1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「また一緒に……届けた先に向かって。『四月は君の嘘』第18話感想・改稿」


アニメ『四月は君の嘘』の第18話、
公生と凪の連弾の回の感想、改稿文になります。
おつきあいいただけると幸いです。

 

始まる凪と公生のくる学祭の舞台から冒頭は開幕。

 

公生がくる学祭に出たいと凪に申し出てきたとき、
紘子さんも凪の舞台であり無茶なことを言っていると反応しましたが、
けれど凪は

 

「予感がしたんだ。
何かが変わるかもしれないって」

 

と、自分の現状を打破するきっかけ、
ブレイクスルーになるような予感を抱いていたようです。
だからこそ、寝食を忘れて弱い自分と向き合って泣いてわめいて吐き出して、
ピアノに時間を傾けてきました。
その凪と公生の演奏の舞台がいよいよ始まります。

 

果たして二人の共演は、
彼らにとって――そして彼らの想いを届けたい人にとって、
何かが変わるきっかけになるのか?

 

ピアノ連弾「チャイコフスキー “眠りの森の美女”より 「ワルツ」」

 

凪の演奏はしばらくの間で周囲が驚くほどに上達していたようです。
ピアノとそれと向き合う自分という、
深淵を覗いた凪の演奏に文化祭ので観客たちはを驚かされます。

 

ですがその隣では、
自身の音が聴こえることで公生にはそれが、
出だしからのこの時点でまだ
公生が心で肯定した『母の「愛の悲しみ」のような音』ではないと
感じたようで、彼は『自分はまだ集中できていない』と自らの演奏を判断したのでしょうか、

自らの意識で聴こえていた音をoff状態に切り替えます。

 

これは考えようによっては、
以前は無意識で『母に従った譜面通りの音』を自ら聴こえなくしていた公生ですが、
その母のピアノを肯定し、
音が聴こえなくなる症状を理解した公生は、
その症状を使いこなすようになったのかもしれません。

 

紘子さんの導いた、
『心の中の心象風景にある音』を優先させてそれを再現することが
公生にとってのベストの演奏で、
そのためならば聴こえなくなる症状を半ば意識的にコントロールして
必要な音のために意識が受け取る聴覚的な音をoffモードにする。

 

もしかしたら、公生はガラコンから凪との練習の期間のあいだに、
自分で何度も譜面をさらううちに、
その手法を少しずつ身に着けていったのかもしれません。
最初は気付くとなんとなくそうなっていたのを、
少しずつ意識的に「やれるかな?」と試していった……とか。
それで連弾のころには使いこなすレベルになっていた……とも
改めて考えます。

 

もはや障害という逆境から得た必殺技ですね。
君嘘って少女漫画か、という評価もあったようですが、
結構少年漫画もしているのかもしれません。

 

そんな公生のoffモードからの演奏の音の激変に、
観客だけではなく
自分の演奏に調子の良さを感じていた凪も驚かされます。

 

このピアニスト、有馬公生の真髄に、
ですがここで凪も一歩も退かずに
「上等!」
と喰らいついていきます。

 

この辺から凪の公生に対しての戦っているモノローグが
すごく熱いのです。 
可憐な容姿に似合わず熱いハートがまた良い。
そういうところにもこの回の少年漫画っぽさを感じます。
 

もともと公生への遺恨から小悪魔な隠れた本性を持って近づいてきた凪ですが、
公生とのピアノのレッスンを通して
自らの抱える悩みで苦しみ、
逃げ出してしまった当たり前の小さな女の子の弱い部分も見せながら、
いざ本番でのこの熱い様子は

 

思わず「凪、頑張れ……!」

 

となっちゃいます。視聴者を惹き付けますね。
 

演奏中、
公生の先日のお願いでしょうか、渡が携帯電話で演奏を通話しています。
その先では病室のかをりちゃんが公生たちの演奏を聴いている。

くるみが丘中の音楽講師の男性が、
凪と公生の演奏を評価しています。

 

二人とも良い演奏だが、公生が特に良い。
連弾相手の性格を知り、尻を叩き、調子を乗せている。

 

これは公生がかをりにされたことでもあると言えます。
当たり前ですがかをりとの時間が無駄ではなかった。
公生のなかにかをりの色々な言葉や行動が生きていて、
それがここで凪を成長に導いていることに、
本作の『音楽で繋がっている』をまた感じます。

