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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「影を振り切った答え。公生の弾く理由。『四月は君の嘘』第10話感想・改稿」


アニメ『四月は君の嘘』第10話の感想、改稿記事になります。
おつきあいくださると幸いです。

 

公生の苦闘からいったん離れ、
冒頭では公生と渡の帰り道のやり取りが描かれます。

 

まだ音が聴こえないという公生と、それを怖れている彼に渡がアドバイス

 

「逆境でこそ、そいつが本物かどうかわかる」
「星は夜輝くんだぜ」

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

 

暗闇の中にでこそ輝きは生まれうる。
暗闇があってこそ本物の輝きは生まれうる。
 

これは暗闇に怖れ挫けるな、という友人からの激励だと感じます。
暗闇でも星は輝き、標として存在している。
かをりも以前、信じて進む理由として
「この先は暗い夜道かもしれない、
だけど信じて進む、
暗闇が少しでも照らしてくれることを(信じて進む)」
と言っていたのはこういうことにもつながります。 

 

本作は、『きらきら星変奏曲』がたびたび出てきたり、
星空を見上げる公生と友人達、
かをりのケッヘル番号のエール、
そして星の輝き自体も描かれています。
この『星』は本作で何を意味するのか……。
 
今は毎報音楽コンクールです。
公生の異変。正確無比に弾けていた音が
速くて荒い、でこぼこな音になってくる。

 

公生の自己主張して悔いることへの怖れは、
またしてもピアノの音が聴こえなくなる症状となって表れ彼の足を引っ張る。
それでも今このコンクールに臨んだ理由を胸に、
ありったけの気合で
今またピアノを弾き始めた切っ掛けでもある
かをりとの共演を思い起こし
公生は演奏を続けようとする。

 

この時の公生の心の内は『母』の幻影に苦しめられていた。

 

公生にとっての母とは、罪悪感と後悔、
懺悔と、なによりも怖れ。
ここで母の幻影が現れるのは前話の感想で書いた通り、
母へ怒りというかたちで自己主張したことで悔いたことで、
公生は自己主張することで悔いることを怖れている、
彼のそうした無意識が幻影となって現れていると思われます。
 

前話までの理解を踏まえて考えると、
この幻影の言葉は自己主張と向き合うことから逃げるために
公生が自らの内で言い訳を作っていて、
それが心の内で幻影となって現れて自分で自分を追い込んでいることが分かると思います。

 

幻影の姿で『自己主張は悔いることになる、それはしない方が良い』
と母は表面的には違う言葉で公生に諭します。
音が聴こえないのは母に反抗した結果の罰であり、
今こうしてコンクールの本番で音が聴こえないのは、
音に見離されているのは、
かをりと共演したときのようなこれまでとは違った自分の演奏が出来ないのは、
これまでの自分が孤独なのはすべて、
母を否定した罰である、と。

 

母を否定した罰……母の否定。(劇中では『拒絶』となっていますが、
自分はあえて『否定』と表現させていただいています)
この辺がもしかしたら『音が聴こえなくなる症状』のキーかもしれません。

 

次第にその言葉に抵抗する体力と集中力もそがれ、疲れていく公生の心には
過去の母とチェルシーが。
チェルシーを捨てるために抱える母の影のなかに、
幼いうつむいた公生がいる、という画ですが、

 

これは、このままでは『自己主張して悔いることへの怖れ』が
現実化しそうなくらいに公生が弱り、
かつての自分、チェルシーを捨てるのを黙って見過ごした
『自己主張しなかった』自分になってしまいそうな心を表していると思います。
けれど、本心はかをりのような自己表現をしたい……しかし現状は音が聴こえず、
かをりの伴奏の時のようにはうまくいかない……

 

結局自分はダメなのか……と、
幻影の言葉に疲れ、演奏を止めようとしてしまう公正。

 

