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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「改めて考える相座武士の答えと、『嘘』とは?『四月は君の嘘』第19話感想・改稿」


アニメ『四月は君の嘘』第19話の感想、改稿文になります。
おつきあいいただけると幸いです。

 

前回、共演によってかをりに
またあんな風に一緒に弾かない?
と自己表現をして、
それをかをりに正面対して言葉でも伝えた公生。

 

それで今一度諦念していた心に希望を持って、
かをりちゃんはもう一度前を向いていく選択をしたようです。

 

手術を受ける。
医師はそれで健康体になれるとは言わず、
手術の成功の割合も厳しいことを告げるが、
しかしかをりはそれでも自分の時間に少しでもの可能性を掴めるなら、
その光に手を伸ばしたい。
自分の人生なのに自分があきらめるなんてことが
自分がかわいそうだから。

 

だからかをりちゃんは手術を受けることを選択。
公生ともう一度演奏する為に。

 

彼女のことが気になる公生がお見舞いに行くと、
入院生活で筋力を落とさないように
リハビリ指導を受けて身体を動かす取り組みも始めたようで、

 

かをりのご両親は彼女の病気でモノトーンになっていた心が、
またを前を向いて進みだし、色彩を帯びてきたことを公生に感謝します。

 

こちらもかをちゃんが再起する気持ちになってくれて嬉しくなります。

 

公生の一生懸命な姿がかをりの心を動かした……
これは絵見にしても、武士にしても、
凪や三池くんにしてもそうなのでしょう……。
そう考えると公生の昔の神童と呼ばれていた時代の成果や栄光というのは、
紘子さんの見出した天賦のピアノの才能だけではない、
有馬公生という男の子の一生懸命さ、がんばりが導いた面もあったのだと思えます。

 

そりゃあ、才能にあぐらをかいて手を抜いてイイ気になっている人は、
それも言動や作品に表れるかもしれませんし、
そうなると周りの評判も微妙になるかもしれません。

 

公生に魅入られた人たちというのは、
才能におごらない、誠実で優しい彼の人柄をその演奏の音に無意識にでも感じたからこそ、
彼の音を好きになった……という面もあったのかと今回の改稿で思います。

 

しかし、才能もあって謙虚でがんばる子って、
最強に近づきうる資質なのかもしれません。
世の中、出だしでうまく出来る才能ひとつでずっとやっていけるというのは
ごく少数で、
そうした才能よりも(割合的に才能と体力健康面、環境面、運、そしてメンタルと
地道さ、努力や継続力などという)大切なモノがあってこそ、
そのジャンルを長くやって一線で活躍できると思いますから。
そんな才能と現実、活躍の機微も感じさせてくれる公生です。

 

椿はお隣の部屋から夜遅くまでコンクールの練習をしている音が聴こえることを心配して、
柏木さんに相談していますね。
彼女の言葉で
公生にとっては今後の音楽に関して大切な意味が
今回のコンクールにあると教えられ、
椿と距離を作り、自分以外と関係や絆を生み、深めていく音楽に対して
嫉妬せずにその取り組みを応援してやれ、と椿は励まされます。

 

どこか恋愛強者の風格のある柏木さんは
ついでにお隣なんだからがんばって疲れている公生に差し入れしてやっては、
とアドバイス
柏木さん手練れ。
その恋愛観は一体どこから……。

 

柏木さんがこういう手練れさを語りながら、
その実自分の恋愛では踏み出せないヘタレ女子だったりしても
それはそれで面白いかもしれない……。

 

公生と二人の時間を過ごす椿は、
けれど受験結果にいかんでは
公生とこれまでや今のように一緒に居られなくなるかもしれない、
という可能性を前にして、
だからこそでもあるのでしょうか、
二人のひと時を大切に慈しんでいます。
ガサツな椿の心の変化が感じられますね。

 

椿も恋する乙女やな……。
これまでも自己申告で「乙女に向かってー!」とか言っていたのが
地味に真実味を帯びてきましたね。
公生が一人の人間なり、
椿が女性性に目覚める……そういう面もこの作品はあるのかもしれません。
それは成長という
青春モノの王道でありテッパンともいえるのかもしれません。


そしてコンクール予選当日。


今回はくる学祭の舞台裏で武士が言っていた
「12月の予選でぼこぼこにしてやるかんな!」
の日ということです。

 

コンクールといえば、
公生、武士、絵見のトリオです。
えみりんのお出ましです……!
が、なにやら公生に向けて殺意の波動を漲らせておりますあばばばっ。

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

 

その眼力!に公生はがくぶるです。
血濡れの熊の前の子牛か乳牛状態です。
捕食されちゃう、狩られちゃううっ!

