1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「巨大MAの大型模型から想像する経済面などのあれこれ。今週のお題「カメラロールから1枚」」

今週のお題「カメラロールから1枚」

 

 

今週のお題「カメラロールから1枚」で書かせていただきます。

 

このお題で自分がカメラのフォルダを見てみて、
ちょっと気になったのが、
昨年夏に催された模型展示会に参加した際に撮影した一枚。

 

f:id:itotetsu241046:20200504210923j:plain

 

こちらになりますが、
アニメ『機動戦士ガンダムUC』(ユニコーン
に登場する巨大な機動兵器、MAモビルアーマーシャンブロと他機体の模型写真です。

 

この写真、一見して大きな赤い機体とその周りの小さい機体が普通にとらえられますが、
シャンブロの方が模型、プラモとしては異様な大きさなのです。
周りのプラモは1/144と1/100で、それぞれ大きいモノで18センチ大です。
となるとシャンブロがいかに大きいかも分かると思います。

 

しかも、このシャンブロはMAとしてはまだ市販のキット化がされておらず、
市井のモデラーの方かプロの方が
プラ板などの材料でゼロからスクラッチビルドしたもののようです。
(詳しくは知りませんので、詳細な事情が間違っていたらすみません)

 

(スクラッチビルドとは、既製品を組み立てるのではなく、
材料などですべて、もしくは一部を自作する模型製作方法です。
デザインも自分でしたりもできますので、
大きさも各部の作り込みもその人の腕とセンス次第でどんな物でも作れます。
ただ、難易度は高いです、当然)

 

これだけの大きさのモノをスクラッチで製作する期間と作業量も尊敬に値します。
現地で生でこれを見られたのは、本当感動でした。

 

ただ、今回の記事は模型製作に関してではなく、
こういう巨大兵器を実際に作ったらどういう面での影響があるか、
などを想像して書いてみています。
では行ってみましょう。

 

製作費諸々、戦争はお金がかかる。

 

ガンダム世界の通常のモビルスーツのサイズはガンダムが18mほどが基本で、
(想像ですが、身長180cmの人間を十倍にして機械鎧を纏った感じでしょうか)
シャンブロは公式のデータで
水中巡行形態が77m、地上でアーム他を展開すると更に大きといえます。

 

これだけの大型機体です、
製作にかかる費用もアホほど高いのは誰でもわかると思います。
サイズからいってもガンダム級の5倍近く、
単純計算してもそのくらいの費用が掛けられているかもしれません。

 

さらに、この機体のための新機能を研究、開発にかかった費用、
この機体のための兵器搭載分の費用、
内部構成パーツは、ガンダム作品でたびたび描かれていますが、
既成機体の中破した機体からパーツを拝借して、
一部をジャンクも使って組むこともあるようなのですが、
しかしもし1からすべて純正品で品質重視で組んでいたらと想定すると、
さらにコストは高まります。

 

そして、ガンダム作品でも戦争で怖いのは、
戦闘力、破壊力の高い兵器にかかるとそんなお高いプライスの機体が
一瞬で使い物にならなくされてしまうことです。

 

もう、戦闘をモニタリングしていて
ビームライフルやミサイルで機体が蒸発したり爆散したりの瞬間は、
開発者やスポンサーなどは絶叫ものなのではないか?
とか思ったりします。

 

だからこそ、命を預ける機体という以外にも
大人の事情面でも古参の兵は愛機を大切にしているのでは、とか
もしかしたらメカニックの間では
整備するパーツも場合によって、
戦闘で傷ついたけど内部パーツ自体は全然使える機体などからも
経費削減のために流用しているのではないか?
とか想像したりもします。

 

だからこそ、そんな巨大な機体であるシャンブロ製造にかかった費用も並みではないでしょうし、
それが一人や二人のパイロットの手で破壊されたとなると、
そのパイロットへの恨みは大きいでしょうし、
軍や経済支援者(スポンサー、パトロン)の経済的打撃も大きいと思われます。

 

これは反面で、敵からすると高い金のかかった機体は
是が非でも破壊したいところなのかもしれません。
それだけ相手側の戦力と、その機体にかかった金に打撃を与えられるのですから。
……いや、それ以上にパイロットの命が失われるという人命、人道観点からも
問題なのですが、
けどそれを言ったら戦争自体はじめからやめなされ、
というド正論になってしまいます。

 

こういう経済効果も、それを云々いうこの記事も、
ある種、人間の愚かさそのものですので、
高尚な精神を期待しないで読んでくださると助かります。

 