音が聴こえないのも、孤独なのも自分が母に反抗の自己主張をしたから。
でもこれについて思うのが、
公生の音が聴こえない理由は今後に譲るとして、
孤独なのは母に反抗の意思を主張したからでしょうか?
そもそも、母が亡くなってからの二年にしても、
公生は椿も渡もいるし孤独とも言い切れないはずです。
今、公生が孤独だと自分で感じているのは
それらの人を見ようとしていなかったからではないでしょうか?
母のため、と他者を思って行動していた公生が
他者(母)のための行動を否定し、
そんな自分だから周りの人はみんな自分を相手にしない、
と勝手に思い込んでいる……とも考えられます。

 

心を閉ざして他者に目を向けず、そして自己を主張しない……
そんな人が孤独だとしても、わりと当たり前のようにも感じます。
このあたり、もしかしたら今後のキーの一つかもしれませんね。 
世界がモノトーンになるような不協和が生じていて、それを解放するキーがそこにはあるような。

 

話を劇中に戻しましょう。
観客がそれぞれに公生が演奏を止めそうになるのを見守り、
絵見や椿、そしてかをりは公生に演奏を続けるように願います。

 

憧れでありライバルとして追って来たピアニストの公生が無残に失墜しようとしている。
それで本当に演奏を止めてしまうものだから、武士に悲痛なつぶやきがもれます。
みなそれぞれの反応を見せる中、
渡だけは毅然と公生の動向を見守っている様子が光ります。
冒頭の言葉は、公生への励ましは
幼いころからがんばってきた友人への信頼に感じます。
チャラいだけではなく、心がなかなか本当にハンサムガイだな、渡は。
とも感じます。

 

演奏を止めた公生。
けれど少し、何か違う。
こういう状況では自らの失敗に悔い、
下を向いて屈辱に耐えるものではないか。
しかし今の公生は頭上のきらきら星のようなスポットライトを見上げ、
脳裏にはかをりの口にした「星は君の頭上に輝くよ」
という言葉。
大きな後悔ではない、考えるのは今の状況がかをりと同じ、
途中で演奏を止めてしまい、コンクールが終わってしまったということ。 
暴虐非道な誰かさんと同じ。
同じ穴のムジナ。
公生はかをりのこと思う。

 

今の自分と同じく、コンクールを失格になっていながら尚、演奏することをした
――かをりのことを。

 

(あの時君は、何のためにヴァイオリンを弾いたのかな……)

 

伴奏の舞台であきらめることなく演奏を続けたかをりは何を思っていたのか?
公生はそれを考えていたのかもしれない。
このわずかの間に公生が何を見出したのか。
かをりの姿に何を感じたのか。
どういうことを彼女が考えていたと思ったのか?
 

「「アゲイン」」

 

公生は、もう一度コンクールの演奏を弾き始める。
何の為に。
誰の為に。

 

ここで公生がアゲインしたかをりに何を思っていたか。
ここから少し自分の解釈ですが、
かをりが何を思っていたのか、その真意を公生が理解したかというと、
それは作品の現時点の内容からは判断できないと思います。

 

ただ、公生のなかでかをりと交わした数々の言葉や姿が星のきらめきのように現れ、
思いだしたのが、
コンクールの練習中にかをりに指導された
「君は何のために弾くの?
自分のため?
誰かのため?」

 

この言葉が導きとなり、
かをりがそもそもアゲインした伴奏の舞台に
公生をむりやり引きずりだし経緯、
あの時の会話に想像が及んだのではないか?と考えます。

 

「僕は音が聴こえないんだ」
という公生に対して、それでも
「伴奏者に任命します」
と言い切った彼女。
それは自分のコンクールのためでもあったでしょう。
でも、コンクールが終わった状況では、自分のためはもう消滅している。
だったら?
だったらかをりは、
これまでの交流で知っている
『弾けない、怖い』と言っている公生に再起のきっかけを与えるために、
あの終わったコンクールの状況で再び弾いたのではないか?
自分のため、
が済んだのなら、
誰かのため。
それが公生が解釈したかをりのアゲインの(現時点で理解できる)意味ではないか?

