1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「今期最高峰の良アニメ『宇宙よりも遠い場所』最終回を直前にした感想!」

女子高生が南極を目指す。

2018年頭からそういうアニメが始まると知り、

さてどんな作品かと興味がありました。

けれど、いざ放送開始してみると、

諸々のタイミングが合わず視聴し始めることが出来ず、

2月が終わろうとしていました。

そもそも、

南極観測隊の中で消息を絶った母を探そうという粗筋のこの作品、

自分の中では、

最終回辺りで母は帰らぬ人であるという現実を突き付けられるのは

当然ではないか、という想像があって、

(だって、南極のブリザードや氷点下何十度という世界で

一人取り残されて、何年も生き延びることが出来るとは

ちょっと現実離れし過ぎています)

ああ、見て行くと絶対気分が沈むことのあるタイプの作品や……

と、気後れるする思いがあったのもあります。

けれど、Twitterでフォロワーさが毎週、

画像付きで感想をつぶやいてくれていて、

その南極到達回、STAGE9の感想で、

主人公たちが南極に到達してこれまで馬鹿にして来た人たちに向けて

「ざまあみろ!!」

と叫んだ、という記述を見て、

ああ……これは自分のフィーリングにマッチするフレーズをいってくるな、

という気配を察しました。

そして、ネガな要素があっても見てみたい……!

と考え直し、

遅ればせながらバンチャンさんでなんとか視始めることにしました。

よりもい

それが3月3日でしたね。

それからは濃密な3週間でした。

全話を追いかけて、速攻で気に入ったテーマ曲CDも購入。

Twitterで遅れながらも感想をつぶやいたり、

興がのって寒いギャグのファンアートも描いたりもしました。

(興味ある方は⇒https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=67838420 )

さて、では本題の感想に行きましょう。

中心はSTAGE11。日向の友達への対応関連からです。

では、

いま行くー!

日向の旧友の描き方はあれで良かったのか?

人を傷つけたら、

それは物理的な攻撃であっても、それが言葉であっても、

やったという事実は消えません。

これは、なによりも被害を受けた側が

傷ついたことが消えない、

取り返しがつかないということですよね。

自分も学生時代に陰湿な嫌がらせを受けていた人間なので、

それには実感があります。

それについての現在は、許す許さない以前に、

過ぎたことなので、今を生きていますが、

けれど、当時のその相手たちと今面と向かったのなら、

カチ殴り蹴り殺すことを腹に据えているくらいには、

(まあ、自己主張を辞さない成長をしたので)

当時の面子には嫌な思いをさせられましたし、

その記憶って、残っているんですよね。

で、宇宙よりも遠い場所(よりもい)の主人公たち女の子の一人、

三宅日向ちゃんですが、

アニメを視聴した方はご存知でしょうが、

かつての部活の友達たちの裏切りにあっています。

本気で陸上を行うことを後押ししてくれると言っていた友人たちは、

いざそれで上級生を押しのけて日向が選手に選ばれると、

先輩の怒りと追及怖さに手の平を返したわけです。

明確な裏切り。

に飽き足らず、彼女たちは悪いのは日向の方だという

裏付けの悪い噂を流す始末。

これで、日向はこの友人たちや彼女たちのいる学校に

厭気が差して、学校を去ったわけですが……。

その旧友たちが、南極に行った日向を誇らしく思う、

と言って連絡を取って来たんですね。

その顛末はアニメをご覧になった通り。

陸上部の旧友たちを許さずばっさり拒絶しています。

Twitterの感想を見ていると、

報瀬の激しいモノ言いを受けての

彼女たち旧友の反応を描かなかったことで、

彼女たちを悪役にしたことなどを

巧いと取る人たちと、旧友の気持ちは?

と取る人たちがいたようです。

ここについての自分の考えをちょっと書きたく思ったのが

(遅れ馳せですが)

今回の感想の主旨です。

『良い作品は想いが募って何か言いたくなるものである!』

なんて日向のような名言(おいおい)を書きつつ。

      ❁   ❀   

日向の怒りぶりは、ご覧になった通りです。

今さらなんだよ、

あの時、自分の手を放して、

突き放して勝手しておいて、

今さら好きなこと言ってんなよ。

ふざけんなよ!

