機動戦士ガンダムの初代ガンダムが実物大で動くのが
開催されているのに合わせて、改稿して再掲。
本著は79年放送の機動戦士ガンダムの製作と、
のちの映画公開頃までの富野由悠季氏の自伝と、
その生活とアニメ制作の履歴であり、
ガンダム以外の作品についても言及されており、
ガンダム単体の製作にまつわる秘話の本ではない。
手塚治虫氏とのかかわりから始まる富野さんの
様々なアニメとの携わり方、経験によって、
親元から離れ地元を捨てて15年以上の苦闘の末に
出世作となるガンダムという作品を生み出した、
その過程を日記的メモから抜粋して、
氏の経験した様々な事柄が記されている。
富野さんが映画製作が志向であり、
電動紙芝居なんて!アニメは低俗なモノという考え方だったのは有名なはなし。
しかし、地元小田原に二度と帰らず一本立ちをするために、
数多くのコンテを手掛けていった。
しかしそれもすぐにヒット作を生み出せた訳ではなく、
思考錯誤の数本を経験し
深いバックボーンの構築という方法論を経て、
それがやがてガンダムへと繋がっていたことも語られている。
当時のアニメ視聴者(特にロボットモノに親しむ人たち)に
衝撃を与えたガンダムのようなリアル路線は、
その後、アニメ作品のスタンダードとなったといえる意味でも、
富野さんの行った作品との格闘と挑戦は、
そのものアニメを変えたと言える。
本著序盤は、ガンダム劇場版の公開イベントにおいて、
『アニメ新世紀宣言』
がされた事柄についても述べられているが、
今にして考えるとまさしくな出来事であったと言える。
あとがきで、何故ここまで仕事を過剰にし続けてこられたのか?
という自身でも思う疑問について、
富野さんはモノ作りとは歩くことと、
その里程標を築くことに近いということが語られる。
里程標……自分が辿った道程の証であるとも言える。
同時に、コンプレックスまみれの子供だった自分が、
その人生で何が出来たのか? を作品で世に問い、刻みこみ、
証明していく行為であると言える。
ある種自己満足と身勝手ともとられる行いだが、
そこに、躊躇いや意地でこだわらずに、
また不勉強で悔いをのこすようなことはしたくないという。
だから富野さんは……この言葉にあるように、
命ある限り悔いのないように自分に出来ることを
していこうとしており、
飽くことなく仕事を続けているのだな、と再読で改めて思わされた。
そんな富野さんだから、
今後も自分たちに何らかの歩んだ証を見せてくれるだろうと予感させていた。
そのガンダムが動く。
アニメじゃなく現実に。
まだまだ緩慢でモビルスーツ戦とはいかないが、
神と呼ばれた男の、一人立ちの苦闘が結んだ伝説、その新たな幕開けといえる一事。
果たして次はどんな里程標を刻むのか、
この戦う姿に、若きも中年も続け!と思わされる。
そんな富野由悠季御大の苦闘が読み取れる本でした。
ではまた次の本の感想で。