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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「小説『隠し剣秋風抄』を読み映画『武士の一分』を鑑賞・感想。お題「最近見た映画」」

お題「最近見た映画」

 

日曜日は最近見た作品の感想を書いているのですが、
今回はお題スロットから「最近見た映画」の記事としても
鑑賞感想を書かせていただきます。

 

武士の一分

 

山田洋次監督、木村拓哉さん主演で話題だった作品ですが、
きづくと2006年公開作品で、
見ていないままそんなに時間が経っていたのかと今回驚きました。

 

本作は時代小説家として有名な藤沢周平の著書、
隠し剣秋風抄
に収録されている一遍、
『盲目剣谺返し』(こだまがえし)
の映像化作品です。

 

『隠し剣』シリーズは
藤沢作品でたびたび出てくる架空の藩、海坂藩において、
下級武士などの身分でありながら剣においては
流派の秘剣を習得した武士を描いた短編集です。
身分からくる悲哀を含んだお話や女がらみの問題もあり、
悲喜こもごものラストがいくつも見られますが、
時代モノファンとしては各話のタイトルが示すように
それぞれの主人公の繰り出す秘剣の正体にも注目してしまう作品です。

 

そんな『隠し剣』シリーズをこの1年ほどで読んで、
『盲目剣谺返し』が思っていたよりも温かなラストだったのと、
谺返しの秘剣がどのように映像化されているか気になったので、
このたび鑑賞するこにしました。

 

配信サイトを調べると、
ちょうど今の時期にGYAO!
3月2日~31日まで無料配信、視聴可能となっていたので鑑賞してみました。

 

今はGYAO!で他にも期間を設けて無料配信しているラインナップもあり、
こちらはそれ関連の記事。

natalie.mu

 


では、前置きが長くなりましたが、
以下は自分の鑑賞感想になります。

 

本作は海坂藩で城勤めをする家禄三十石の下級武士である
三村新之丞が主人公。
新之丞は城で藩主の食事の毒見役をお役目としている。

 

小説はこの毒見で新之丞が毒にあたって盲目となってしばらくから始まりますが、
映画は全体で2時間あるうちの前半部分1時間を使ってそれ以前の新之丞の生活や、
周囲の人々との関係、
それに新之丞自身のことについても詳しく描かれ、
ただ下役の武士が運悪く盲目になって遭遇した事件としての作品ではなく、
三村新之丞という人間の感じる感情や、
だからこそ秘剣をもって戦いに挑み掴む結末を盛り上げている構成と受け取れます。

 

原作ファンの人によっては
余計な描写しなくていい、
とも思いそうですが、

 

前半では新之丞の妻、加世の人柄や詳しい身の上、立場、
それに夫、新之丞への愛情の深さが描かれ、
だからこそ中盤以降での不義の重みや
妻を利用された新之丞の怒りと、それに対しての意地と誇りの戦いに
視聴者は自然に感情移入できると思います。

 

いきなり妻が不義を働いて云々と言われても、
多くの人は
それ奥さんが悪いじゃん、と軽くみなして加世への気持ちのウエイトが
軽くなるとも思えます。

 

でも本作はラストで新之丞と加世の二人を描くからより良い作品になると思うので、
加世をよりフォローして描いたのはとても良いと思います。

 

それに前半部分では三村家の奉公人である
徳平の人柄と新之丞たちとの間柄の雰囲気がより描かれて、
新之丞の人柄がよく分かりますし、
徳平自体もよい人柄で、
だからこそラストでああなる……という説得力が増します。

 

新之丞は原作小説ではわりと固い人物かとも思ったのですが、
映画で割と軽口も叩いたりして加世と仲が良かったり、
町の川辺で子供をからかって徳平に窘められて悪態をついたり、
結構深刻さのない低家禄ながらも幸せに暮らしている彼が分かります。

 

それに毒見役なんて大した役割でもないので
さっさと城勤めをやめて
身分を問わない剣術を教えたい、
と新之丞の夢も語られるのですが、
だからこそありふれた日常から毒にあたり盲目となった時の彼の反動、
苦悩がより伝わります。

 

他にも前半部分は城内の様子も描かれていて、
城の台所風景は興味深いですし、
毒見役は新之丞一人ではなく複数いることや、
彼らのみなが低碌で端役についてかったるそうにしている雰囲気が描かれていて、
よりこの話が椿事からの悲劇であり、
さらにその後に続く苦難に挑む新之丞を克明にします。

 

毒見役はみんな「あ~、今日もかったりぃ仕事だな~」
という顔をしていたのに、
新之丞だけがこんな目に遭うという……、
目の被害に遭うという……。

 

その新之丞は目が見えなくなり、人の助けが必要な身体となり、
自分のことを自分一人でできず、人の情けを請わなければならない悔しさ、
情けなさを訴えます。

 

これは、武士としては自分の剣の腕や出世などで自分の力を確認していた時代ですが、
現代に置き換えても同じように思う人は多いことでしょう。
男子なら特に。
みんな人より勝りたいことの証明として自分のできることを成して力を実感したいものだし、
それなのにそのために励んできたことが一時に瓦解するのは悔しくないはずがありません。

 

