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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「薄闇であがく奏者たち。夜明けへと伝えたいことのために。『四月は君の嘘』第17話感想・改稿」

 

アニメ『四月は君の嘘』の第17話の感想、改稿文になります。
おつきあいいただけると幸いです。

 

冒頭、かをりのショッキングなセリフからの続きで始まりますが、
この時は言葉もない公生に、
冗談だとはぐらかすかをり。
ですが、公生は直後何を聞くことになったのか?
そこまでの悲愴な言葉が出る理由だったのだとしたら、
それはやはりかをりの身の上のことか……。

 

だからこそ、今話ではかをりのお見舞いに行こうと誘う
椿や渡に公生は何度も拒否を述べます。
ここで周りに従うのではなく、自分の意思を告げるあたりは
自己主張が出来ているのですが、
しかし、あそこまで世話になったかをりのお見舞いに行かないことを
友人達はやや不審に思います。

 

それでも公生を元気づけようと
かをりのお見舞いに行こうかと切り出す椿に、

 

柏木さんは椿を応援するために
わざわざそんなことを言わなくても、と言いますが、
ここでの椿の言葉は
安易な攻撃や模範解答ではない、
自分なりのベストを模索して色々悩んでいて好感が持てます。

 

今回のサブタイトル『トワイライト』

 

これは言葉の定義としては

 

夕暮れや夜明け前の薄闇、
黄昏、
薄明り

 

などのようで、

 

本話は
幼馴染の弟みたいな存在という位置づけ、
かをりの状態?
それに公生と凪の気持ちの状態など、
色々なモノが薄闇のなかに差し掛かっているかのような
そんな全体の雰囲気をよく表しているように思います。

 

凪と公生の公園での会話で
誰かのためを思って弾くとき、
誰かと心を重ねたとき、
それが多くの人との場合も含めて、
音楽は言葉を超えるのかもしれない。
そう公生は考えいたりますが、
凪はそれをやや力なく『そんなの陳腐で、女は言葉しか信用しない』
と言いますが、
言葉で伝えられない思いがあるとき、
それを演奏で語る、表現するのが演奏者なのだと……
このシーンはそれを提示し始めていると改めて考えます。

 

ところで、今回のサブタイトル『トワイライト』は
スラングで『便所』という意味もある
("toilet"に発音が似ているため)
そうなのです。

 

これは凪がプレッシャーに耐えかねてエスケープした
シーンを表しているわけでもありますね。
そんな凪にかける紘子さんの言葉は、
悩んで迷って苦しんでいる薄闇のなかでも、
もがいてあがいた先にそれがチャラになる瞬間がある、と
トワイライトの先にある夜明けを示してくれます。
この辺は、すでに一人者である超えてきた者としての確信と、
その過程になる後人への労わりやエールを感じます。
過去の公生のことで指導者としては失敗した紘子さんですが、
そんな彼女の再生も改めての公生との関係や、
ここでの凪とのやり取りで見受けられると今回改めて思いました。

 

この言葉を聞いていないけれど公生にとっても
この紘子さんの言葉はここまでの旅路で経験してきたことであり、
彼が捕らわれていたモノトーンの闇は、もがいた先に
母への答えがあったように光を見つけ出せたのだと言えると思います。

それを導いびいたのはかをりであり、
そう考えたときに浮かぶのは、彼女がアゲインの際に述べていたこと。

 

この先は暗い夜道かもしれない。
だけど信じて進むんだ。
道を星が少しでも照らしてくれることを。

 

これは考えると、
トワイライトや公生のモノトーンのなかに見出した『星』その存在や、
届けたい想いを信じることが、
もがいた先の『なにもかもチャラになる瞬間』への鍵である、といえるかもしれません。

ここでは
凪にとっては『ヒーロー』を勇気づけたい、
がんばって、負けないでという
言葉では軽く見えてしまって伝えることに躊躇ってしまう伝えたい思い。
公生にとっては、
自分を導いた存在であるかをりを勇気づけたいという思いなのだと考えます。

 

……ここで思うのが、
公生にとってはかをりはどういう存在なのか?ということ。
自由な自己主張の憧れる存在。
尻を叩き舞台に引きずり上げてくれた、
再びピアノと母と向きなおらせてくれた感謝している人。
そして毎報コンクールでアゲインして公生が思っていたように、
公生にとってのかをりは
その交わした言葉のひとつひとつが星のよう。

 

それはこれまで
さまざまなシーンで力となり指針となっていたように、
公生にとって宮園かをりという少女は
『星のような標』
であったということだといえると思います。

 

