1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「かをりの今後が心配になる暗示がいや増す。『四月は君の嘘』第11話感想・改稿」

 

アニメ『四月は君の嘘』のだ11話の感想記事の改稿文になります。
おつきあいくださると幸いです。

 

久しぶりのコンクールでの公生の結果は、
まばらな拍手となりました。
かつてのかをりのように演奏を中断したことで評価はない。
けれど公生には掴んだモノがあるようで後悔なんてない顔です。

 

君のために弾く。君ひとりに届けばいい。届くといいな。 

 

その公生の演奏へのそれぞれの反応は
審査委員長は辛辣です。
審査を受けに来るなら形にしてからこい、コンクールは模索のぶっつけ本番を見せる場ではない、
という意味も含み、それは正論ですが、
その内心は審査対象外なのに心揺らされる公生の演奏への動揺を
なんとかごまかそうとしているようにも感じます。
高柳先生も言っていましたが、誰だって戸惑うというモノです。
三度もあそこまで激変する演奏を聴かされ、
その最後は聞きほれて演奏が終わって拍手をすることすら忘れるほどのモノだったのですから。

 

その公生の演奏の印象は絵見にとってはポジティブに、
けれど武士にとってはネガティブだったようです。
武士にとってのかつての公生の演奏は
鋼鉄のように頑強な孤高の技巧派演奏。
彼はそんな公生の演奏に
思春期の男子学生がロックスターに憧れるような感覚にも似た
強いヒーローのような存在感と憧れを抱いていた。
それが見る影もなく、演奏を中断までして、こんな激変した演奏を見せられた。

 


で、前回のラストで登場した紘子さんが公生のもとに。
気さくに、親しげに公生をハグする紘子さんに渡のジェラシーが。
それだけ過去に公生と紘子さんにあった親交が窺えます。
というか、公生が演奏中に回想していた母の思い出に、
車いすに付き添って立つ女性がいました。
それが紘子さん。
かをりが瀬戸紘子という日本屈指のピアニストの簡単な説明を椿と渡にしていますが、
公生の母とは音大の同期であり、
二人は友人で公生が幼いころもつきあいがあったということです。 
 

このハグには久しぶりの再会以上に公生に対するさまざまな意味があるように感じますね。
この第11話で描かれますが、紘子さんが公生にピアニストになる道を示したことで、
その音楽が公生を追いつめることになった。
そのことへの懺悔であり、
こうして元気にコンクールに戻ってくるくらいに回復した子供への愛情表現でもあったのでしょう。 

 

審査結果によい結果を求めていない。
という公生は、かをりのために自己主張するなら悔いてもいい、
と覚悟を決めていたので審査結果が芳しくなくても構わないのだと
今回の改稿で改めて思えます。 

 

けれど紘子さんはちゃんと結果を受けとめることも大切と教えます。
自分のありったけの感情を演奏に込めたからこそ、その結果は噛み締めるべきだ。
ここに紘子さんの大人としての、そして先に立つピアニストとしての
指導、レクチャーが表れ、今後の公生をさらに先に進める助力となりそうに感じます。
あれ?これは公生を導く存在、主導権の移動の気配……?

 

公生の演奏に込められた彼の心を視通して紘子さんが訊いてきます。

 

「ショートの娘?ロングの娘?どっちの娘が好きなの?」

 

公生は「これは感謝だ」と思っています。

前話の感想で
公生は自分のために終わったコンクールで恥をかいてまでアゲインしてくれたかをりに、
そこまでしてくれた彼女のために弾こうと彼もアゲインした、と書きました。
影に隠れる自分をむりやり舞台に引っ張り出して、
その責任をとるかのような意味もある、
かをり自身のためではないアゲイン。
それに色々な言葉で勇気をくれて導いてくれた。
そのことへの感謝。

 

ですが紘子さんは公生の演奏のさらに奥には
感謝以上の気持ちがあると指摘し、
ピアノと向き合っていればいずれそれと向き合うことになると予言します。

 

