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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「真の勇者ダイと、『ダイの大冒険』を愛するすべての人たちへ。ダイの大冒険・最終回100話感想」


お久しぶりです。
諸般の事情でだいぶながらくブログ記事自体もですが、
本作、『ダイの大冒険』のアニメ感想を書いてきませんでした。
けれど今回、ついに2年間の放送も最終回という運びになりましたので、
自分もその感想を書かせていただく次第です。

 

 

鬼眼王バーンとの最終決戦……真の勇者へ。

 

 

エピソードは最終回。
ながらくダイたち勇者パーティと戦ってきた魔王軍の大ボス、
大魔王バーンとの闘いも大詰め。
人間に戻れないかもしれないことを覚悟で二つの竜の紋章の力を使っての
竜魔神化をしたダイに対して、
自らも大魔王としての誇りと勝利のために、
封じていた鬼眼の魔力を開放して鬼眼王となったバーンとの最終局面。

 

父バラン亡きあと、その所在が知れなかった真魔剛竜剣が突如飛来し、
その剣での激突。
バランの言うように、ダイが『真の竜の騎士』と認められた瞬間でした。

 

しかしこのシーンで真魔剛竜剣は折れてしまうのですが、
このシーンに
双竜紋での竜魔神化によって、この戦いを制することで
ダイがこれまでの竜の騎士を超えた存在になる証明を感じました。

 

そしてストラッシュでの激闘の終止符。
これはダイが『真の竜の騎士』ではなく、
それを加えたダイのすべてを賭した『真の勇者』になったということだと思います。

 

地上から離れ、天空での神々の領域での戦いから
落下して皆のもとに帰還するダイと、
勝利と凱旋を祝福するポップやレオナ、仲間のみんな。

 

そこに現れた死んだと思われていたキルバーン
ここからが真の結末への展開で、
ここでダイがポップを蹴落として(庇って)
一人空で黒の核晶の爆発とともに消失してしまうのですが……。

 

ここからのラストシーンは、皆さんにはどう映ったのでしょうか?
自分は原作をリアルタイム時に読んでいて、
このダイの在り方を鮮烈な最高の勇者像として心に刻んでいました。

 

これが、双竜紋での竜魔神化もですが、
ダイが幼い時から夢として抱いていた『勇者』の
勇者性の完成だと感じるのです。

 

多くの人は、ダイが戻ってこないことが寂しく、
皆と共に笑いあっているシーンを希望するような
Twitterでの感想を拝見しました。

 

しかし、それも一つの本作のラストへの感想としても、
自分は
『なぜダイがそうしたのか』という
彼の行動を理解する気持ちで受け止めていました。

 

勇者性の完成とともに、
竜の騎士ーー愛する者を守る剣となり、ときに盾となる、
庇護すべき者を庇って立つ騎士(ナイト)としての在り方にダイは殉じたのですが、

 

これは父バランが
大切な最愛の妻、ソアラを庇い守るということを果たせなかったことを、
ダイは果たしたかったのだと感じます。

 

バランが残された愛する者であるダイ自身を庇い死んでいったように。

 

それが、命と愛されたことへの最大の報恩であり、
だから騎士としての役目を受け継ぎ、果たしたのだと。

 

最終話のダイの変遷をたどるなら、
神々の領域、真の竜の騎士となる
   ↓
真の竜の騎士以上の真の勇者となる
   ↓
神々の領域に入っていた天空から
人間の領域の地上に落ちてくる
(人間の仲間に戻る)
   ↓
それでも竜の騎士であり勇者として盾となる
(これまでの竜の騎士を超えた存在の『真の勇者ダイ』になった)

この解釈がこうもハイブリッドなのは、
一重にダイが混血であり、
(当時のそうした存在を取り上げる時勢もあって描かれたのもあると思いますし)
『ダイ大』が足し算式で優れていく図式を採用しているからとも
メタ的には言えるのかもしれません。

 


作品、ダイ、勇者への解釈。そして……。

 