そんな気持ちを感じます。

この気持ちに迎えに来てくれる人がいない

ひとりぼっち感。

日向も、そして結月も、

向こうからわざわざ迎えにきてくれる程の

そんな友人を求めていたようにも思います。

(だから結月には、

代弁というカタチで日向を迎えに来てくれた報瀬に、

「友情じゃないですか!」と感じたのかも)

話を戻して。

それを過ぎたことだから許してあげる。

とか、

相手も人間だから間違いを犯すし、

あなたもその人間だからお互い様にしなくちゃならないんだよ。

という考え方もあるにはあります。

人に優しい大人の考え方ですがね。

日向も、かつて報瀬たちに

『悪意に悪意で向き合うな、胸を張れ』

と言っていた通り、

そう自分自身にも言い聞かせて、

彼女も過ぎたこととして、

大人に寛大に考えるべきではないか、

大きな心で許すべきではないのか、

と思ってはいたのかもしれません。

でも、報瀬の手を取り告げたように、

「まだ、怖いんだよ」

面と向かってしまったら、

恨み言を吐き出して、醜態を晒すかもしれない。

それだけではなく、

今度は自分が相手を傷つけてしまうかもしれない。

自分の怒りや哀しみが、どうでるか分からない不安。

それに、あんなことを平然(かどうかは定かではないですが)

とやってのけた相手が、

本当に自分に悪いと詫びる気持ちで連絡を取って来たのか?

本当は、女子高生の年齢で南極に来るという

とんでもないことをやってのけた自分に便乗して

良い気になりたいだけではないのか……。

そんな疑念も浮かぶ。

旧友たちへの日向の黒い感情。

かつて当たり前の友人として接したていたようには

もう出来ない不安。

そういったあれこれがない交ぜになって、

日向は旧友と向き合うことが怖かったのかもしれない。

それにですね、

先述の大人で優しい許し方って、

言ってみればこれ、

赤の他人の第三者のモノ言いでもあるんですよ。

自分が思うのは、このエピソードで描くべきは、

日向が一人で許して大人になることではないのでは、

ということ。

安易に手の平を返すような奴らじゃない、

本気の本当の友達が親身になって、

一人になった日向を迎えに行く事だったのではないか。

そんな気がします。

だから肝心なのは、

過去、既に加害者だった側も人間だという慈悲の許しではなく、

まずは、

日向が、本当は傷が消えずにまだ抱えているということで、

(もともと明るい子だったのか、

それとも今の明るさがその影を意識的に振り払おうとする

カラ元気だったのか……

だとしたら日向ちゃんが愛おしすぎる)

