1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「『ONE PIECE』連載1000回達成!!おめでとうございます!!」


今回は、サブカル界隈での時事ネタで、
いわずと知れた国民的漫画作品
ONE PIECE』が
連載1000回を今日発売の号で達成したことを
書かせていただきます。

 

ヲタのあいだではさすがに超超ビッグタイトルなので
アンチも多い作品ですが、
しかしそれは尾田先生とワンピースの実力の証であるのも一面の事実です。

 

じっさい、週刊連載1000回は
こち亀以来の偉大な漫画作品です。
ワンピースが偉大な作品であり、
今回の1000回も祝うべきことであるのは実際だと思います。

 

もちろん個人個人の作品の好みはありますが。

 

そんな連載1000回達成をお祝いして、
自分も記念イラストを描きましたので、
それを当ブログでもアップさせていただきます。

 

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作品も最終章に近く、
あと数年で完結という段階。
1000回達成ができたのも多くのファンがあってのことで、
それを支えた多くのファンが、
ワンピの夢と冒険の果てを見届けるのを希望していることと思います。

 

その夢の先までたどり着けるように、
尾田先生も、みなさんも健やかであることを祈ります。

 

今回は、そんな『ONE PIECE』の連載1000回達成のことを
書かせていただきました。

 

ではでは~。

 

 

 

 

 

「続・年始の運勢うらないについて。何が違いになってくる?のはなし」


今回は、昨日の記事に続いての
運勢についてを
書かせていただきます。

 

 

前回は、12星座の考え方について触れて、
占いによる運勢とはどうして差がでるのか?の
自論を書きました。

 

今回それに加えて、もうひとつの自論の考え方なのですが、

 

運勢は『平均値』の差も
人それぞれの結果に影響すると思っています。

 

この平均値とは、生まれた家の財政、生育の環境、
親の器量、個人の才能や器用さや根気といった資質、
性格、向学心向上心、気概、健康など、

 

それらの複合が高水準なほど
同じ天秤座なら天秤座、双子座なら双子座の星座でも
はじき出される結果が違ってくる、ということです。

 

これは富樫義弘先生の『ハンターハンター』のビスケが語っていた戦闘論に近く、

 

平均値が高い人が運気の良くない時期でも、
(数値化の便宜的な例として平均値70、運気5)
平均値が低く運気が最高な人よりも、
(平均値10、運気50)
前者の方がかなり高い結果を出す事は多い、
ということになります。

 

この自論について、
ここから分かるのは、運気はサブであり、
肝心なのは個人のもつ運勢の平均値であるということです。

 

この平均値をいかにしてあげるかで思うのは
基本的な生活習慣、食事の内容、勉強の度合い、範囲、
行動の度合い、挑戦に積極的さ、
健康のレベルをあげる、

 

などを健康のうえに積み重ねていくこと。
それと、住む場所、もしくは環境の状態を変えること。

 

それらの複合により地道に平均値をあげることで結果が違ってくるのでは?と。

 

この考え方だと、やはりもって生まれた人、
生まれから恵まれた人はかなり有利です。

 

衣食住で余裕があり、刺激となる行動範囲にお金を自由に使えて行動の機会が多い、
それだけで人間としての見識と行動力や考え方にも差がでるのは明白です。

 

無論、それによって人の幸せが数値化して絶対的に高いわけではありません。
幸せとはその人の価値観に依り、
人それぞれだからです。

 

ただ、社会の基準で良い運勢となる体験を使用とした場合、
この平均値はかなり差を生むという観点での考え方です。

 

それを言い出すと、そもそも『運の良さとはなんだろう?』
というはなしになり、今回の記事の趣旨とずれるので、
そこは割愛させていただきます。

 

はなしを戻して、
もっていて恵まれた人が有利だとして、
そかしそれで仕方ないか、と嘆くのではなく、

 

それは各々の持って生まれた宿命であり、
厳然たる現実だと受容することがまず大切だと思います。

 

ネガティブとはいえ現実の非を認めなければ改まるものも改まりません。
太っている人や貧しい人が、
その現実から目を逸らしても、それは改善されないのが現実なのですから。

 

現実を受容して、そこからその人なりにできることをする。

 

その先に、平均値もあがって状況も変わっているものではないか、
とそう思っています。

 

