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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「改めて公生の母の幻影の意味を考える。『四月は君の嘘』第9話感想・改稿」

 

アニメ『四月は君の嘘』の第9話の感想の改稿文章になります。
おつきあいくださると幸いです。

 

アバンは絵見の幼少期がより詳細に描かれています。
これによって公生の演奏に衝撃を受けた絵見が
ピアニストになることを選んだその選択の重さと、
だからこそ公生に執着する気持ちもよく分かると思います。

 

だた、その過去の描写も原作からいくつかカットされたところもありました。
それは絵見が見せていた数々の才能。

 

男の子のようにサッカーをすれば無回転シュートを蹴り、
絵を描けば先生に「ハラショー」と驚嘆され、
鉄棒に運動会の徒競走、
文武にとどまらず様々な才能の輝きをみせるロリ絵見。
この八面六腑の活躍がカットされていました
(尺の都合か、監督や演出さんの展開の重視するポイントからでしょうか)

 

アニメではその功績を示す賞状や愛用の品などのアイテムを放棄する姿が描かれています。
彼女が無限の可能性よりもピアニストになることを選んだ象徴的な風景ですね。

 

幼少期に演奏会を観に行き、公生の指がピアノの鍵盤に触れた時、
絵見にとってのピアニストとなる運命は決まったと彼女は述回する。
演奏会の帰り道、茜色の空のしたでジャングルジムのてっ辺で、

 

「ピアニストになる!」

 

と某麦わら帽子の海賊少年のように自らに誓う程の
公生の初演に感じた衝撃だった。
彼女は公生の演奏に魅せられた一人で、

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©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会 

 

号泣するまでに感動して、自分の他にやりたいさまざまなことをかなぐり捨てても
ピアノを選んだ。
壮絶ともいえる幼少期の体験。
運命を変えられたとも言えますが、
しかし自分でいくつもの可能性の中からそれを選んだえみりんは一味違うとも言えます。

 

それでもこの才気あふれる少女にここまでのインパクトを与えた
有馬公生という少年こそ、本当に只者ではない麒麟児だったということかもしれません。

少女絵見は落合先生のもとでレッスンを開始。
まだ若干若かった頃の先生の前でもじもじする絵見ですが、
これは別に人見知りというわけではないのでしょう。
先生に優しく名前を訊かれて彼女が開口一番で口にした台詞がそれを語りますね。

絵見が言いたかったのは自分が何者かではなく、それはきっと彼女の夢。

 

「聴いた人が私もピアニストになりたいって思ってくれるピアノ、私にも弾けますか?」

 

公生のピアノからそういう希望を抱いた幼い絵見は、
ピアノを始めるにあたってまずこれを問いたかった。
でも、会ったばかりの、しかもこんな小さな自分が大それたことを言って、
変に思われないだろうか?笑われたり否定されたりしないだろうか?
という逡巡があり、それで言うかどうかでもじもじしていたのでは、
と改めて考えます。

 

以前の第7話の感想改稿で書きましたが、
公生が心のなかで感じていたチェルシーの幻影や、
チェルシーの出来事は彼の自己表現の怖れのようです。
そうした観点から本作を見ると、この作品は演奏や実生活においての
若く幼い彼らの自己表現、自己主張についてが描かれているとも言えます。
絵見はその点で、自らのピアノに対しての夢を口にすることについて
いっときの迷いはありましたが、自らの希望に対しての逡巡を振り切って口にした、
そして彼女の最初はとてもつたなかったピアノは始まったわけです。

 

(この自己主張、自己表現に関していうと、
かをりの音楽が自由だと公生が語ったように、
かをりは自由に自己を表現していました。
公生はだから、恋心かどうか以前に、かをりの自由に演奏する姿に
自己主張が出来ない、怖がっている人間として『憧れた』
という面もあったのだと改めて考えます。
だからこそ、彼女の自由に自己を表現する音楽と、
それが導いた最高の瞬間に憧れた公生は自己表現をすることに踏み出した)

 

これほどまでのピアノに対する思い入れが
絵見が今も公生に拘る理由のひとつだったわけです。
その幼い公生の演奏は『ひまわりみたい』だったのですが、
公生はその演奏をなりを潜めさせ、譜面通りの
今の絵見いわく『技術があるのにクソつまんねー演奏』をするようになったわけで、
前話でかをりが絵見の演奏に感じた寂しさのわけも分かるというものです。

 

第8話のかをりなどが見た色の解釈について少し触れます。
『赤』と『黄色』で『怒り』と『寂しさ』だとかをりは解釈。
これがどういうモノかを考えると、
色彩心理学の観点で少しみると、
赤は怒り、黄色は楽しさなどを表わすのが基本的な解釈のようです。
『寂しさ』は青色であり、しかしかをりは黄色を寂しさと解釈しました。
これはどういうことか?

