『今は割とカオスですな。
腰痛を気にしながら、物書きとしてひとつ壁っぽいのに挑んでいる。
勉強をしたいと焦る欲と、と身体的限界時間の折り合いで、
でもアニメも視たい、本も読みたい。
ぬおおおおおっ仕事が邪魔だあああああっ←おい』
5月10日のツイート。
当然なにをぼやいているのかという、TL汚しも甚だしいカンジではあったのですが、
興が乗ったのかこの後1時間以上、創作に関する自分の現在の悩み事をつぶやきまくりました。
この記事は、何を血迷ったかその一部始終のTLの様子を転載してみました。
問題なくすべて自分のツイートです。
小説を書くうえでこういうことも考えている人がいるのだな、
くらいで読んで頂けると、意味があるような、ないような。
いえ、このTLのシメ方の通り、一応の自分の中での意味はあったのですが。
ともあれ。
『「小説」と「物語」って、もとは区別されていたそうだけれど、
現代的にはそれは意識するモノなのでしょうか?
というか、創作クラスタの皆さんも、プロとして書かれている方たちも、
書いているモノを「小説」と意識しているのでしょうか?
だとしたら広義でなくとも「小説」の定義とは。
自分はこれまで「小説を書く」という自己認識の元に書いていたけれど、
最近(要素に係る文脈)や(設定の必然性)などの作法が大切ということを、読み取る読書をしまして。
そういう点を押さえた文章を書こうと意識し始めた訳です。(遅い気付きですが)
だから過去作は、どちらかという「物語」的な作品だったという見解。(読み味もそういうカンジで)
だから自分の書いたものを大切にするという意味で、
「小説」と「物語」の区別があるとしたら、「物語」は現代的にどう取られるのか?
そこをフォローしたい座りの悪さを抱いている最近です。ご意見求む。
自分のこれまで書いたものが
「これは小説ではない」という意見が出るとしたらもっともだと思うけれど
(別に言われていないですが)
「小説」と「物語」を区別する意義や価値も知りたいです。
自分の中では「小説」的作り方を肯定しています。意見求む。
作法に拘泥しないで書いたモノが、小説の作法を押さえている人にはあまりどうで
もよい悩みかもしれないのは、まあ判るくらいの余裕はありますが。
そこにこだわる個人的な必要性を感じているうえでの悩みです。意見求む。
「小説」的書き方を重んじている人間が書いたかどうかは、
その著作を読めばわかる訳で、それを重んじる感性も分かるのですよね。
ただ自分は、その書き方を「物語」的書き方と明確に区別しているのか?
区別するならば、その意義を参考に聞かせて頂きたい。意見求む。
ちなみに
「小説」と「物語」の区別の簡潔な解説は
「小説・近代的小説の定義」⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AA%AC 』
ちなみにこの時点までは、TL上での意見交換を目論んでいたのですが、
もしかしてというか、自分のこのテーマに意見を持っているフォロワーさん等はそのときいなかったらしく、
孤独にして孤高の思考が続いていきます。
少々見るに堪えない。
『「物語」系の代表作も調べてみますか。
ざっとして目に付く印象だと、
「小説」と「物語」を作法的に区別している人は、もしかして少数派?
もしくはいわゆる小説作法厨という方達でしょうか?
「なろう」で小説の書き方としての物語性、というのも見つけましたし。
でもその人はあまり文字数を投稿していないです。
書いていないから意識が薄いという見方も出来ますし、
この人の作品にも目を通してみるべきか。
ううん。
自分のこれまでの作品が「小説」的作法から逸れているという事自体が嫌、
なのではなく、
自分の書いたモノを無暗に貶める気が無いから、
「物語」的、もしくは「小説」定義から逸れても「価値がないことはない」
という言い訳が欲しいだけなのかな~。
「小説」の作法を重んじる書き方を採っていくなら、
むしろ反面的な位置づけにしたら楽ではあるのだろうけれど、
自虐趣味はないのですよね。
むしろ自分肯定ポジティブマインド。
「小説」の作法的定義が分かったのはいいのだけれど。
まあ、別に自分が「物語」よりの話を書いていたということで迷いがあるわけでもなく。
「小説」よりの書き方をしていくうえでの、過去作の在り方に気が回ったという。
ならそれを含めた技法的書き方をしてけばいいか。
過去作も活きるような。
過去作を無駄にしない作品内容を、これからの作品に書いていけばいいか。
いま尊重し始めた作法にのっとって。
ううむ。遠回りする獅士りん。
しろうと臭さ滾っています。
でもちょとすっきり。
わだかまっているモノと向き合っているときって、めんどくさいものだね。
自分の目から見ても、人の目から見ても。』
というあれで、どうにかお悩みに着地点を見出すことができたという。
しかしこの間、1時間28分(twilog参照)も淡々とつぶやいており、
一体フォロワーの皆様はどういう印象を持っておられたのかが心配です(笑)
そして、シメ。
『問題は会話劇の楽しさ、おちゃらけ具合を前面に出し過ぎて、その所為で作法完
全無視で話1/3ほどの「ディアトリ」の収集のつけ方ですな。
華麗なる序盤の回収を御期待!!!
と自分に発破をかけてみる。』
ということで執筆に励みます~。
「小説家になろう」サイト掲載
小生 刀史郎 著
「ディアトリニティ・ディアフレンズ」
⇒http://ncode.syosetu.com/n4326bv/
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