開運は縁起担ぎも含めて、運動し、行動して自ら開いていくものだと思います。
神前で願うにしても、
作法を調べて準備をして、心身を清め整えてから神社に赴き、
作法を守って社殿のご神体である御鏡のまえで、
願いの誓いを立てることで、
自らの心を整えて、願いに向かって行動しやすくする、
自ら運動を開始するセルフ儀式が神社の参拝だと自分は認識しています。

 

いい加減な気持ちで神前で願っても、
それを写す鏡はそれに見合う心しか写しません。
結果、その願いはしれたものになる、というのが神社での願いの実情だと思います。

 

そのくらいに、自ら動くことの意識は開運に違いを生むと思います。

 

運気というコンディションの上下の波は目に見えませんが確かにあり、
けれどそれはあくまでサブだと思います。
むしろそれを活用して自ら開く行動、運動が開運には大切だと考えます。

 

恵まれない生育なら、なおさら自ら動かないと、ということです。
身に覚えのあるところもある人もいるのではないでしょうか。

 

この運気の波というのは、例えば

四柱推命やゲッターズ飯田さんの五星三心占いでも12の周期で提示されるのですが、

ある程度の年齢で過去の自分の事件を箇条書きにして
振り返ると、この波がなんとなく分かります。
上記の12周期と照らし合わせて、
大殺界や空亡と照らし合わせると、よくない時期が以外にはまっていることも分かるケースがあります。

 

運の良い人(平均値の高い人)は直感的に運気のさがる時期を感じていて
(それは調子の波がさがる時期に無意識に敏感ということだと思います)
空亡などの時期によろしくない行動をなんとなく避けて、
結果そんなに悪い状態ではなかった、
というケースが多いようです。

 

逆に、運のよくない人(平均値の低い人)は
運気がさがる時期に限って欲をだして余計なことをして、結果状態を悪くしがちなようです。

 

コンディションがさがる時期にしない方がいいことをしがちな、
間の悪い傾向にある、
それが運の悪い人の傾向なのではないか?と思います。

 

この運気の悪い時期を知り、慎重になることと、
逆に運気の良い時期に先々のためになることを始めていくこと、
運動、行動することが、
開運には大切だと考えられます。

 

闇雲にでもとにかくなんでもやればうまくいく、
は、うまくいったケースとそうじゃないケースがあるとみなさん経験されていると思いますが、
何が違ったのかといえば、
アクションを起こすタイミングなのではないか?と
色々試してきて自分は思います。

 

そのタイミングに関しては、
それは本職の占い師さんに聞いたり、その本を読んだ方がよいと思うので
ここでは省かせていただきますが……。

 


以上、そんなこんなな占いによる運勢と、
その開運に対しての考え方について、
自論を書かせていただきました。

 

みなさんも今年の運勢をみたうえで、
少しでも自分の運を良くしたいと思われた際、
この記事の考え方が少しでも、なんらかの足しになれば幸いです。

 

まあ、結局信じるかどうかはその人次第、
占いは、占いに限らず、100%あたるものではなく、
あやふやなモノなのが大前提なのです。
(それは宗教も未解明の領域の科学的なモノもすべてですが)

 

それを信じるかどうか、どこまで信じるのかはその人次第。
距離感、適切な利用なら、
占いというのも一つの標になるのも事実なのですから。

 

色々考えていますが、
占いやなんやを利用しても、
肝心なのは結局、自分次第なのだということですけれどね。

 

願わくば、この記事が誰かの幸せになる少しの助力になることを。

 

今回は、そんな
占いと運勢関連で書かせていただきました。

 

ではでは~。

 

 

 

 

「年始のお約束、今年の運勢うらない。12星座分類について思うこと」


新しい年が始まって二日目、
みなさんどう過ごされていますか?