 

そして、この連弾は
『二人のワルツ』

 

その表現はとても素敵なのですが、ここで思うのは
一緒に踊っている公生と凪が、
それぞれにの心のなかに思い描いている人物が違う、
ということです。

 

本来、連弾や共演というと、
お互いが心を通じ合わせた一体感が大切なように思います。
そうして二人でひとつの演奏を奏でる。

 

けれど凪の今の熱いファイティングスタイルに見て取れるように、
そして公生の容赦なしの
自分の演奏はこのレベルだ、ついてこれる?
という自己主張のし合いのこの連弾は、
かつて「まるで殴り合いだ」と評された
かをりと公生の共演を思い起こさせます。

 

この連弾は、かをりと公生がその『殴り合い』で
観客を沸かせる最高の演奏をしたことと同じ予感がします。
ここまでの殴り合いだからこそ、
この連弾は加速度的に
階段を駆け上がるようにボルテージをあげて聴く人を魅了して、
その心を揺さぶることになるのではないか、と。

 

だとしたら、この連弾を聴いている
凪と公生にとっての想いを届けたい人に、
それは届くのか……?
 

この「チャイコフスキー「ワルツ」」は
跳ねるような音と駆け上がるようなリズムのアップテンポの曲で、
とてもテンションがあがる曲だと思います。
OPテーマ『七色シンフォニー』の二番歌詞でも

 

チャイコフスキーは勇気をくれる音」

 

としていますが、まさにその通りだと思います。
そしてこの勇気の音は、
届ける勇気と、そして
届けたい相手へ勇気を与える音なのかもしれません……。

 

二人の昂まりとともに演奏は終演。

 

そのさなか、公生と凪の共演に突き動かされて、
かをりは病身でエアヴァイオリンをしていましたね。

f:id:itotetsu241046:20200110171823p:plain

 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

 

演奏が済み、かをりの頬を伝った涙は、
自らの諦観へのくやしさか、
公生とまた演奏したいという切なる思いか。

 

公生と凪の殴り合いの精一杯のメッセージは
かをちゃんの心に何かを届けることが出来たのか。

 

ここで演奏後の会場の万雷の拍手がとても熱いです。
以前、紘子さんが凪に言った

 

「その先にチャラになる瞬間がある。
悩んで、わめいて、苦しんで、もがき続けた数か月、
何もかも報われる瞬間があるの」

 

深淵を覗いて必死にピアノに向き合い傾けた時間が
今まさに凪に報われた光景で視聴者にも震えがきます。
同時にこれは、公生が求めた『忘れられない風景』でもあり、
凪と公生にとっては『音楽が届いた瞬間』でもあります。

 

そんな光景を前に凪は、
大きな拍手と歓声に包まれて笑顔になり舞台をしめながら、
音楽が言葉を超えて伝わったか?
を思います。

 

共演終了後、舞台裏で公生は藍里凪だと思っていた相座凪の
兄の相座武士を紹介されて面食らいます。

 

そこは視聴者にはようやくであり、
公生がすんなりそういうことかと受け入れることで
大した問題ではなかったと処理されます。

 

それよりもいきり立つのが武士の方で、
何故妹の凪が公生と連弾をしているのか、
仲良さそうにしているのか、
凪が武士をいさめて公生の肩をもつことなどに
武士は妹を奪われた男泣きで走り去り……と思われましたが、
そうはしませんでした。

 

振り返り、公生に宣戦布告をする武士は、
迷いを振り切り加速して前に進む決意に満ちていて、
凪はその姿にかつての自分のヒーローの姿を重ねます。
これは自分の想いが言葉ではなく演奏で少しでも伝わった結果なのか……?