今の公生は恋も未経験だから、
自分の『異性を好き』という感情の自覚に対しての戸惑いや怖れがあるのでは。
だから本当は気になるかをりのことは
『友達を好きな女の子』
というフレーズで自分の気持ちに嘘をついているともいえます。

 

まあ、恋愛って相手がレベルが高くて手に入りそうにないと
なんだかんだ言い訳をつけて興味ないふりもしますよね。
心理学でいうところの『セルフ・ハンディキャッピング
『すっぱいぶどうの理論』『防衛機制
という考え方で、
青春というのはそういう風に自分の心にシンプルになれず
ふらふら言い訳して自分を守ったりもしてしまいがちかもしれません。
これもまた思春期の悩みか……。
傷つくのが怖くて臆病になって、言い訳をして悩みのなかに閉じこもったり……、
公生がんばれ!

 

大人になると目的の達成のためには
自分に言い訳するのがバカらしいという考え方も持てますからね。 

 

結果発表のあと、
公生にヒーロー像をみていた武士は彼に怒りをぶつけます。

 

「今まで何やってたんだよ」

 

俺のヒーローが、こんなよくいる人間みたいに。

 

この時の公生の私服Tシャツのプリント文字が

 

『NO LIFE IS ENOUGH』ノーライフイズイナフ。

 

個人的に意訳すると

 

“生きないのはもう十分”

 

操り人形だった生きていない状態から
自律した人間としてピアノを弾き始めた、
有馬公生の生が始まったことを表していそうです。

武士の見ていたヒーローは本当は母を怖れて操られていた人形。
そして今はそうじゃない。
生きることを始めた『人間』

 

人間……かあ。
公生はこの先どんな人間らしい感情を経験していくのか。
喜びも悲しみも色々あるのだろう。
同時にこの文言は1クール目での公生の変化を象徴しているように思います。

 

そしてこれはまだ生きることを始めたに過ぎない。
ここからが本番である。
だから
『旅の途中』

 

後半戦での公生と、
椿や渡、武士に絵見も含めたみんなの成長が期待されます。

 

ここでもショパンが出てくるのですが、
詩的なこのシーンのセリフは『ピアノの詩人』と言われたショパンと重なる気もします。
本作は公生の成長を通して有馬公生がショパンへと近づいていく旅路でもある……のかもしれません。

 

「あいつ変わったな……」 
という武士の感想には
鋼鉄のように頑強な孤高のピアニストだった公生に、
これまでと違う感触と音を有馬公生自身から感じたのかもしれません。
絵見はそんな公生に
『弾く理由をみつけたんだよ』
とつぶやきます。
母を怖れ自己主張を怖れた公生は、
母親の仕込んだ通りで自己主張しない無機質な技巧のみのピアノだった。
それが今回のコンクールで
この人のためならば自己主張をして悔いても良いという、
『彼なりの弾く理由』が出来た。

 

怖れに立ち向かっていく理由は、
大切な誰かのため。 
それは武士にしてみれば『変わった』であり、
絵見にしてみれば
『理由を取り戻した、見つけた』なのでしょう。

 

それは人間らしい感情、想いの再生。

 

ヒューマンメトロノーム
母親の操り人形。
そう揶揄された公生はもう居ない。
公生の人としてのこころが再び始まったといえます。

だから敗れた結果に悔しい。
躰と心が内なる感情の高まりを抑えきれないほどに。
走り出して、叫ばずにはいられないほどに!
それが今の公生。
 

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©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 ……もう、青春ですね。
善き。こういう熱さ。切なさ、感情の高まり。
自分自身がモノトーンの青春だったせいか、
そうこれだよ!感で疑似体験しているかのような。
昔は分からなかったあれこれが今ならこうだと分かるからこそ、
この作品に、公生やかをりに自分は惹き付けられるのかもしれません。

 

人によっては暑苦しいとか痛いという見方もあるんだろうけど、
感情に逆らわずに生きているって見ている側には心に訴えるモノがありますよね。
熟女先生も一途な想いをきかされると切なくなる、と感じていたように。
自分もそれを感じられることが今嬉しいです。

 

かをりが春のコンクール後のガラコンサートに出場ということで、
公生にまた伴奏をお願いしに来ました。
ガラコンサートは何かの記念で行われる演奏会のことですね。
略してガラコン。