 

そんな絵見とコミュニケーションをとるために、
戦の前の腹ごしらえをしていた自分用の特製タマゴサンドを
絵見に献上する公生。

 

それが成功してえみりんのお顔が輝く~!!♪♪
早見沙織さんの
「んー!」
が善きです。
 

けどこのシーンで思うのが、
絵見は以前、
ガラコンで変態マスクをして変装してまで公生の様子を見に来ていたように
実はツンデレぶりがあるようなのですが、
だからこそこのシーンでは
殺意に満ちた眼光
(そりゃあ、打倒有馬公生で本気で練習してきたのだから
剣呑な目つきにもなるってものです。
ぎたぎたにしてやるわ、この野郎的なメンチ)
をしていた絵見が、
実は内心で公生から何かを貰えたことが小躍りするくらいに嬉しかったのではないか?
と勝手ながら想像できたりしてなかなか楽しめたりするのです。

 

(有馬くんが私にくれるなんて……はーと)
……みたいな。

 

そこに例によってこちらのファイティングスタイルで
胃酸まで吐いた武士が加わってのサンドウィッチ談義。
和気藹々しております。コンクール前ですが。

 

この3人は本来は『トップ以外は意味がない』
厳しい競争である音楽の世界でのライバル同士であり、
またそれ以上に武士としても追い続けた
鋼鉄にして孤高のヒーローであり、かつ個人的に思い入れが強い相手でもあるので、
こうした空気になる事は調子が狂う感じですよね。

 

これは少し角度を変えてみてみると、
武士の中での勝手に抱いてきたヒーロー像のような憧れの
『有馬公生とはこういう存在』
というのはすべて彼のなかだけで育ったものであり、
実際の公生は別物だということを
武士は触れ合うことで確認したのだと言えるかもしれません。
 

武士が憧れた完コピ超絶技巧の西部のガンマンかヒーローのような有馬公生は、
霧のような掴みどころのない幻のような存在。
それがこれまでの武士が追いかけていた公生の本当であり、
武士の憧れの実態なのかもしれません。

 

武士はコンクールに戻ってきた公生の姿に
自分の憧れが実際には違う、
という現実を突きつけられたのかもしれません。
だから、その幻を追って追及した『これまでの武士のピアノ』
で果たして良いのか?
これで打倒有馬が果たされるのか?
自分のピアノは、演奏はこのままで良いのか?
という疑念から武士は葛藤して、
凪の心配する苦しみ悩む時間を過ごしていた。

 

その答えがこのコンクール予選の武士の演奏で示されます。

 

憧れるヒーローとしての有馬に追いつき、追い越そうとして
練習したピアノのスタイル。
それに迷いが生じるのは、
ある意味、武士が過去の公生像に執着し、囚われて、
とどまっているからとも言えるかもしれません。

 

そこで武士はその幻のような存在意としての公生への執着から離れるのか?
そこから自分なりのスタイルを導き出すのか?
 

これは憧れたヒーロー像を超えるための、
そしてそれにこだわっていた自分との決別を示します。
だからこその、武士の思う『これは決別の舞台』


始まる武士の演奏。


彼の心中には自分の追いかけた公生と、
迷う自分の弱さ、それを心配する妹、
そして敵である公生さえもが自分の支えであったという事実。
武士はそんな自分を情けないと自嘲しますが、
今述べたすべては武士が己を認めるという作業そのものだと思います。

 

己を認めるということ。
それは、これまで自分は打倒有馬で打ち込んできたピアノがあるが、
『それだって自分』
だということを認めることだと思えます。

 

公生のことを解って分かっていると思っていたがそれが幻だと気付いたとき、
残ったのはそれまで積み重ねてきた自分のピアノ。
打倒有馬のために磨いたピアノだが、
それは武士なりの努力と譜面の解釈、工夫と追及という
彼が彼なりに誠実に研磨し高めた『彼のピアノ』なのだと思うのです。

 

確かに公生は武士のヒーロー像で超えるべき存在、ライバル。
執着もするし思い入れもある。
そのために腕を磨いてきた。
それが今は超えるべき目標としてヒーロー有馬公生は姿を変えてしまったが、
だからこそ武士は高みに登ることが出来たし、
退屈を嫌う悪童であった彼が
すべてを懸けて打ち込める存在――ピアノにたどり着けたと言えます。

 

そうさせたのは、一生懸命だった公生だと思います。
公生のそのピアノが才能に溢れて退屈を持てあますところだった武士の世界を広げて、
情熱を傾けて打ち込めるモノに導くことになった。
武士のピアノとは、そうして打ち込める、全力を出せるモノで、
重ねてになりますが、
そうやって努力して工夫して追及してきたピアノこそが相座武士のピアノなのだと。
その『武士のピアノ』とはこれまでの
――毎報コンクールでも認められていた誠実なピアノ――
譜面の意思を深く理解した、先人を踏襲し伝統を継ぐ、超正統派のピアノスタイル。

 

才能にあふれ退屈を持て余す武士は全力を注げるモノが必要だった。
そう考えると、
公生の存在と、憧れたヒーロー像の公生を目指しての演奏がどうとかいう考えは
実のところ重要ではないのかもしれません。
武士にとって本当は、もしかしたら、
打倒有馬の目標は、己が打ち込めるモノを探す彼の言い訳に過ぎず、
本当はねめり込めるモノが欲しかった、
自分の全力を出せる存在が武士は欲しかった。
公生を敵愾視する過程はあったものの、
その過程のおかげで今はもう、
武士にとってピアノは全力を注いで打ち込める価値あるモノになっていた。

 