 

思うに、公生のピアノに感じた『ひまわりの花のカラー』=『黄色』が、
絵見が衝撃をうけた公生のピアノの印象となっていて、
時間の経過にともなってヒューマンメトロノームと呼ばれて行った公生の演奏に
そのひまわりの色が褪せて行ったことが、
絵見にとって『寂しい』という感情だったのではないか?
かをりはそこまで解釈したのではないか?と考えられます。

 

これでいくと、かをり自身も過去の公生を少なからず知っていたことから、
公生がヒューマンメトロノームとなっていることについて少なからず思うところがあり、
絵見の心情が理解できたのでは?
とも想像できるのではないでしょうか……。 

 

絵見にとって公生の演奏は『黄色』であり、その黄色への絵見の想いが『寂しい』から
その演奏の色は『寂しさ』が黄色だったのでしょう……と考えることもできます。
(新川先生の意図はどこでも語られていないようで、自分の想像の域であり、
他の君嘘を愛する方々の他の解釈もそれはそれで良いと思います)

 

しかし、公生が黄色だというのは、公生が卵サンドが好きなことからも
面白いといえるかもですね。
黄身ですね。黄身なんだよですね。

 

「わたしはあの子みたいにピアノが弾きたい。
あの子と同じ舞台に立ちたい。
そしたらきっと、あの子と同じ風景が見られるから」

 

先生が問う、ピアノをどう弾きたいのか?
に応える絵見は、
憧れの人の世界を、大切にしているモノの共有を望んでいる、
幼いながらの恋心のようにも感じられますね。
または心が震えて魅せられた境地に自分も至ることを望んでいる負けん気なのでしょうか。
自分もあんな風になりたいと憧れた姿。
純粋な希望ですね。
絵見にとって公生の演奏とはそれだけのモノ。
だからこそ公生へのその想いを、
あの本当の有馬公生の演奏が戻ってこいと、
ありったけの情熱的ピアノに込めて「響け」と演奏を終えた絵見。

 

言葉は蛇足で
「想いは全部、ピアノに込めたんだから」
情熱的でありながら粘着ではない、
絵見の性格と演奏者としての在り方が素敵ですね。
隣で絵見と公生のやりとりを見ている武士の様子が和みです。

 

そしていよいよ公生の演奏の番が回ってきます。
久しぶりの演奏の舞台に緊張はあることでしょう。
それに加えて音の聴こえなくなる症状がでてくることへの怖れ。
加えて今回は猫の幻影など公生のピアノにまつわる影の部分がちらついていて、
ただでさえ問題の多い彼の足をさらにひっぱることが予感されます。

しかし、怖れを振り切り演奏に向かう公生ですが、
これには多くの人が彼を見て思っていることがあります。 

 

「きっと針は動き出す。
時間は動き出す。
前に進むと信じている」

 

とかをりや椿が思って応援しているように、 
ライバルである武士と絵見でさえ演奏で公生が怖れを振り切って
再びピアノを弾くことを望んでいる。
そう望んでいる二人の想いあふれる懸命な演奏が心を揺さぶり、
公生を前に進めと突き動かすのです。

 

それに公生は、自分が自己主張に憧がれてそのために練習した
今の自分のピアノを試したい自身の血の滾りも知って、舞台のスポットライトへと踏み出した。

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  ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

けれどピアノはどうしても昏い思い出の母を連想させて、公生はピアノを見ただけで威圧を感じる。
それでもかをりや武士、絵見といった自分を心震わせる演奏家たちも、
同様に怖れに立ち向かっていることを勇気に公生も進む。
演奏開始。


現れる母の幻影とは?


序盤の公生の演奏は、しかし譜面を正確無比になぞるこれまで通りだった。

この演奏に対して、武士は公生に感じていた無敵にして孤高の技巧派ピアニストの再来に歓喜し、
絵見は苛立ちを感じていた『ヒューマンメトロノーム』の再出現につまらなさそうに仏頂面をする。

 

公生自身の感触では、弾けてはいる。
けれど、自由に自己を表現するかをりに憧れ、その結果の素晴らしい光景を目指した公生なのに、
自己主張をしようとしたはずなのに、
ここにきて採った演奏法は
『自己主張をしなかった、怖れていた、母の言いなりの演奏』だった。
 

これでは今迄と同じ。
それを見透かしたように影が、囁く。

 

「それでいいのよ」
「そうしなければ勝てない」
「お母さんのためにまた1位を獲ってくれるんでしょう」

 