 

新年の定番といえば、人によっては
今年の運勢うらないを見たり、
神社でおみくじを引いて今年の運勢を占ったりもしていること思います。

 

(そういうのが趣味ではない方は申し訳ありません)

 

その占いについて、
数年前からちょっと思っている自論について、
今回は書かせていただきます。

 

占いの星の分類。

 

12星座はかなりのドメジャーですよね。

 

他にも四柱推命六星占術
水晶玉子さんやゲッターズ飯田さんの占いもありますが、

 

だいたい人の運勢をおおまかに分類しています。

 

これについて、割と世間できく反対意見が、

 

『人間が12とかでその行動と運勢を分類できるとは思わない。
そもそも私と同じ星座の同期と私は運勢、成果はまったく違うじゃない』

 

というものを聞いたことがあります。

 

しごくもっとも、とうなずく人も多いと思いますが、
自分のはなしはここからです。

 

12分類の範囲とは。

 

自分は、たとえば12星座の場合、
その12の分類は、
『世界各地の天気』の分類、
だと考えます。

 

世界の天気って見た事ありますか?
世界地図上で各国の天気をアナウンスしているアレですね。

 

これは人に聞いたり読んだ話ではまったくなく、
ある話から発展させた自論なので「はあ?」と思われるかもしれませんね。

 

意味合いとしては、
まず、ゲッターズ飯田さんいわく、
日本は運気的に天秤座にあたるそうなのです。

 

かりにその占いにのっとって、
日本を天秤座の運勢の地域とした場合、
では日本に住む人はみんな天秤座の星の運勢なのか?

 

というと、そんなわけないじゃん!
と上記のように反論されると思います。

 

ここで思うのが、
世界各地と星座の分類の対応。

 

日本が天秤座なら、
仮に(あくまで意図のない仮に)にイギリスを牡羊座
ドイツあたりを双子座とします。

 

天秤座にしても双子座にしても、
じゃあドイツの人はみんな双子座の運勢なの?
というと、住んでいる人それぞれにまったく運勢が違うのが実際だと
普通に思われるでしょう。

 

それは、星座占いの考え方として、
双子座でも双子座の月星座の範囲が5月21日~6月21日とあるように、
日によって運気が違い、
さらにいうなら、生まれた時間によっても運勢が違うのだそうです。

 

星座うらないは大きく12に類別していますが、
実際にはその人の生まれた瞬間の星の配置で
オンリーワンの運勢占いがされるようです。

 

だから個人鑑定というものもあります。
(だいたいの占いには個人鑑定があるのかもしれません。
したことないので知りませんが)

 

ここで世界各地と星座の分類、対応にはなしを戻します。

 

同じ星座でもその日のその人の生まれた瞬間で運勢が違うなら、
例えば世界各地と星座の対応での日本でも、
日本国内で東西南北、その地方の、その市のなかの町の、
その人の座標こそが、
オンリーワンのその人の運勢占いだ、と言えると思います。

 

これを運勢、運気を『天気』と置き換えた場合、
世界各地の天気に対して、
各個人の運勢は、
その国の、
その地方の、
その町の、
その人の座標の天気が本当の、正確な運勢になると、
そういうことです。

 

そりゃ、日本の天気は晴れですよ~、
と言われても、場所と時間によっては曇っていたり、
寒くて霜がはったり、
風が強くてその被害を受けたり、
黄砂や花粉で晴れていても困ったりと、
土地とその人のいる座標によって天気も(運勢も)千差万別なのだということです。

 

個人の正確な運勢とは、そのくらい細かくみないと
占えないと思います。
そして12星座などの大まかな分類の占いは、
その国規模の範囲の運勢傾向をいっているだけなので、
そりゃその国にいる人みんなが同じ結果になるわけがないのです。

 

だから前述のように、
『あの人と同期で同じ星座だけど、成果はぜんぜん違うよ!』
ということになりますし、
それが当たり前なのです。
12星座などの何何座のみなさんは今日こういう運勢!
はそういうことなのだと思います。
最初から個人の正確なうらないとは一言も言っていないのですから。

 

だから個人の正確な運勢を知るためには、
(その占いの流派によると思いますが)
その人のより細部で正確な情報で個人鑑定をしてもらうことになるのだと思います。

 

ただ、例えば天秤座にしても運勢的にその星座月の日にちを広範にカバーしているので、
あれは違ったけどあれは確かにあたった、
ということもあると思います。

 

同じ日本にいるので、
その国らしい運勢の影響はみんなが部分的に受けるということだと思います。
学校の学期開始時期に合わせて色々したり、試験勉強したり、
受験に取り組んだり、
税率の影響など他にも色々ですが、
その国にいることでみんな運勢面で同じようなことは起こる、
同じ星座の運勢で、100%同じではなくてもかぶる部分もあると言えます。

