1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「読書感想 『ジョジョの奇妙な冒険 STEEL BALL RUN 21巻』」

 

連載当時、ウルトラジャンプ本誌で飛び飛びで読んでいて
一応結末を知っていた本作ですが、
しっかりと全編読破していなかったので、2年ほど前から購読を進めていました。
その感想の続きになります。ジャンプコミックス版の21巻から。

 

 

 大統領との決戦の続き。
 未知なる回転によるタスクを放とうとしてしくじり窮地のジョニィを助けるため、
大統領の力の源でもあるルーシーを馬の背に乗せて距離を取ったジャイロは大統領と一騎打ちに。

 だが振りかかるよくないモノをどこか別の人間や存在におしつける吉良の力の元である
ルーシーを馬に乗せたことで、ジャイロと大統領の勝負は僅差で決着がつく。

敗北と死を悟ったジャイロはジョニィに対して最後のレッスンを告げる。

 

 

 このスティール・ボール・ランレース(SBR)に臨んだジャイロは、
歴史ある家柄と親から受け継いだ伝統や技術という、
生まれながらに背負った守るべきモノよりも、
彼自身の望む 『自分が』 守りたいと思うモノを本当のところで求めた人間だったのかもしれない。

 

 それはジャイロの自立への指向といえる。

 

 その戦いとレースの結果は前述のとおりだが、
ジャイロは自らの志の戦いに殉じ、おそらくそんな彼の胸には結果がどうあれ
『納得』 があったはずだと自分は考える。

 

 

 本作はジョニィの自立であるとともに、
そのバディであり師、友でもあるジャイロにとっても
親への反抗と自立の物語であったのだとも思う。

そしてジャイロの遺したレッスン5の内容。

 

遠回りこそが最大の近道。

 

これにはさまざまな意味があるともとれるが、
シンプルであるとも言える。

 

 

そこで自分が思うのが、
遺体の守り神にして引き換えに樹木と一体とする力を持っていたシュガーマウンテンが口にした
『全てを差し出した者が全てを得る』 

これは、楽をしない道ではないか?と思う。

楽とは遠回りとは対極の、ショートカット、近道である。

ジャイロの採った遠回りとは、彼の結末においては
己を犠牲にしても(全てを差し出す)
真実(この場合はルーシーを守るということが自分たちの勝利に通じる) に向かう意志が、
効率を求め損をしないような道ではない、誰もが当然のように厭う遠回りであったとしても、
その闘う姿や覚悟、そして友を信じて託す在り方が友人ジョニィの力となり
彼を良い方向に導くこと(全て(遺体の力、もしくはルーシーの無事)を得る)
につながっていくということだ。

 

 

それは、ジャイロがこのSBRで出逢い、旅を通じて友愛を結んだ友への、
もともとの(少年への国王の恩赦という)動機以上の、
いま命を懸ける最大のこのレースの意味であり、
だから敗れ逝く決着に対して納得し、
取り乱すことなくジョニィへと最後のレッスンを遺したのだと思える。

 

 

ジョニィがこの意志を受け取ることによって、
前へと進むことによって、
ジャイロの闘いもまた多くのジョジョとともにあった男たちと同じく、
無意味ではなく、生きのこった者達に受け継がれていくのだ……。

次巻、一人になったジョニィはどういう心を経て、どう戦う。

 


ではまた次の本で。