 

それを肯定してくれる公生に、
凪は泣きながらお礼を言うのでした。
最初は敵視していた遺恨ある公生に対して。

 

うーん、有馬公生被害者の会の会員が増えたな。

 

 

f:id:itotetsu241046:20200110171828p:plain

 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

ときに、終演後に紘子さんが公生に、
「人が成長する姿を見るのはたまらないでしょう」
といって公生に凪のレッスンをさせたというのが描かれますが、

 

ここについて改めて思うのが、
人に教えるというのは、
自分の持っている力を誇示して優越感に浸ることでは当たり前ですがなく、
むしろ人に教えることで自分の持っているモノを確認する作業で、
それで相手が成長して成果を出して、喜んでいる姿を目の前にすることは、
自分の力と確認作業をしたこれまでが正しかった、意味があったと
教えた相手に証明してもらった、肯定したもらったこともあると思うのです。
それはお互いの喜びになる。
これは同時に、公生がかをりに憧れて変わった何か、成長したことが
凪によって肯定されその力を証明された、
他者に教えることで公生とかをりの時間が結実したともとれます。

 

人に教えることは、
これまでの自分の経験と時間をそ相手を通して、
一緒に確認し、肯定する作業でもあるのかもしれません。
だから、教えた『人が成長する姿はたまらない』
ということかもしれません……そう、改めて思います。

 

そして、そこに共同作業をした時間も手伝って二人に絆が生まれる。
ここでも『音楽によって繋がっている』が感じられると思いますし、
この凪へのレッスンを通して公生に新しい繋がり、
互いに認め合う価値ある人間関係という、ある種の『幸せ』ができたことになります。
そういう狙いで、公生に幸せなピアニストになって欲しい紘子さんは、
凪のレッスンを公生に任せたという面もあったのでは……?とも
この改稿で改めて思います。

 

そんな新たな絆を作った公生ですが、
彼は今、一番の大きな存在であるかをりのもとを訪れ
自らの意思を告げます。

 

「心中はできないよ」

 

きっぱりと、ある意味のラヴコールにノーをつきつける。
これも一種の空気や状況にながされない確固たる自己主張。 

そして公生は続けて、

 

「もう一度チャンスをください。
君と肩を並べるチャンスをください」

 

「もう一度、僕と一緒に弾いてください」

 

と自身のかをりへの想いを言葉にします。 

 

かをりのあきらめを知るからこそ、またかをりの存在が大きいからこそ、
その彼女の心に公生は再起を願う。

 

母のようになっても欲しくないというのもあるのでしょうし。

 

それ以上に、かをりとまた音と心を重ねることを公生は望むのでしょう。
かつて二人で生み出した『忘れられない風景』をまた二人で経験したいと。
 

ここまで毅然とした自己主張。
かをりの演奏に自由と自己主張をみて憧れた公生は、
己の自己主張の迷いであるの黒猫の幻影との闘いを経て、
母への誤った自己主張の後悔も融解させて再起し、
凪にも遠慮容赦なしの自己主張で彼女を成長させ、
そして今、それを促したかをりに精一杯の自己主張をした。
 

そうさせたのは、君なんだよ……(泣)

 

この辺を想像すると、かをりの存在を大きく思う公生の気持ちに
たまらない気持ちになります。

 

「君は王女さまじゃない、
僕はラヴェルなんか弾かない」

 

という公生のセリフ。
いちご同盟』で主人公がヒロインに弾いてみせた曲、
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ
を弾かないというこのセリフは、
かをりの結末が『いちご同盟』と同じになることを拒否し、
彼女に生きることを望み、願っているという公生の想いと決意の表現なのでしょうかね。

 

公生はかをりに、生きて欲しいと強く願っている。
それを言葉だけではなく、
連弾で、音楽で伝えようとした。
またあんな共演をしようよ?したくない?
という提案。
 

あきらめかけていたかをりに生きる希望と、あがく目的を与える意味もあったのだと思います。

 

かをりは公生の言葉に
ここまで深刻な病状で希望をもって、また立ち上がってくれという公生に、
残酷だと言うけれど、
それでも、

 

「また、君とワルツを」

 

とかをりも欲を出し、また夢を見たいと望みます。

 

世界がモノトーンだった公生がかをりによって変えられ、
今度は公生がかをりを変えた瞬間に震えます。

 

果たしてかをりの願いは叶うのか。
彼女の病状の今後は。
そしてこれからの展開は?

 

あと4話です。
いやあ、「ワルツ」の回は本当に熱くて泣けてカロリーを消費します。
今回の視聴でもたぎって、泣いて、かつぐったりでした。
けど、それを通して活力が湧くのです。
自分の元気になりたいときに見るテッパンのアニメの1話のひとつでもあります。

 

ではまた、君嘘の感想記事で~。