 

けれど、すべてが同じにはならない。
これが星座の12などの類別の実体ではないか?
と素人考えの自論ですが結構前から思っています。

 

いかがだったでしょうか。

 

今回はそんな占い関係で、
12分類についての考え方を
書かせていただきました。

 

次回は、この続きとして
もうひとつ付け加える運勢、運気の考え方を
記事にさせていただきます。

 

ご興味あればよろしくお願い致します。

 

ではでは~。

 

 

 

 

「2021年迎春の新年ごあいさつ」

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

当ブログを読みにきてくださった方々、
今年もよろしくお願い致します。

 

迎春といって、今年は雪模様ですね。
みなさまはそんななかどういう元日を過ごされましたか?

 

新年を迎えた自分の近況を少し書くと、
昨日は夜11時前まで年始イラスト(ネットにアップする年賀状イラスト)
の描きモノ作業をしていたので、
年越しそばをゆっくり作れずにいました。
その年越しそばを、朝起きてからしっかりと鰹一番出汁をとって麺つゆを作っていただきました。

 

こちら。

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朝のおせちは健康の食事に気を遣っているので
伊達巻きほかの少しだけ。
そんなわけで今年はやや変則的な元日の朝の食事となりました。

 

でも、初めて出汁から麺つゆを作る試みができて、
割と美味しくできたので良かったです。

 

今日、1日の日中は定番の年始の書き始めやら、
やることはやった感じですが、
少し年末までの疲れがあるので休むことも大切だと思っています。

 

毎年、年末年始は忙しいからか、それとも一時的にエネルギーが高まるのか、
皮膚によく傷ができます。
今も12月後半から顎に大きなできものができて、
その膿がでていたので、洗って薬を塗り、絆創膏をはってのケアをしたりでした。

 

まあ、そのへんは人それぞれでしょうか。

 

はなしを変えて、12月中は忙しくて結果大晦日の夜まで描いていた
年始絵をアップします。

 

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葦原大介先生の漫画『ワールドトリガー
のイラストです。

 

ワールドトリガーは今年1月9日からアニメのセカンドシーズンが開始されますので、
気になる方はチェックしてみてください。

 

今ならジャンプのウェブ閲覧サイトで
ワールドトリガーの数十話無料読みもできるそうなので、
そちらで読んでみても良いかもしれません(ファンのクチコミです)

 


今年も地道にやることはやっていく次第ですので、
当ブログ記事も続くようなら、おつきあいくださると幸いです。

 

あらためて、今年もよろしくお願い致します。

 

ではでは~。

 

 

 

 

「今年一年、ありがとうございました。年末のあいさつ」


今日は、大晦日であり年末。
2020年も最終日です。
みなさん、どうすごされていますか?

 

今年は色々なことが既存外の状況にさらされて、
みなさん、戸惑うことや我慢することも多かったと思います。
自分もです。

 

それも現状の感染症の影響ですが、
それでもこの一年、辛い思いや苦労も普段以上にあったなか、
対策をしてなんとか無事に今日を迎えられたこと、
年を越せそうなこと、
みなさん、たいへんよくがんばられたことと思います。
おつかれさまでした^^

 

自分にもおつかれさまでした^^
あとは、行く年と来る年を静かに、
雪も降っているので温かくしておすごしください。

 

お忙しいかた、事情のある方、医療関係者さまがたなど、
各所で業務や誰かを気遣って年越しをする方々には、
感謝と、
おからだ労って来る年をお迎えください。

 

みなさま、また来年、健康に気をつけながら、
お互いにやれること、やりたいことをやって行きましょう。

 

そのためにも、一年のつかれを今夜はゆっくり癒やして、
新しい年が良い一年になるように、
新年をお迎えください。

 

今年は毎日、当ブログ記事を更新してきましたが、
それに気づいたときにおつきいくださった方々には、
この機会にお礼もうしあげます。

 

今年一年、みなさま大変ありがとうございました。

 

ではまた来年。
まだ見ぬすてきなワード、
誰かの貴重な言葉の世界でお目にかかりましょう。

 

良いお年を~(*´▽`*)

 

 

 

 