マジメじゃない♪マジメじゃない♪ブログのこ~とさ~♪

 

それでも兵器を何故作るのか。

 

そんな人命、経済面などの愚かさは何百年、2千年規模の
人間の戦争の歴史をみれば、いくら何でも大抵の人はそりゃそうだ、
と分かっていると思います。
中国の戦争戦術の書、『孫子』でも、戦争のためのお金のかかりようと、
国と民の一大事だから、
賢いことを言うと戦わないで済ませるのが一番、と説いています。

 

しかし、その孫子の時代でも、そして今なお、それでも戦ってしまうのが人間で、
(そこには上の人が無能とか、金持ちのわがままとか、彼らの見栄とか、
他国と張り合ったり、民衆が扇動されたり、民衆自体が反乱を起こすこともあり、
様々なケースバイケースの事情があったことと思われます。
ガンダム世界も宇宙移民の権利獲得という理由がありますが、
ある種、国家の自主独立運動としての支配側との戦争です)
なんにせよ、そこでは多くの血が流れ、命が失われ、
それを利用して利益を得る人がいたとしても、
大切な家族や家や資産や、愛するモノを失って傷つき悲しむ人々が生まれるのが戦争です。
そんな愚かなことを繰り返しているのが人間なのです、悲しいことですが。

 

じゃあ、なんでそんな愚かなことをしているのか?
と少し想像すると、
人間が争う理由というのは昔から様々な人たちによって色々考えられていて、
心理学の父であるフロイト的には『破壊欲動』という死や破壊を求める本能が人間にはある、
とも言っています。
無論、この理論だけで片付くわけではなく、異論は多くあります。

 

他には、幸せをより求めようとすると、
人は心の闇が深くなる、
自分の幸せ、利益のために他人を傷つけたり、陥れたりを平気でするようになる、
ということもあります。

 

それに、自分は死にたくはない、生き残るために、
場合によっては不老不死のために何でもする、
どんな犠牲も払う、民など知ったことか、
という『自分だけは』という自己中心的な考え方からの争いは
昔から人間にあった心理です。

 

あと、個人的に思うのが、
人は格差や他人との比較からくる劣等感でも
他者攻撃をすると思うのです。
自分と比べてあの人が身長高い、美貌に優れている、賢い、
お金持ち、実力、実績があるetc…
そうしたことからくる劣等感を抱いて、嫉妬したり、
ネガティブな感情をごまかして
自分の心の平穏と自らの価値、ひいては幸せを守るためにも、
人は他者を攻撃します。
言葉のうえでの精神面でも、物理的な嫌がらせや暴力でも、さまざまに。

 

これは、そうして相手に打撃を与えて、相手を怯ませたり
足を引っ張ることに成功すると、
自分の力で相手を上回った、
自分の方が力がある、という優越感を仮初でも抱けるから、
そうした無意識の目的論で人は安易に、劣等感を抱いて妬んだ相手を攻撃します。
子供のころから周りの大人も同年代の周囲の人間もそれをやっているので、
自分がやってもまかり通ると、心のどこかで算段がついているから、
人は安易な場合、そうした卑怯な手段で自己を慰めようとして、
他者との争いの火種を起こすのだと思います。

 

あとは、復讐ですね。
幸せや大切な何か、自分のモノを奪われた、
または攻撃されて傷つけられたことの報復としてです。
それをしないと、損害に泣き寝入りするだけで納得いかないですし、
悲しみが癒えず苦しみ続けるからです。
復讐で相手を攻撃し返す、カウンターを食らわせることで、
奪われた何かの分の不足や欠損を、自らの内や物で取り戻す目的や効果があるので、
人は復讐心でも戦争します。
殺されたから殺し返す、同じ苦しみを与えて留飲をさげる、スカッとする、
奪われた分を奪い返してプライドや尊厳、屈辱や悔しさを解消する、
などですね。

 

さらに、人はプライド、誇りでも戦争をします。
国家の威信、民族の誇り、人の尊厳の回復など。
これは、ある種、劣等感と近いところを根にしていると思います。

 

相手の人間や国に対して、こちらが下に見られている、
それに値する態度、対応をされた、軽い扱いをされた、
となると、自分たちはその程度の人間だと軽く見られているという風に受け取るので、
それは国際社会では、周辺国家にも舐められて自国の価値や利益に関わりますし、
自分たちの下がった価値を回復するのも含めて
人はプライドを守ろうと相手に打ち勝とうとし、結果戦争行為にも及びます。

 

戦争、暴力、殺戮という外交手段には、
そういう様々な意図や効果、メリットがあるということですね。
人命やお金、資源や時間、信用といった損失のリスクは大きいのですが。