かをりの自由の自己表現に憧れた公生は自己主張の演奏はしたい、
しかしコンクールで勝つことを目指すのならば、
母の仕込んだ技術至上のヒューマンメトロノームの方が実績もあってより確実。
公生の心はぎっこんばったんから、
ライバルたちの素晴らしい演奏を見て、
『勝つこと』を望み、そのための最善として『ヒューマンメトロノーム』を選んだといえる。
現れた母の幻影は
公生のそうした内面、無意識をありありと表しているととれる。

 

病気の母を元気づけるためにと公生はコンクールで勝ち続けた。
だが母親の早希は公生に苛烈な仕打ちを与え続ける。
思わず洩れた公生の反抗は、
椿や渡と朗らかに笑っていたあの少年がこんな鬼のような顔をするのかと思えるモノだった。

 

母を思って酷い仕打ちにも
『病気の母を元気づけるため』という自分なりの理由を作って耐えてきた。
椿たちと遊びたいけど、母がレッスンをするからと
それを口に出さず従ってきた。なのにこの仕打ち……。
ついに耐えかねた公生はそんなことを言ったら母の心身に障るのではという
悪逆が口をついて出ていた。

 

そのまま母は亡くなったことに公生は罪悪感を抱いている。
その罰としてピアノの音が聴こえなくなったと思っている。
罪に対する罰として。

 

ですが、結局のところそんなモノは自分が決めているモノなのだと思います。
この母の影も、彼自身が産んでいると言えるのでしょう。

 

公生はそれまで母の言うがままに従って自己主張をしてこなかった。
そんな彼が自己主張したのが母への悪逆のような言葉だった。
それによって母は傷つき、病が悪化して亡くなったのではないか?
と公生は意識的には無意識でか思っている。
ここに公生の大きな悔いがある。

 

第7話のチェルシーの幻影について考えるときに、
公生のなかで『自己主張しなかった悔いでチェルシーと母の幻影が現れる』とし、
けれど母の幻影が現れる悔いは、チェルシーのモノとは別ではないか?
と少し触れました。
ここから見ると、母の件でも『自己主張』が絡んで公生の悔いとなっていることが分かるかと思います。

 

公生にとって、母へ怒りから振り絞って出した自己主張でしたが、
それは苦い経験となり悔いの種となった。
だから自己主張することは『怖い』

 

もう少し追って潜っていきましょう。

 

今、かをりに憧れて自己主張の演奏をしようとした時、母の幻影が現れたのは、
チェルシーの幻影が『自己主張への迷いと怖れで』であったなら、

これは今またヒューマンメトロノームの演奏をしてしまっている公生が自分自身で
「これではいけない」ととがめて自己主張のピアノにしようとした時に、
しかし自己主張をすると母のことのような『悔いることになる』という経験則が疼き、
無意識が自己主張しない方が良いのでは?と足を引っ張てくる。自分で自分をセーブしている。
母の幻影は足を引っ張ることで
『後悔するかもしれない自己主張をしないようにする』働きをしているといえる。
つまり、母の幻影は『自己主張することで悔いることへの怖れ』の象徴だと考えます。
母の幻影とは『自己主張することで後悔するのを怖れる心』の象徴。ではないか。

 

誰だって、言いたいことを言った結果、周りから否定されたり嗤われたりすると、
こんなことしなきゃ良かったのではないか、と悔いたりもすると思います。
公生は今、自己主張することをし始めて、しかしそれをすることで
母のことのように悔いることになるのを怖れている。
それを悔いないためにどうしたらいいか?となった時に、
これまでよくしていた『言い訳』が公生の内で影の形をとって表れてきた。
自己主張したい、でも後悔するのが怖いから、そんなとき母の声がこうしたらいいと囁く。

 

それが母の幻影の意味。
今回の改稿にあたり、改めてそう解釈します。

 

公生の『自身のピアノの音が聴こえなくなる』症状の理由はまた別の機会に。
これもまた母の存在が絡んでいるのですが、
今回は公生の自己主張の足を引っ張る存在としての母の幻影の解釈にとどめておきます。

 

結局のところ、
これらの症状は感性豊かで天才とされる演奏した公生の精神が自ら作り上げているということで、
彼が抱える問題に対して無意識のなかで怖れの感情からそれらから逃げる、
『向き合うことから逃げる言い訳』としてこれらの幻影や症状の形をとっているのと考えられ、
ならば公正はつまり、自分自身に勝てるのか、ということがこの影との闘いの注目点になりそうです。

 

母の影を振り切り、自分が今望む自己主張の演奏を全うできるのか。
それをさせる理由……言い訳を振り切る理由は彼のなかにあるのか?
今の彼なりの理由はできるのか?

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

またしても演奏中に公生の音は聴こえなくなり、
昏い海の底に沈むなかでの、以下次回……!

 

ではまた君嘘の感想記事で。