「父子騎団のヒュンケル、兄弟弟子対決決着。『ダイの大冒険』第13話視聴感想」


今回は、アニメ『ダイの大冒険
第13話の視聴感想を
書かせていただきます。

 

ライデイン炸裂……が。

 

ダイとポップの協力呪文であるライデイン
見事ヒュンケルに当てることに成功。
ヒュンケルを倒したとポップははしゃぎますが、
その彼をヒュンケルの拳がぶちやぶる。

 

ライデインが利いていないのではなく、
その一撃に耐えるほどに
鎧があってもなくてもヒュンケルは強かった。
さすがはアバンの一番弟子。
ダイたちにとって兄弟子である彼が魔王軍の軍団長ではなく、
ダイたちの仲間であったならどれだけ心強かったか。

 

電撃でスタンしただけのようだったヒュンケルとダイの
第2ラウンドは継続。
しかし剣でも、なんとか考えた稲妻の魔法でも勝てないダイ。
ついにはヒュンケルの必殺剣を喰らい地に伏します。
ポップの悲鳴が闘技場に響き渡る。

 

マァムの届けたモノ。

 

そんななか、地底魔城の牢から脱して隠し部屋によっていたマァムが
闘技場にでてきました。
その手には隠し部屋の宝箱で見つけたアイテム。

 

これによってヒュンケルは父である地獄の騎士バルトスの死の真相を知りますね。

 

映像ではあっさり目でしたが、
アバンが実はヒュンケルを育てるのを快く承諾した、
とうシーンの(ガーン!)という衝撃は漫画の方がよりヒュンケルのショックを感じ取れました。

 

今回は、三回連続で隅沢克之さんの脚本なのですが、
演出の面ではちょっとだけ「ん?」となった回でもありました。

 

あとの溶岩のシーンなのですが、
どうやってあの巨岩のしたにヒュンケルは入ることができたのか、
このへんの描写があっても良かったのですが、
それもなく、感動のシーンのはずなのですが、
今の観点でみるとやはり「どうやってしたに入って持ち上げたんだ?」
という疑問があり、このアニメ化でも解消されなかった感もあります。

 

まあ、無理に行間を読むのなら、
ダイたちの後ろに立っていたヒュンケルの目の前で三人の足下が溶岩で割れて、盛り上がり、
それを見てこれを持ち上げて溶岩のそとにやればダイたちを助けられる!
と即座に判断した……
とも考えられます。

 

兄弟弟子対決、決着。

 

はなしを戻して、
一度はヒュンケルの必殺剣でKOされたかに見えたダイですが、
意識のないままに闘争本能のみで復活して
ヒュンケルに立ち向かっていきます。

 

しかし普段のアジリティがなく追い込まれるダイ。
そのとき、
剣でも魔法でも勝てないなら……と導き出した新たな技。

 

これが魔法剣。
剣に魔法をまとわせる、剣と魔法を同時に扱うのは、
ダイの世界では人には無理な芸当なようで、
ここでダイが人間を超越した存在であることが示唆されます。

 

それは当然、
怒りとともにレベルを大幅にアップさせるあの紋章と関係しているのでしょう。

 

そして、メラの炎をまとった炎剣から、
闘魔傀儡掌で遠間から動きを封じられて繰り出しのが、
ライデインとアバンストラッシュを掛け合わせた
ライデインストラッシュ。

 

さすがに不死身と目されたヒュンケルも鎧がくだけて倒れることに。
勝敗はダイの勝利に。

 

ヒュンケルに怒れないダイがどう勝つのかは本編の課題でしたが、
意識がないバーサカー状態で、
かつ剣と魔法の合わせ技、掛け合わせでヒュンケルのレベルを超えるという発想でした。

普通のキャラではできない芸当ですし、
果たして異なる能力の合体技でもレベル的に太刀打ちできるのか?という疑問もあります。
ポップがラナリオンを身の丈に合わない高位の呪文でも発動できたように、
そのへんはやや大味なところも本作はあるのかもしれません。

 

ファイナルファンタジーでの魔法剣は、
レベルや攻撃強化というよりも、
斬撃に魔法の各属性付与というのが普通ですし。
ダイ大の魔法剣は少し勝手が違うということでもあるのかもしれません。

 

映像としてはメラの炎剣もライデインストラッシュもたいへん格好良かったです。

 

マァムの母性。

 