だから公生にこだわらない。
自分は自分のこれまでのピアノに傾けた時間と情熱をこそ信じる。
自分はそのピアノへの熱意や価値を信じて貫き通す。

 

悩んで自問自答していたあるタイミングで武士は、
(あれ?もしかして俺、思ったよりも
有馬とか関係なく、自分のピアノを高めるのが楽しいだけじゃね?)
と気づいたのかも……しれません。
そうなったとき、ライバル視していた理由、
ヒーロー像を見ていた理由、
超えようと思い続けた理由は自分を高めるための口実、
当て馬を自ら無意識に有馬に設定していた、
ということに武士は気づいたのかもしれません。

 

それはある種、武士の『嘘』だったのでしょう。
己を高める充実を得るための敵として設定した、
そうして超えるべき存在として設定して己を磨き集中するために
武士が(子供の無意識に)設定した『嘘』が
鋼鉄の心臓にして孤高のヒーロー有馬公生……ではないかと改めて考えます。

 

でも、その『嘘』は、
自分の答え――武士は自分の打ち込めるモノが欲しかっただけ――
という答えによって、
必要ないモノして霧散します。
有馬は勝手に敵にしていただけで、
自分はこの場合はピアノを向上するために打ち込めることが楽しい、
なら、それに従えばいいだけじゃないか、と。
だったら、有馬の変わった演奏で自分のやることを迷わせるのじゃなく、
これまで情熱と時間を傾けた演奏を信じればいいのではないか?
それが前述の
伝統を継ぐ武士のピアノ。

 

……というのが武士の見出した答えかもしれません。
 

ヒーローはもういらない。
自分は自分で、自分の望むことをするこころを見つけられたから。
だからこその今回のサブタイトル『さよならヒーロー』
……なのかもしれません。

 

武士の演奏曲「ショパン エチュード 作品10-12 《革命》」

 

彼の捉われる幻という殻を打破しての前進、
そして彼のみの『打ち込めるピアノという価値』、
競い合う仲間がいることでそれが出来る幸せ、
これまでの敵愾心、
有馬公生を超えるためのピアノということ以外の新たな輝きを掴み取る、
その先に本当に打倒有馬に至るピアノさえもあることを願って。
そうやって己を高めるために全力で打ち込めるという武士にとっての本当のピアノの意味を見出す、
この曲はそういう
これまでと決別した『革命』の一曲となったといえるかもしれません。

 

この辺の武士の心理について、
原作もアニメもやや分かりにくい印象もあったかもしれません。
というか、5年前に原作に触れてアニメを見ても、
今回の改稿ほどの解釈は全然できない自分がいました。

 

ラジオだったかでアニメ版の監督であるイシグロキョウヘイさんが
「(原作の)新川先生を少し急がせたかもしれない」
と仰っていたのですが、
この武士や絵見周りの描写なども
本来はもっと詳しく描く構想が新川先生の中では本来あったのが、
アニメと同時最終回のスケジュールの都合で
ああいう仕上がりになった……ということかも、しれません。

 

まあ、現状もう完結した作品なのでよほどのことがない限り
その辺の補填はされないと思いますが……。

 

武士の完全復活。
迷いを振り切って己の信じるピアノを弾き切る
強い男、相座武士が戻ってきたことに
凪は感涙し、同時に兄の武士と先生の公生のどちらを応援したらいいのかと、
自分の陳腐な悲劇のポジションに悶えています。
この辺コンクールのシリアスからのギャグ、和み部分ですね。
 

演奏後に武士は公生と会話して、
自分のなかの幻のヒーロー像としての公生に別れを告げます。
この辺の
彼の想いが伝わったかな、
は、公生は公生の演奏をするのを認める。
そのうえで武士は武士の演奏の道を行く。
という意思を演奏で語ったのかもしれません。

 

出番前の、
「モノは演奏で語らなくちゃな」
とはそういうことで、
くる学祭で公生と凪がかをりと武士に演奏でエールを送る自己表現をしたように、
今回は武士が上記のそんな気持ちを演奏で語ったのかもしれません。
きっと伝わっていることでしょう。
相手が他ならない武士が認めて全力を傾けてしまうすごい奴ら、
公生と絵見なのですから。

 

ここからの武士と公生、絵見の関係もきっと互いに高め合うのでしょうかね。

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  ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

そう考えたとき、原作であった

 

「生涯の仲間と出逢う」

 

というナレーションが省かれていた意図が少し見えた気がします。
いちいちそれを言わなくても、
もう彼らはそんな本当の音楽『仲間』になれていたのだから。

 

互いの実力を認めて、互いに全力を注ぎ己を高め合ってきた者同士だから。
子供の頃の三人のスナップは
幼い色彩で、でもカラフルで、
今に繋がる三人の大切な瞬間だったのだと今回、改めて感じました。

 

コンクール予選の結果が出て、
武士、絵見、公生は無事に予選通過。
本選での彼らの活躍は。
そして椿の恋心、受験の行方は?
かをりの容体はどうなるか……

 

まだまだ目が離せない四月は君の嘘
あと3回!

 

ではまた君嘘の感想でお逢いしましょう~。