1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「空気もヒーローもそこに在る。『ガッチャマンクラウズインサイト』最終12話・視聴感想」

気にながされること。

考えずにムードに従うのは安易で楽な方法の選択であり、

誰でも度々その身によぎる心の働き、

身の振り方であるとも言える。

今回のゲルサドラの抹殺処分という作戦は、

今現在彼が引き起こして、

彼を中心に出来上がっている

『そういう空気』を打破するためのものであり、

また同時に、

人類のアップデートのいち手段ともなり得たわけですよね。

人が変わる切っ掛けとなる。

それは見方を変えれば、

人を助けるヒーローとしての行いだ。

その為に、はじめちゃんは自らを仲間に攻撃させ、

腕が斬れ落ちても、血を流して痛みに苦悶の叫びをあげても、

それを成そうと、全うしようと懸命だった。

「絶対、負けない」

という彼女のセリフは、

多くの人を助けるヒーローとしての覚悟を感じてなりません。

要するに、これが度々出てきていた、はじめちゃんの

ヒーローってなんなんすかね?

の、現時点での答えなのだろう。

はじめもつばさに叫んでいた、

「その時だけの気持ちにながされちゃ、駄目っす」

ですが、これは凄絶なことに

はじめちゃん自身にも自ら言い聞かせていた事になります。

痛くて死にそうだけれど、

その一時の気持ちにながされて、

多くの人を救う道、

その機会を逸してはならない、と。

凄絶であり、壮絶。

結果、はじめちゃんは深い眠りの中。

並行して世間ではゲルサドラの処遇を

民衆それぞれが

猶予を持ってじっくり考えて決める投票が始まったのですが、

その結果は、

どうであれ良かったのでしょう。

つばさちゃんとゲルサドラ的には喜ばしい採決でしたが。

けれど、それよりも本作でこの投票で重要だったのは、

一人ひとりが自分自身で考えること、

自分で考えて歩いていくことを選んだ世界に変わっていく事。

考えない猿の群れではなくなる、脱却、

その兆しを示したカタチの決着だったと

言えるのではないでしょうか。

また同時に、

『自分達が各々考える』という

世間の空気を作ったともいえるのは、

人間が空気と離れては生きられないという

示唆でもあるように感じます。

リズミーはそれを目の当たりにして、

人間の進歩の始まりを感じたからこそ

微笑み、今は去って行ったのかもしれません。

『この空気なら大丈夫かもしれない。希望を推測できる』と。

ガッチャ 38

また、投票結果の数値にも納得できるものが

彼にはあったのかもしれません。

ゲルサドラの決着は、

彼が危惧していた2:6:2の傾向から

脱却したモノだったからと自分は思います。

それに投票結果を眼にするこのシーンで、

ガッチャ 39

リズミーはモニターよりも周囲の方を向いていますよね。

これが、民衆の変化を見届けようとしていたのだと、

彼らが自分達で考えて出した結論から出た結果に対して、

無暗に不満に奔らず満足して歩み出すというスガタを見て、

だから鈴木理詰夢は納得し、ここで矛を納めたのだと、

そう感じてなりません。

実際、クラウズは序盤で全面廃止になった筈なのに、

Cパートでまた運用されていますし。

すがやん首相が再当選して、またクラウズ推進をしたにしても、

民衆が以前のままなら、またリズミーは動くはずですし。

    〇    〇    〇

ところで、はじめちゃんがつばさちゃんの事を

「ボクよりも、誰よりもヒーローだ」

と語っていたのが、

つまりは、つばさちゃんがヒーローらしくて、

誰よりもヒーローとしての資質を持っている、

といっていたニュアンスについて、

自分は深く理解していなかったのですが、

つばさちゃんが学んだことから、

じゅーしーも考えてみました。

恐らく、ヒーローとは

『目の前の人を無条件に真っ先に助けられる』

ことと、

『多くの人を助けるためならば、何かを、

時には自分さえも犠牲に出来る覚悟を持っていること』

この両輪があって本物といえるのかもしれません。

(じゅーしーはヒーロー論に疎いので、

正解かどうかはこれを読んだ方のこころに任せますが)

で、何が言いたいのかというと、

はじめちゃんはきっと、

多くを助ける為に目の前の困っている人を、

場合によっては後に回すことを考えるヒーローであって、

つばさちゃんの真っ先に目の前の困っている人を助けられる

在り様を見て、彼女の方がヒーローらしいなー、

と感じさせられている処があったのではないか

と思うんですよ。

だから、つばさちゃんに本物のヒーローの資質を感じたからこそ、

もう一つの片輪とも言えるヒーローとしての在り方を

見せ、示し、諭し、迫ったのだと感じられるんですよね。

傷ついた自分の前に盾になるつばさを、

「あなたはみんなのヒーローだ」

そして多くを助ける為に覚悟を示した

(ゲルサドラに擬態したはじめを斃しきることを踏み切った)

つばさを、

「本当にヒーローだ」

「本物のヒーローだ」

とつぶやいたのかもしれません。

穿った言い方をするならば、

両輪ではなく、両翼。

ガッチャマンの翼。

その点で、はじめちゃんは片翼のヒーローだったのでしょう。

そして、つばさちゃんを得ることで、

そのヒーロー像は完全なモノとなった。

完全なヒーローは自分でなくてもいいし、

自分一人でなくとも、

自分だけでやらなくてもいい。

というこれは、クラウズによる総ヒーロー観が

基盤となって裏付けていますね。

だから、これも綺麗に飾った言い方かもしれませんが

ガッチャマンクラウズのシリーズはここまで、

一個のヒーローが完成するまでの物語であり、

そしてガッチャマンは確かなヒーローである、

ということが確立させる物語でもあったといえます。

そして、それはきっと、これから

ガッチャマンという真のヒーローたちによって、

様々な困難を通して、少しずつ、

ゆっくりにではあるが、

多くのヒーローを生んでいくという

希望あふれる示唆に満ちたエンドだったのではないかと、

そんな風に思わされる結末だったと言えます。

クラウズ問題の真の決着を描く続編とかも

ありそうといえば、ありそうですけれどね。

    〇    〇    〇

いやー、2度ほど展開予想しましたが、

見事に違いますね!

いや、これは嬉しい事ですね、

良いカンジの予想を裏切る作品だったということですからね、

前作同様。

こういう萌え重視じゃない考えることを促す作品、

もっと増えると面白いと思います!

ガッチャ 40

ともあれ、ラストにこの画が表示できる結末に、

安堵の息を吐きつつ。

ゆるゆるゆるゆるゆる~、

と吐きつつ、

ガチャクラ、

二期も面白かったです!( *• ̀ω•́ )b グッ☆

ではでは~。