1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「大正生まれで戦争も経験していた祖父に関して聞いたはなし。今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」」

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

今回は、今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」で
書かせていただきます。

 

自分の母方の祖父の話になります。

すでに鬼籍に入って15年以上になる祖父。
自分の家は今、その祖父の遺した家に二世代で済んでいるのですが、
その祖父の娘の自分の母は、
後添えの子だったそうです。

 

大正生まれだった祖父は、
最初の奥さんは母のお兄さんを産んでのちどれくらいかで亡くなったそうですが、
それから祖父は満州に戦争に出ていたそうです。

 

そのときのエピソードを昔、母から聞いたのですが、
戦地で敵兵の追撃にあい、
ある民家にかくまってもらって、(現地民か、実際の詳しい事情がどうであったのかは分かりません)
敵兵がそこに日本兵探しで這入ってきたそうです。

 

そのとき、祖父は押し入れの布団の間に隠れたそうです。
敵兵は押し入れも開いて捜索の手を伸ばしましたが、
布団をめくったり、
上から刃物などで刺して検めたりはしなかったそうです。

 

それで祖父はその後、戦争を生き延びて帰国、
どれくらいかのあと、自分の母の母親、祖母と再婚して母をもうけたそうです。

 

これはそのとき、敵兵がもうワンアクションをしていたら。
見つかっていたら。
その場で始末されていたら……、、、

 

母も生まれず、自分も生まれなかったというifがあるわけです。

 

そういう体験を祖父はしたそうで、母が祖父の運に感謝していました。

 

その祖父は、生前、60代~70代まで自動車を運転して、
家で友人と談義してTVで相撲を見ていたり、
旅行も一人や友人と行っている元気な人でした。

 

自分は一番体調が良くなかったころに祖父に預かってもらって

車で銭湯につれて行ってもらったり、

食事の世話をしてもっらたりと色々面倒を見てもらったので、
恩義のある人でもあります。

 

祖母に関していうと、
どうも良いところのお嬢様だったようです。地方のですが。
子供のころは使用人がいて、
お水、というと注いでくれる家だったそうです。
祖母が母に話していたのを、母が自分たちにも話していました。

 

……なので、当時にしては少数派のしっかり学校を出た女性だったのですが、
結構なお嬢様気質で実際的な生活力は低く、
料理のひどさを母はよく子供の自分たちに愚痴っていました。

 

……その母も、祖母譲りでだいぶお嬢様気質で人にねだって自分では不勉強で、
ずさんな料理だったのですが……そのお陰でこちらは健康被害で持病が出来たのですが……、

 

ちょいっと余計な話をすると、祖父のちょっとマイナスな点をいうと、
女性を見る目はあったのだろうか?
子供を育てる能力はどうだったのだろうか?
とは、今の大人の見識として冷静に思います。

 

うーん、因果のツケは孫子が払う。
自分は自分なりに学んで少しずつでも改善するしかないと思っていますが、
その苦労を嘆いたり、誰かを恨む気はありません。
良いことも生きているとあるものですから。自分の行動次第で。
嫌なことも当然同時にありますが、両方あっての人生だと今は心得ています。

 

そういう意味でも、やはりあの布団のしたの祖父の運には、
自分も感謝したいと思います。

 

どんな思いで敵兵が去るのを息を潜めて耐え忍んでいたか……、
それに比べれば、
その後の祖父が見た様々な良いモノ、嫌なモノ、
良かった経験、嫌な経験のすべてがあったことを思えば、
自分の今の現状の苦労や、世間の問題も何かに繋がるのかもと、
ものともせず行きたいと思います。

 

今回は、敬老の日のおじいちゃん・おばあちゃんで
そんなことを書かせていただきました。

 

ではでは~。