 

屋上でのやり取りが
ナイン!とか、
ヤア―!
100点!
などかをちゃんかわいいです^◡^ 
 

出場するかどうかは今の公生には愚問でしょう。
彼の今の演奏の理由は
『君のため』
その舞台があるなら是非もない。
それに、かをりとの舞台には彼女が示した『忘れられない光景』がある。
公生はまたそれを体験したいと憧れる。

 

けれどかをりが提示した課題曲は

 

クライスラー「愛の悲しみ」

 

公生はこれに難色を示しますね。
何故かと思っていたら、
どうやらお母さん絡みの理由のようです。

 

これはトラウマとの対峙、第2ラウンドのゴングですね。
自己主張の怖れと迷い、
それをすることで悔いることを振り切り
かをりのような自由に自己を表現する演奏を始めた公生。
あとは、音が聴こえなくなる理由。
そして、母への怖れですね。
公生の過去に関しては。

 

このガラコンで公生の母への認識、過去の悪逆への決着が訪れそうです。
果たして無事に済むのか……。
 

その練習に際してヴァイオリンを掻き抱くかをちゃんのセリフが意味深なのです。

 

この作品は色々な要素を考えると、
課題のひとつとして
かをりちゃんが抱える病気がどうなるか?
が挙がります。
アニメ放送は
原作が同時に完結するという話で……
いったいかをりゃんはどうなるのか、
心配で心配で。うわーんっです。

 

そんな心配をしながらも、
かをりちゃんに抱かれるヴァイオリンになりたい。
と思ったのはここだけの話。

 

ガラコンに向けての練習のかをりとの帰り道。
かをりと公生は河原でホタルが舞う光景を見る。

 

そこでかをりは今回のコンクールの舞台で公生が何を思ったのかを訊きます。
皆がそれぞれの思いを胸に練習に励んだ演奏をしていた。
ピアノとは、だから人間の奏でるモノだともとれますね。
 

そして公生にとっての心からの想いとは、
彼の心の中に居たのは、
君だよ、とかをりに告げる。

 

これもまた自己主張なのでしょう。 
彼にその気がなくても女の子にしてみたらこれは
ラヴコンフェッション以外の何物でもないわけでね。
今の公生はこのくらいには自己を表現する気持ち、
己の感情と勇気が身に付いたようです。

 

しかし、公生からのこうした言葉がもれても
イマイチ無反応なかをり……内心では一体何を考えているのか?
なにやら複雑な気配を感じます。
明確に好意なのですが、それに反応を示さないわけ……とは?
私は渡くんのモノなのよ、この勘違い野郎ーー!!
だったりしたら公生は悲惨ですが。

 

でも公生にとってかをりは今はまだ、憧れる背中の持ち主という位置づけ。
公生の本心が紘子さんの見抜いた通しだとしたら、
彼は己の本心をまっすぐに表現するほどの強さではなく、
怖れや迷いもまだある。
これも若さか……それともこれも人間であるということなのか。

 

人間、伝えられないときや、自分の気持ちに正直になれないこともあるものですよね。
それもまた人間。
今の公生はそういう人間であるのかもしれません。 

 

さあ、これからそんな公生が、かをりがどう変わっていくのか。
旅の後半戦が始まります。

 

なのに、
「僕がいつも傍に居て、助けてあげられるとは限らないんだよ」
チャーリーブラウン。

 

かをりのその引用と共に、“命の灯”と彼女が形容したホタルの光が暗滅するのが、
もうもうもう!不安を掻き立ててきます!
うわーーっん!!かをちゃんこれからどうなるんですか!?心配過ぎるよ!!!

え、ちょっと、さっきの公生への無反応は
応えられそうにない、とかそういうことかもしれないと!?
そこまでなのか、かをちゃんの病状は……?

 

そんなかをりちゃんを感じさせない、
次回予告の
“ヴァイオリンの女豹”のような瞳がステキですね。

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 ©新川直司講談社/「四月は君の嘘」製作委員会

 

ではまた次の君嘘の感想で。