 

それはある意味、むりやり公生を舞台に引きずり上げた責任をとるという行為でもある。
だから、コンクールにでることをお願いしたかをりはケッヘル番号で激励もした。
『自分のため』、に付き合ってもらったお礼に
『誰かのため』、公生のためをしたかをり。
『誰かのため』はかつての公生が『母のため』と行っていたことで、衝突して出来なくなったこと。
自由な自己表現、主張。誰かのため。それが公生が憧れたかをりの在り方。
それが出来るかをりの輝きはきらきら星のようで、見上げるスポットライトがその輝きにみえる。
その輝き=かをりの在り方
を見る公生の心は、
自由な自己主張への憧れとそれをするためのコンクールが終わった現実を踏まえ、
だけど、それでも、それでもとかをりのような在り方を、
弾く理由を求めた面もあったのでは思います。

自分が弾く理由を想う公生。

 

(ああ……そうだ、僕は、君の為に弾こう)

 

そう結論付けてアゲインする公生。
それは、かをりがお願いして臨ませてくれたコンクールの舞台に対して、
『かをりのために』あきらめずに最後までやりきろう、という責任をとる意味もあったのでは?
と考えます。
上記のようにかをりもアゲインしたのは
『自分のため』のコンクールに公生を無理矢理に伴奏させて、
うまく弾けないで恥をかかせだけで済ませず、
公生が再び弾くきっかけになればと終わったコンクールで弾き直しをした。
むりやり舞台に引きずり上げた責任をとった。
『誰かのため』『公生のために』弾き直しをして最後まできっちり演奏した。
(と、公生がこの時かをりの弾き直しを解釈したとも考えられる。
でなければ何故、好きな男の子の友人Aに対して
大恥をかいてまで再演奏をしたのか、
これ以外に公生には納得いくかをりの理由が見つからないとも言えるのでは、と)
 

この辺の公生の解釈に対しての解釈に疑問を持たれる人もいそうですが、
そこからが肝心なのだと思います。
この公生の解釈は、
『宮園かをりがそこまでしてくれた女の子』であるという理解と納得になると思うのです。
それに加えて、彼女が無理矢理に伴奏者に任命してでもピアノに再び向き合わせてくれた。
自由に自己を表現する姿で憧れという標となり、
星のようにきらめくひとつひとつの言葉で力を与え、
怖れを振り切って憧れに飛び込むことをさせてくれた。
だから今、再びピアノに向きあい、苦しい思いで練習して、
憧れに挑戦する舞台に、
そして音楽の世界に戻ってこられている。こうしていられる。
公生の心にはそのすべてへの感謝の言葉が繰り返される。
そんな宮園かをりだからこそ『そんな君のために弾こう』になったのだと思います。

 

この時、さっきまでの自己主張を怖れ、自己主張することで悔いることを怖れる公生の心に、
彼なりの『弾く理由』が生まれたのだと言えます。
母のときのように自己主張することで悔いてもいいから、
この場で、かをりに憧れて出場した演奏に最後まで向き合う。
今の自分のありったけの自己を主張、表現する。

 

自己主張して後悔してもいいから『宮園かをりへの感謝のために』

 

それが公生のアゲインではないか?

 

かをりのためと弾くピアノは三度の変化を見せる。
これは、
一度目は自己主張よりもライバルに勝つためにこれまで通りの
ヒューマンメトロノームの演奏。
二度目は自己主張の怖れとそれをすることで悔いることへの怖れと迷いから
乱れ苦しむ演奏。
そして三度目の変化はかをりとの出会いと交流の記憶。
かをりによってモノトーンから変わった今の公生の世界。
それを導いくれた、自分を変えてくれたかをりへの感謝と想いそのもの。

 

絵見はこの演奏にかつての『ひまわり』をまとった幼い公生の姿を感じ、
それが四月の桜のような気配に変わるのを感じます。

 

母のため、誰かのためと演奏していた以前の公生が戻ってきた。
それが今の公生の演奏の気配に変わる。

 

舞い散る夜の桜。
散りゆく儚さがありながらも美しい桜のような音。
同時に月明りというモノが何をあらわすのか。
ここに、四月という美しくも短い季節と、
公生がかをりに無意識に感じている気配を読み取ることもできます。
かをり……病気……美しくも儚い……、
それは本作を最後までみた人の心にゆだねましょう、今は。