まあ、個人的な考え方を書くと、
自分だけで色々出来る力もいいのですが、
出来ないことはあることを認めて、
人に助けられ、支えられていることを認めて感謝し、
自分の非や弱さを認めたうえで尚、そんな自分でもできることをする、
そんな強さも価値があると思うのですがね……。
まあ、価値観は人それぞれ……
必ずしも賛成の多い方がその人の正解とは限らない……。

 

そんな新之丞が腹立たしく、無力を感じる日常も
おしゃべりな叔母の報告で
妻の加世が茶屋街で密会しているようだと聞いて変化していく。

 

当初は城内で殿がみえたときに、
平伏する新之丞に対しては気の抜けた声で一言くれただけだった藩主に
視聴者もむらっとしたと思うのです。
新之丞はこうした屈辱にも耐えなければならないのか、と。
ですが
城勤めの毒見はお役御免、誰もが三村家は少ない碌で生かす捨扶持にされると思っていたが、
三十石の家禄も家名もそのままという寛大な処置。

 

ですがこれが妻、加世の不義とつながりがある気配。
もしそうならたかだか三十石の碌のために
愛する己の妻を奪われるというさらなる屈辱が新之丞に振りかかるわけです。

 

その真相は未視聴の方がいるかもなので伏せますが、
前述のように他人の助けの必要な新之丞にも
妻まで巻き込んでの屈辱に対して、
意地がありますし、プライドがある。
己の誇りと妻への愛、光を失いできることが限られて、
さらに屈辱にまみれた彼の、
それでも戦う理由、己の誇りと命を懸けた意志が盲目の彼に剣を執らせます。

 

ところで、演出面でいうと、
身内と新之丞の今後について相談している加世が、
上役で藩政への影響力のある島田へ頼みにいく、
という話がまとまったあとで、
襖を開くとそこには膳が用意されているのが、
加世のこれから辿ることを暗示しているし、
(彼女も暗い顔をしていたので、内心その可能性というか、
嫌な予感はあったのだと思います。
ただなあ……身内としては心のどこかでは
枕なことをしても良いように取り計らってもらいなさい、
という考え方も暗にあったのではないか?
と今の自分には思えます。
いや、うん、身内がそう考えていたら嫌ですが、
古今東西現実ありうるパターンであり、強要はしないけど、
行かせるのは半ばそういう意味合いもあるのではないか、
と考えることも出来るというか……邪推ですかね)

 

その加世役の壇れいさんは前半と後半でやや肉付きが違います。
前半はほっそりして綺麗だったのですが、
後半は肉がついてややただれた雰囲気があります。
これはそういう演出で役者に肉体改造をさせたのか、
それとも撮影スケジュールでたまたま壇さんがそういう身体だったのか……、
映画はあまり詳しくないのでは自分には結論しづらいですね。

 

盲目となってのちの描写は少しずつ新之丞の変化も描かれて、
彼の見えない風景には変化の兆しの蝶が舞っています。
虫の気配や人の気配を鋭敏に感じるようになるのは、
一つが鈍すれば他の何かが長じる、という奴で
(『ルパン三世 血煙の石川五ェ門』で出てきたセリフです)
これが新之丞の流派の秘剣『谺返し』に繋がっていきます。

 

この秘剣は原作小説の方が無明の中で剣が閃いて敵をとらえ斬るすごみがあります。
映画は剣戟の結果の現象を二人の剣士の全体の動きを映すのみにしていて、
結構あっさりとしていたとも言えますし、
新之丞と島田の決着も原作と映画では多少異なります。

 

映画の方がより『武士の一分』というワードに沿うように変更されています。

 

個人的に果し合いのさなかに新之丞が気組みを発した声が
木霊となって反響するのはおお、とぞくりときました。

 

果し合いの決着ののちの新之丞の生活風景も原作と少し違います。
加世のアクションも違うのですが、
ここはより夫婦がしっかりと愛を確認して勝ってのラストとしたのかもしれません。

 

小説のラストもとても良いのですよね。
聴こえるモノだけで新之丞が生活に温かみを感じている
幸せな風景をより感じられると思います。
聴こえるモノ……自らの示した意地、武士の一分によって返ってきた『谺』だともとれます。

 

この変更は好みが別れそうですね。
自分は小説のラストが大変良かったので映画を見てみようと思ったのですが、
映画もこれはこれで良いと思います。

 

むしろこれは、映画から小説に入った人に対して、
小説がとても新鮮に映るという仕掛けかもしれませんね。
小説ファンのための映画というよりも、
映画から小説に入った人に藤沢周平先生をより好きになってもらうという意図から、
映画はこういうラストに演出された……と、そうも考られそう。
そんなことを感じました。

 

作品としては
当時はキムタクの力による客寄せの映画だろ、
という声があったように記憶していますが、
しかし時間をおいて冷静に時代劇作品としてみると、
結構良い出来だと思えた作品でした。

 

本映画を鑑賞して、
『隠し剣孤影抄』に収録されている『隠し剣 鬼の爪
山田洋次監督で時代劇三部作として映画化されているということなので、
そちらも見てみようと思います。

 

本作に興味を持たれた方、
前述のようにGYAO!で今月中は無料視聴できるので、
良かったら見てみてくださいまし。
(無料で作成できるアカウントさえあれば視聴できます。
自分も垢があるだけで普段はほぼ利用しませんが、
今回、ちょうど今の時期に無料配信中と知りそのような形で鑑賞させていだきました)

 

ではでは~。