 

そんな戦争ですが、
規模が個人か、集団社会、国規模か、というだけで、
つまるところ一人一人の人間の集まりですので、
国家だからどうこうではなく、結局は人間のひがみ根性と意地から
争いに発展していることもあります。
そこで大人の精神で、見下してくる相手が人として幼いから
まともに相手しないでおこう、
とクールになれないで、意地になって相手を屈服させようとするのが、
昔からの誇りなどでの戦争の正体だと思います。
いっちゃ悪いですが、
昔から国の上の方で戦争を始めた人たちも、
結構メンタルと考え方が子供な人たちだったのだと思います。
いや、大人な人もいたのでしょうけど、
大半が未熟な喧嘩っぱやい意地を張る子供だったので、
(しかもそういうボンクラほど家が良くて資産や七光り、
人脈はあるから周囲が抑えるのがとても難しいという皮肉な現実は昔からある)
それを少数の大人の人たちでは抑えきれず戦争になだれ込んだのでは?
と個人的に想像します。

 

で、シャンブロのようなたいへん金のかかる兵器を開発して戦争を続けるジオンの人間は
どうだったのか?と考えると、
彼らもプライド、意地を重んじていた面もあると思います。
基本、スペースノイドは地球に圧迫されて不満と反感を抱いていたし、
地球連邦政府はコロニー側を上からみて自由自治を認めなかったのですから、
そりゃコロニー側が下に見られていると地球側に思って
誇りを守るために戦おうとするのも当然です。

 

高額兵器の意味とは。

 

シャンブロも戦果は出していたので、自陣の利益も生んでいたとは思うのですが、
それでもアニメ版ではリディによってシャンブロが破壊された際や、
これまでのMAなどの破壊される瞬間の「いくらかかったと思ってるんだー!!」
の絶叫感はあったと思います。

 

そんな金のかかっているシャンブロや、
『UC』終盤で出てきたフル・フロンタルの駆るMAネオ・ジオング
こちらに対してのなんだったかで読んだコピーに、
『ジオンの力の象徴』
というものがありましたが、
まさにその通りで、これだけの機体を建造するだけの莫大な資金と、
それを実現する技術がネオジオンにはある、
ということを示す機体でもあると思います。

 

ネオ・ジオングは結局のところ
バナージの操るユニコーンガンダムに割とさくっと倒されますが、
しかしジオン側にとっては

 

まだ自分たちはこれだけの機体を作りだす力があるぞ、
まだまだ地球と戦えるぞ、
と『自陣の力をアピールする効果』がこの機体にはあったのではと思います。

 

そういう意味で、
破壊されるときは強力な兵器や腕のいい敵パイロットのせいで一瞬のお高い機体も、
兵器としての戦果だけではない、
自分たちの力のアピールと、
他にもそれによる自陣の戦意高揚や維持、
そして内外に『自分たちは強い』、という誇りを示す効果もあって、
ジオン側が巨大MAの開発を続けたのでは?と考えます。

 

(まあ、ジオン⇒ジャイアン⇒巨人
であり、巨大な敵⇒巨大な機動兵器
とも考えられそうですが(すでに誰かが言っていそうですが))

 

デカけりゃいいってものでもない、
デカ物があっさり倒されてウケる、
という見世物ではなく、(一部の人にとってはそういう面もあるのでしょうが)
そして分かりやすい敵機撃破数という戦果だけではない、
様々な面での効果が兵器にはある、
ということがここまで考えるなかで分かったと思います。
この場合のシャンブロにしても大きい機体を作るのには
考えると色々な意味があるのだな、と。

 

いや、単純にモビルスーツの5倍近くの機体が戦場にいたら、
やばりことになりますよ、色々。
まあ、戦い方次第では的が大きいので攻略自体は無理ではないのでしょうけど。

 

思えば、兵器も実践で使用する以外にも、
軍備を持っていることで牽制になることもリアルではありますし、
高度な兵器の開発と保持は技術力のアピールになり、
それは国力と国の誇りにもつながります。
日本だって、技術大国としての面を国民が誇りにしていたのもあるように。
それが国や、それにジオンにとっては機動兵器の面があったのでは?
と考えます。

 

話は変わりますが、
そういう意味では、
アニメーターも映画監督も、モデラーも小説家も、モノ作りをしている人種というのは、
作った作品によって自分の価値を確認したり、誇るためにやっている、
という己の意地やそこから生じる価値、幸せのためにそれをやっている
面もあるのかもしれません。