報瀬とキマリの

「今の日向には自分たちがいる。彼女はもう過去から踏み出しいている」

「人を傷つけたんだから、そのもやもやした気持ちを抱えていきなよ。

それが人を傷つけた代償だよ」

「ざっけんなよ」

の言葉――日向の気持ちの代弁で、

過去と今の日向を救うことになったのが、

日向にも報瀬たちのも、作品にとっても大切だったのでは……。

よりもい3

旧友たちのフォローは

日向の傷を労わることにはならないし、

何より、日向にとっては彼女たちは

「友達だったんだー」

なのですよね、今となっては。

明確な悪役にしたと言わば言え。

人を傷つけた人間への代償として、

安易な『大人の優しい救い』は与えない。

それが、報瀬が告げた拒絶だったのかもしれません。

報瀬の選択。作品の掬うべきキャラの選択

もうちょっと、続きを書かせて頂いて……、

この物語は、報瀬が迎えにいく物語でもあると個人的に思っています。

南極に行って、待っている母を迎える。

その過程で迎えに行ったキマリなどの人たちと繋いだモノが

今度は報瀬に報いるような、

そんな構図が出来上がっているとも取れています。

というかね。

先の話をもう少し言うと、

報瀬の言を受けた旧友たちの気持ちはありますが、

彼女たちの扱いは

『ざっけんな!』なんですよ。

人を傷つけた人間にまでこちらが善人に大人になって

救ってやることはない。

この作品は理不尽との向き合いも描かれていますよね。

その一つが、

日向の受けた旧友からの扱いであり、

報瀬はその理不尽に立ち向かってああ言った、

とも言えます。

理不尽を呑み込んで自分を抑えつけて

大人な振りをして生きるのではなく、

理不尽にちゃんと自分なりに立ち向かう。

そういう明確な線引きをしているんですよね、

報瀬の作中の数々の言葉は。

だから、作品としても旧友の気持ちは描かなくても良かったように思います。

そこで旧友の気持ちを描くと、

理不尽を許すことになって、

作品や報瀬の行動原理が

揺らいでしまうということかもしれないんですよね。

ここで日向の許すという考え方を肯定するのは、

報瀬にとっては一面で、

理不尽を呑み込むことでもあったのかもしれない、

ということです。

それに、

報瀬が理不尽に立ち向かっているのは

自分の性格と

大切な誰かのためです。

現実の理不尽や不可能というクソさを

ざっけんなとブッ飛ばす何かしらの原動力を持っています。

ここが大切。

あと、

この物語でフォーカスされるのは

『誰にでも優しく』

ではないのかも。

南極のように厳しく来る者を選ぶような、

『理不尽と真っ向勝負する人』たちなように思います。

その報瀬が、理不尽に辛い目にあった日向を助ける姿と、

優しくされることに甘んじようとする世界に生きる旧友たちの姿と、

作品がどちらにフォーカスするのかは言うまでもないのかもしれません。

くどくなりますが、さらに言うと、

お互い様だよな、私もそうなったかもしれない、

と大人になって許すことをして、

旧友との関係を再開したとしても、

日向の傷は残るし、

旧友と関わることでその古傷は癒えるどころか

徐々に疼いて来て日向を苦しめることになるかもしれない。

許したつもりでも、心のどこかにわだかまりが残っていて、

不満は募り、ある時爆発する、とかあるあるとも言えます。

だから報瀬たちの言葉は、

日向という友達に

「大人になりなよ」

と言うのではなく、

今はその傷を労わって、

そのために出来ることをしたのだと思う。

『今の日向には自分たちがいる

あなたたちとまた居ると、日向が苦しむかもしれない。

だから関わらないで』

――と。

そして、

報瀬は優しさを向ける相手を『選んだ』と言える。

彼女が厳しい人間だからこそ、その優しさを向ける相手を、

厳しく『選んだ』

名前も知らない、日向のかつての友人たち……

しかも、日向を傷つけた相手ではなく、

今、南極なんて地球の果ての宇宙よりも遠い場所まで

苦楽を共にし一緒に旅して来た

大切な友人である日向を『選んだ』のだ。

キマリが南極に行くことを選んで船に乗ったように、

報瀬もまた、選んだ。

そういうこともしれない。

ついでに言うと、

結月はキマリたちと南極に来て友達であることを選んだし、

日向は今の友人たちである報瀬たちを選んだ。

よりもい2

とまあ、色々書いてはいますが、

なによりも

よりもいと報瀬に感じて自分の言いたい事というのは、

「よく言った、報瀬!!( •̀∀•́ ) ✧」

に尽きます。

この子の言ってくれることに、いちいちパワーを貰える作品です。

進んでいく勇気。踏み出す勇気。立ち向かう勇気。継続する勇気。

そういうパワーや後押しが欲しい時、

欲しい人に、是非とも視て欲しい。

そんな力を貰える、そしてものすごく泣ける、そんなアニメです。

そんなよりもい、

そんな報瀬が、母の辿った結末を心で受け止めて、

そして何を思い、自らのこれからに何を選ぶのか。

さあ、アニメ史にその名を刻むとさえ思わせてくれる

むちゃくちゃ熱くて泣けるアニメ、

宇宙よりも遠い場所

本日の最終回をしかと見届けたいですね。

ね。