暗闇にあった公生にとっての、
道を照らしてくれる
進むために信じるべきモノ。
それがかをりだったのですが、
ここで公生はその星が消えゆくかもしれないことを
なんとかしたいと思いますが、
病気といえば母のことが記憶にどうしてもある公生には、
かをりに何かしてあげたいのに会うことさえ躊躇ってしまいます。

 

それはどういう気持ちでしょうか?
公生にとってかをりが『大切な存在』であるということもあるでしょう、

 

かをりがあきらめていることを悔しく思う気持ちは、
尻を叩き無理矢理舞台に引きずりあげて、
忘れられない風景を刻んだ相手が失墜することへの歯がゆさでもあるといえるかもしれません。

お前ほどの奴が死んだらこっちまで死んだ気になる。そんなのは嫌だ、という気持ち。
そういうのもあったのではと今は思います。

 

でもやはり、それはかをり個人への価値ではありますが、同じ価値でも
今はまだ公生のなかでは明確な恋や愛情ではないということで……
公生のこの気持ちはいつ自覚されるのか……。
それとも彼なりの伝え方はされるのか……。
それ以前に、今のかをりに彼が出来ることが課題かもしれません。

 

そんな事情で
学校でかをりへのお見舞いに誘う渡に不愛想な公生ですが、
ここでアニメ放送当時の海外のアニメ視聴者の反応を少しみた中で、

 

渡にかをりが深刻であることを告げたシーンの彼の反応に対して、
「ベストフレンドだよ渡は!」
という好意的な意見の他に、
「渡は死の迫っている女の子の彼氏でいる負い目を感じたくないから、
公生にかをりを押し付けようという下心で彼(公生)に優しく声を掛けた」
みたいな言葉があって、
これは穿って見過ぎというか……と当時から思って見ていました。
実際に渡がどういう気持ちでかをりと公生を見ていたかは、
原作最終話での渡の様子を見れば知ることができます。
公生が第1話で言っていたように、渡はいい奴だよ、です。
 

渡の言葉に励まされて公生はかをりのもとを訪れます。
そこでのかをりの
「忘れちゃえばいいんだよ」
には公生の怒りも当然だったでしょう。

 

一緒に暗いならないで
諦念ムードのかをりに
よくぞ怒ってくれた、と思います。

 

前述のように、自分を導いてくれた人が死んだようになるのは
本当に悔しいですし、
ここで公生まで母の病気のリプレイのようなことになると思って悲観して
黙りこんでしまわなくて本当に良かったです。

 

自分を導いてくれた人がそんな風になったら、
ぶん殴ってでも再起させたい。
それが『かけがえのない誰か』への想いの大きさ、
価値の重み、存在の大きさだと思いますから。

 

そこで公生がかをりに
言葉では伝えられないけれど伝えたい想いをどうするか、
で思い至ったのが
音楽であり、
『連弾』……共演だった。 

 

他の人と一緒にシンフォニーを奏でる様を見せ、
それを聴かせることで、
演奏者として言葉ではなく音楽でかをりの心に届けたい想いがある、
という事なのでしょう。きっと。

 

凪のエスケープからの立ち直りを経て、
いよいよ学園祭当日です。

 

公生と凪(凪と公生の方がより正しいのかもしれません)
の出番が迫ってきて緊張気味の凪。
これまで一所懸命にピアノと向き合ってきたからこそ、
舞台でその演奏を披露したときに
否定されたりミスすることが怖い……
打ち込むほどにその反動は大きく、気持ちがよく分かります。
時間をかけて届かないときの打ちのめされ方は
どんな時にもキツイですし、
これからそれを試される場に出るわけですから緊張して当然です。

 

そんな凪の緊張を解きほぐす公生に
凪は膝入れていますが、
自分の手を取る公生の手から、彼もまた同じように緊張していることを理解する凪です。

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 
これまでも練習や帰り道、神社での遊びや会話を通してありましたが、
これから二人で舞台に挑む凪と公生の心が重なっていくシーンですね。

 

ここでの二人の会話で公生は以前かをりに与えられた言葉を
凪に与えていますが、
『君の人生ありったけで弾けばいいんだよ』
に公生なりのつけ加えがあるあたりに
公生が受け取るだけの側から教えて与える側にも入ってきているという、
彼の成長を感じます。

 

先輩風を吹かすとかじゃあなく、
同じ立場の人間としての労わりがパートナーを乗せることになっている、
そして二人で最高のシンフォニーを奏でる。
それが公生と凪にとって演奏で誰かへ届けたい想いになるし、
伝わりうるのかもしれません。

 

そんなくる学祭のいよいよ共演が開幕です。 

 

ではまた君嘘の感想で~。