倒れたヒュンケルに、彼が以前の戦いで捨てたアバンの印を返し、
もうアバンの使徒同士で争うことはないと
彼を労るマァム。
そんな彼女のあたえる労りとぬくもりに、まるで聖母のようだ、
とヒュンケルは涙するのですが、

 

どうもこのへん、ネットでは茶かしている人が散見されますね。
互いの年齢、
それに母を慕う、みたいなところをガキくさいと嗤う
というのは分からなくはないですが、

 

母性を知らなかったヒュンケルが初めて触れる女性の温かみであり、
はなしの筋にのっとった心情的にはまっとうなのですが……。

 

まあ、作品の楽しみ方は人それぞれですね。

 

地底魔城、不死騎団の最期。

 

マァムに膝枕をされて労られるヒュンケルたちの前に、
氷炎将軍フレイザードが現れ、
彼らを一網打尽にしようと死火山に刺激を与えてマグマの噴火を引き越します。

 

絶体絶命のダイたちに、ヒュンケルが彼らを助けようと
その身を犠牲にして溶岩に消えます。

 

このへんは、クロコダインとおなじ、自らの身を盾として他者を庇う、
騎士道精神ですね。
魔道に墜ちた魔剣士であったヒュンケルが、
正しい戦士、騎士としての精神に目覚めた証拠ですが、
彼の死にマァムは泣き崩れます。

 

どうにか和解できたと思った所なのに。
アバンやマァム自身、バルトスやクロコダインといったさまざまな存在の
善意と助け、協力によって今日のヒュンケルはあり、
彼の改心もダイたちを助けるこころも、
それらの助け、協力の甲斐あって思いが通じたからともいえるのに、
そのヒュンケルが死んでしまうのは
マァムには辛いことでしょう。

 

不死騎団は側近(?)のモルグも含めて溶岩に呑まれて壊滅。
百獣魔団に続き、不死騎団も倒しましたが、
ダイたちにはすっきりとはしない勝利ともなりました。

 

ですが、ヒュンケル亡きあとのパプリカ王国攻略は
フレイザードがでてくるようで、
これはダイたちとフレイザードの否応ない因縁対決が
次回から始まりそうです。

 

ところで、不死騎団って、
漢字変換を少しいじると
父子 騎団なんですよね。

 

つまり、ヒュンケル編はヒュンケルとバルトスの父子のお話である、
という意味合いもそのネーミングに実は隠されていたのかもしれませんね。

 

あと、魔法剣というのは、今後ある父子でも再現されるわけで……、
そのへんは今後の感想でできれば。

 

今回はこのくらいで。
年内の放送はヒュンケル編までで、
年明けは一週お休みして、
パプニカ王国でのフレイザードとの闘いが始まるようです。

 

ではまた次回のダイの大冒険の感想で。
今回は、そんなアニメ『ダイの大冒険』第13話の視聴感想を
書かせていただきました。

 

ではでは~。

 

 

 

 

 

「読書感想『走れメロス』 太宰治作品集」


 太宰治の作品集。
表題の 『走れメロス』ほか、『ダス・ゲマイネ』、『満願』、
富嶽百景』 などを収録。

 

解説によると太宰の安定していた前以降中期くらいの作品が多いらしい。
太宰治についてはこれまでほぼ経歴を知らなかったが、
今頃になって初めて 『走れメロス』 を読んでみた。
劣等感からくる後ろ向きで悶々とする人間、性格像が多いが、
メロスはそのなかでも健康的な面の表現された作品なよう。

 

しかし、作家としてはこの苦悩し劣等感にのたうち回る有り様こそが
共感を呼ぶのだと今は思う。
一冊を通して昔だったら好きになれなかったであろうぐじぐじッぷりだった。

 

 他には、生地青森の家族への負い目と、その和解の様子を綴った作品も数点収録。
太宰治を知るうえで年表を見るよりも分かりやすい本を手に取れたようでありがたかった。

 

一冊読み終わる頃には年表の各作品タイトルを読んでいるだけで
他の太宰作品も読みたいと思わされたのだから、
やはり人を惹きつける文豪の小説なのだと感じた。

 

富嶽百景の恋人が君に逢ってげらげら笑ったら慶祝である、はなるほどと思わされた。

 

ではまた次の本の感想で。