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

他にも、絵見の感じた今の公生の音は
黄色からピンク、桜の花びらの色になっていました。
絵見にとっての『ひまわり』(ひまわりの花言葉は『憧れ』)の黄色だった公生でしたが、
今の彼の世界は四月のピンクの桜の色をしている、
というのが良いですね。
それだけ四月の満開の桜のしたで出逢ったかをりが公生の心、世界を変えたのだと感じます。

 

かをりはこの公生の演奏に
公生が戻ってきた、
この演奏には公生自身がいる、
と感じていますが、
これは要は絵見が「戻ってこい」と切望したように
かをりも公生の昔の演奏を知っているということでしょう。
そして公生の演奏は、かつては上記のように『誰かのため』の想いで弾かれたピアノだった、と。
それはこの時点までもフェアに提示されていたのでしょう。
『お母さんのために最高の演奏をするんだ』
その想いがあったのがそれなのでしょう。

 

公生はかつて、自己表現として『誰かのため』をしていた。
昔は普通に自己主張をしていたのでしょう、屈託なく。

 

同時に、それはかつては自己主張があったけれど、
苛烈な母に内心では怯え、
『自己主張を怖れ』るようになりヒューマンメトロノームの演奏になったということだと思います。
母が怖い。
自己主張は怖い。
それがかつての絵見の人生を変えたほどの演奏、
公生の『誰かのために』を隠れさせた事情なのでしょう、と改めて考えます。

 

なんとか弾き切った公生に、
けれど拍手はまばらな会場。
それでも公生は後悔なんて微塵もない顔で立っている。
そう、自己を表現することで悔いる怖れを抱いていたけれど、
自分なりの弾く理由でそれを跳ね除けて演奏しきったのは、
その理由のために弾くのならば、
たとえまばらな拍手という結果であっても、
失敗して嗤われて恥をかいても後悔なんてしない、
とさえ思っていたから、
『かをりのため』の自己表現、自己主張ができれば後悔してもいい、
という覚悟があったから後悔なんてないのでしょう。
 

重ねてになりますが、
自己主張することで後悔することに怖れのあった公生は、
かをりのためという自分なりの弾く理由のために弾くならば後悔はないと思ってアゲインした。
だから、後悔なんて微塵もない、ということだと思います。

 

自分の演奏がたった一人に届くのなら、
届けばいいな、と公生は願いながら演奏を終えます。
そんな公生の視る母の幻影は、
反抗した時によく覚えていない表情が思いだされていた。
あの時の母さんは本当はこんな顔をしていた、ということなのでしょう。
柔らかに微笑んでいる母。
これはもしかすると、
公生は自己主張したことで母を傷つけて死においやったと悔いていますが、
実のところは母は、
言うなりで従い、自己主張しない子供の公生を危惧していたのではないか?

 

だから、そんな公生が怒りとはいえ、譜面を投げてさえ自己主張した
――つまり、人として成長した瞬間を祝福し、母親として喜んでいたのではないか?
今、怖れを振り切って自己主張の演奏をした公生に母のその気持ちが理解できた。
だからあの時の母の顔が押し隠した記憶の底から浮上してきて見えた。

 

これまではしてはいけない自己主張をした悔いで、
それをした時の母の顔を見ていながら自ら覆い隠していたのでしょう。
それがいざ自己主張して成長してみると、
ああ、あの時の母さんの顔はそういう意味だったのか、
自分は心が曇ってそれから目を背けていたんだな、とよくよくその表情の母の記憶が
覆い隠された状態から曇りが晴れて見えてきた。
これは、公生の心が母と向き合いだしたとも取れますね。 

 

そして瀬戸紘子さん登場。
ここで出る凡才の意味とは。
これまでの改稿での再理解を経ると、
天才であった公生が
普通の人のように大切なことを順を追って理解し成長していく
普通の人間であることを表現しているように今は感じます。
 

さて、コンクールの結果は。

 

ではでは、また君嘘の感想で。