 

まあ、価値といっても、それが楽しいからやっている、
というのもあります。
それが仕事として世間や市民の価値になるか、
それを作り手自身の価値とするかは別問題として。

 

富野御大について言及すると
フィルムとして出来ることを(電動紙芝居なんて!と思いながら)やっていたら
ガンダムが出来たので、仕事を必死にやっていたらこういうのが出来ました、
なのでしょうし、
ただ、映画フィルムがしたい、
(そこにはコンプレックスへの立ち向かいとしての
一つの業の希求があったのだと思いますが、
そういう職業的指向自体はみんなあると思います)
という点では富野さんの価値や楽しみ、興味ががそこにあったのでしょう。

 

けど、個人個人のモノ作りなどをやる動機以上のところで、
世間に向かってアウトプットして自主的に、または他者が
自分と誰かを比較したときに、
意地や世間的な価値というのは生じるモノであって、
そんなときに人と比較して競う心、勝って上回って自分の価値をより高めよう、
という欲が出て来るとも言えます。

 

これは、一人で好きにやっている分には人は大抵の場合平和でいられるけれど、
他者と関わると
考え方が幼くて、すぐ比較して劣等感から意地を張る人間ほど争いに発展しやすい、
という回答が導き出されるように思います。

 

他者を上回る……それは手っ取りばやく自己の価値を世間に認めてもらう方法で、
大抵誰もがしていることですが
(自分もそういう面もありましたから分かります)

 

ただそれは同時に、
負けず嫌いの意地を張ることで向上心になる面もあって、
全てが悪いわけではないと思います。

 

争い、戦争について触れている本記事で、
その根っこにある他者との比較や劣等感や負けん気について考えたとき、
肝心なのは、
それで自分の思い通りに勝ったりの結果が出ないからといって、
そのことへの欲求不満から
他者を攻撃して何かを満たそうする、という思考のながれになると、
面倒な争いになりますよ、ということです。

 

あの人が目立って、尖ったことを言っていて、
自分よりも人気で、成果を出していて気に食わない、
だから嫌なことをいって嫌がらせてやろう、
憂さも少し晴れるし、
という人は実際掃いて捨てるほど見てきました。
一人で作っている分には平和な人たちも、
他者と関わり、そこから受ける印象への考え方が未熟だと、
争いの火種をまき散らします。
そこが他者との関わりと、比較からくる劣等感のネックだと思います。

 

そこで思うのが、
その人が考え方が子供で、
相手を攻撃して自分の不満の憂さを晴らすかどうか、
そこから争いや戦争に発展するかどうかについて、
個人レベルのミクロな視点では、
先程から述べている問題点に気づいて抑えられるかどうか、
離れられるかどうか、
良い方向に転換できるかどうか、が肝要だと思えます。

 

比較しないか、
比較しても自分の価値は自分の価値として他人と相対的に考えないか、
劣等感や負けん気が起きても、
それで攻撃することは間違っていると認識して、
その不満を己の何かを高めるための向上心へと転化するか、
ということ。

 

劣等感や意地、負けん気というのは、すべてが悪いわけではないと思います。
相手に勝とう、見返してやろう、見下すとさぞ気持ちがいいだろう、
という気持ちでやって、結果が出ることもあります。
対抗心や向上心で自己を高めて結果に繋がる人もいるのです。
けれど、
それはその人のどこかで
他者との争いに繋がるリスクもあるということは知っておくべきだ、と。
そんなことも考えます。

 

本当なあ、ネガな感情をぶつけられて石を投げられまくってきた身だからこそ、
こういう風に間違った気持ちで他者と関わる人の心理を導ける自分になったと思いますし、
だからこそ、そんな人間ばっかりだと被害を受けて苦しむ人が絶えないと思うので、
どこかの誰かも精神的に子供でいるなよ、
と思う次第です。

 

まあ、意地になるのも、誇りを守るのも、負けん気も、
その人なりに自己の価値と幸せを守ろうと必死になっている手段なんですよね。
そこは分かります。
自分もそういう時代はあったので。
でも、それでいつまでも他人を傷つけて満足していたら
ロクなことにならないし、
いざ大切な人が出来たときに、
傷つけたくない、一緒に幸せになりたいはずなのに、
ふとしたことで傷つけて……という事態を招くと思うので、
そうなって後悔したくなかったら、
子供でいる自分を認めて変わることはした方がとても互いのためになる、と、
そんなことを思います。

 

今回はとても手間をかけて作られた
模型の写真から拡がった考えをつらつら書かせていただきました。

 

ではでは~。