるような人はすごいと思いますし、
こちらが苦手に思うことをそこまで興味を持って勉強した方々は尊敬します。

 

そういう距離感の英語なのですが、
そこから自分が学生時代を経て学んだのは、
自分の本題の目標のために必要なら積極的に学べばいいし、
他の何かに力を入れたいなら、
ある程度英語の成績がよろしくないのは目をつぶる、
そういう割り切りも別にいいのではないか?
ということです。

 

それはある種、自分の限界へのあきらめとも人は解釈するかもしれません。
ですが、
全ての項目をまんべんなくうまくやったり、
すべてハイレベル、
という万能な人は実はそう多くないのが現実で、
むしろ世間が『そうあった方が価値があるから目指しましょう』、
目指そう!という風潮になっているにすぎず、
すべての人がそう在れるかというと、現実にはノーです。

 

ただ、そういう風に向上心を持つからその中から
ハイレベルな人が出来上がってくるので、
決して意味のない風潮ではありません。

 

しかし、そこで全部を高度になれない、
モノによっては――この場合は英語でしょう――
奮わないモノがあるという人の方が大半で、
そうなったときにどうすべきか?を世間はなにも提示していません。
向上を推奨するだけで、それに破れた人のケアは各人で、が世間です。
そうなったときに、劣等感から腐ってろくでもない犯罪を犯したり、
そこまでいかなくても他者攻撃をして憂さを晴らし、
それによって傷つく人が結構生じているのもまた現実です。

 

こういう時、自分がくさくさしそうになって思ったのが、
出来ないことはまあで出来ないし、そこに拘泥していないで
他の自分の伸ばしたいところを伸ばしましょうか~、
ということでした。

 

もっというと、
一番の目的のために伸ばしたい能力(場合によっては教科)かを
自分のなかで優先順位をつけ、
英語はそこまで必死になって伸ばさなくても良いので、
自分の目標に沿う能力を伸ばそう、その取り組みに力を入れよう、
という割り切りをしたのです。

 

なんでも万能にできて人から高く評価されて
そんな自分を誇らしく思い自尊心を感じる……
というのも、それが一番の目標、目的であるなら、
その人はそれをすればいいと思います。
(自然にそうなった人というのはよほどの才覚ある人なのでしょう。
現実にそういう人は多くの中から必ず生じてきます)
それが至上の価値、その人の幸せということもあります。
ただ、多くの場合それは推奨されるだけで、
現実には幻想です。すべての人が万能にできるわけではないのです。
シビアなことを言うようですが。

 

ですがそうあったときに、
自分の最大目標のために何かが奮わないのは看過する、
それよりも万能に出来ない自分の能力でも
最大目標のためになる能力(場合によっては教科)を伸ばすことに集中する、力を注ぐ……。
そういう考え方や姿勢、取り組み方もアリなのだと思います。
(少なくてもそれをダメという法律はないです)
そうやって伸ばしたことが何かに繋がっていくことも人と人生にはあると思いますから。

 

自分にとっての英語は
自分がすべてを高いレベルでうまくやることにこだわらないという考え方を持ち、
(同時にそれは自分はそこまでの人間ではないという諒解、受け入れをして)
自分の一番の望みのために出来ることをしていくために
『必要な割り切り』を学び取ることになった存在でした。

 

あれもこれもできるようになりたい、
という気持ち自体は分かるんですよね。
色々できると自分の力を確認できてそんな自分に胸を張れる、
自尊心を感じられるのはみんなありますから。
それも一つの価値、幸せなのだと思います。
ただ、あれもこれもと手を伸ばして、結果として
時間とエネルギーを分散して、自分にとっての一番の望み、
一番の価値、幸せのための取り組みとそのエネルギーが
十全ではなくなるというのも考えものなのだと思います。

 

英語に興味がある、英会話ができるようになりたい!
英語を仕事に活かしたい!
という積極的な気持ちで英語に取り組み、
その能力を伸ばすのは大変良いことだと思います。
ただ場合によっては無理してそれに時間を割く以外の選択肢も
人生にはあるのだと、
何かを犠牲に、対価に他を伸ばす選択肢もあるのだと、
そういうことを学ばされたのが自分にとっての英語だったかもしれません。

 

そんな「わたしと英語」でした。
これを読んだどこかの誰かの、
本当の目的へのより良いトライに繋がることを祈ります。

 

ではでは~。

 

アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」