勇者性、いや、ヒーロー性についてはこの30年様々な議論や解釈がなされてきたと思います。
残された者の悲しみや、
大切な人たちと共に生きたいという使命や役割を超えた個人の人間としての切なる感情。

ダイはそんな現代的なヒーロー性とは違う、
そうした感情や悲しみがあっても
あのようにすることが、
竜の騎士でありそれを超えた『真の勇者ダイ』でありその勇者性をもった
彼の最善であったのだと思います。

 

また、その勇者性をもつダイは、
純粋な心をもつ人間ダイだからこそ培われ成されたとも言えて、
そんな『人間ダイ』を
本作の再アニメ化をここまで追いかけてきて愛するのならば、
その彼を育んだ地上と父母、仲間たちを純粋に愛するが故の行為を、
あの献身をこそ愛し、
肯定するべきではないのか?
と30年たった今の自分は改めて言語化して思います。

 

現代的な人間らしいヒーロー性は、
視野の広さを持った成長した人間としての価値観であり、
本作をもって完成した『真の勇者ダイ』は
少年勇者ダイと、それを称賛し求めた『当時の時代』の
ヒーロー、勇者像なので、
必ずしも現代のファンの心にこうした解釈がすんなり通るとは思いません。

 

時代はやはり違うのです。
ダイと、ドラゴンクエストの『勇者の剣が残された伝説の物語』は
80年代当時からのファンタジーRPGのクラシックであり、
必ずしも現代的な感性や価値観、ヒーロー性への概念を持つ視聴者に
マッチするものではないかもしれません。

 

ある種の悲劇と希望の合わさったラストシーン。
これが『ダイの大冒険』であり、『ダイ』の大冒険なのだから。

 

また、この続きがあるからこそ、早くダイが皆と再会して笑いあう姿が見たい、
というのは当然分かります。
それとは別に、本作のこの時点での自分の感想はこういうことになります。
続編への希望は当然あって良いでしょう。
けれど、本作のラストにいたる『なぜダイがそうしたのか』を置き去りにするのは、
余韻としての先の期待以前に、
本作のラストを無視し、未消化にしているとさえ感じます。

 

勇者ダイが夢見た勇者の、果ての結末。

 

……なのですが、

自分はこの『真の勇者ダイ』としての勇者性が
現代で視聴者に受け入れられるのか?が
製作発表時から不安でした。
果たしてこの再アニメ化を見届けた現代のダイの大冒険ファンの皆さんは、
また、少年や少女から『大人』になったダイの大冒険を愛していた皆さんの胸には、
どんな思いが今あるのでしょうか。

 

たとえそれがどんなモノであっても、
その思いを胸にみんなの大冒険は続く。
……のだと思います。

 


ダイの大冒険アニメ最終回感想、最後に。

 


今回の感想の内容は、
自分が長らく感じていた『最高の勇者としての在り方』と
先日のアニメ最終回の多くの人たちのTwitter感想を見て考えたことを書きました。

 

作品への感想、考え方、見方は人それぞれで、
シーンの事実をとらえたり、
そのシーンから先への期待への感情を堪えきれず声にしたり、
ネガティブでもなんでもそれは自由です。

 

皆が本作『ダイの大冒険』を視聴してきて
そのダイが勇者となった象徴の剣と、
それは彼が生きていて、いつか戻ってくるという証明。
このラストシーンにたどり着いたのですから。

 

ポップ達とレオナのように、
ダイと『ダイの大冒険』を愛する気持ちは一緒なのだから。

 

いろいろ書きましたが、
それも言っておきたいです。

 

では、
勇者アバンと獄炎の魔王や、
魔界編といった続編のアニメ化についての可能性が示唆されていますので、
ふたたび勇者たちが帰ってくるその日のために……
それぞれの大切なモノを守って行きましょう。

 

二年間のダイの大冒険の再アニメ化と、完走。
スタッフとキャスト、制作に関わったすべての人たちへ
ありがとうございました!!!!!