1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「アニメジョジョの奇妙な冒険「ストーンオーシャン」最終回まで視聴してッ!!」


今回は、
アニメジョジョストーンオーシャン」について
書かせていただきます。

 

ジャンプの人気漫画で昔からサブカル界隈では有名な、
また、奇妙でグロいシーンもあることから気持ち悪いという
感想もあった「ジョジョの奇妙な冒険

 

現在9部も新連載の始まった作品も
2012年のアニメ化から6部の「ストーンオーシャン」までで
アニメも10年を迎えていました。

 

そのストーンオーシャンも先日4月8日放送分で最終回。
1部冒頭の嵐の中の馬車事故から始まった
ジョースター家とディオの因縁の物語も、
これにて因縁に決着となりました。

 

その感想を書いていくのですが、
まず自分のストーンオーシャンに触れていた時期を話すと、
本誌リアタイで3部ラストから読んでいたので、
ストーンオーシャンもリアタイ勢で、
結末やメイドインヘブンの初期の名前なども知っていました。

 

当時から6部のラストに関しては批判的な意見があったかどうかは
ネットなどに触れていなかったので
知りませんでしたが、
自分としては徐倫や承太郎の結末はともかく、
生き残ったエンポリオが酸素濃度を操って相打ちで……
そしてあのラストシーンを結構熱い思いで記憶していました。

 

なので、今の最終回目前のTwitterの感想を見ていても

「辛い」などのネガティブな感想が散見されることに
多少の違和感を抱いていたのが正直なところです。

 

まあ、今の自分の考え方だと、そうしたネガティブな意見の理由も
推しの存在や誰や何にフォーカスした結果なのだと理解はできるので、
頭ごなしに否定する気もないのですが、

 

自分の考えとして常に原作尊重、
ジョジョは「人間賛歌の物語」「人間のポジネガ含めた在り方、生き様の物語」なので、
ああいう結末はあれで良いと肯定するスタンスです。
思い入れのあるキャラが亡くなって悲しい、
というのは分かるのですが、
そこは運命の物語、
人間生きていたら必ずいつか死ぬのであって、
肝心なのはその過程と、
そうして先に逝ってしまった者達が遺したモノを受け継いでいくことの連なりであり、
受容すべきところだとも思います。
それが少なくとも「ジョジョ」との付き合いかただと
自分は原作者の荒木飛呂彦先生の昔からの発言を見てきて思っていたりします。

 

それに、恐怖を知り受け入れ、勇気をもって立ち向かう、
迷いなき覚悟に喝采
の物語でもあります。
徐倫も承太郎も、
プッチ神父DIOを殺さないとならないとさえ思って旅に挑んでいたのは
視聴者皆さんもご存じの通り。
それは命のやり取りであり、
スタンド能力も殺傷レベルであり、
殺すということはジョースター側も命のリスクがあるということで、
それを知ってなお立ち向かう。
一部のジョナサンがいかに人間を超越したディオに恐怖し、
それを勇気を奮い立たせて命の危険という恐怖に立ち向かって戦ってきたかを、
アニメジョジョ視聴者の皆さんも見届けてきたはず。

 

スタンドバトルもジョジョのバトルも、
基本は命がけのバトルで、
それでも大切な家族や夢やそれぞれの理由でその死の恐怖に立ち向かう。
だからこそ勇気が尊く、
視聴者はジョースターの血統の戦いの歴史に魅了されてきたはず。

 

6部ストーンオーシャンもそのラストバトルの結末はともかく、
その闘いにはいうまでもなく紛れもなく
徐倫たちの勇気と覚悟があった。
その結果、
エンポリオにリレーとなって正義の糸が繋がり
プッチ神父DIOの企てに対しての勝利となったのだと思います。

 

メイドインヘブンとプッチ神父エンポリオの戦い、
勝敗が決したのちに再誕した宇宙においての
アイリンたちとの出会いは
エンポリオにとっては自分を誰も知らないことへの悲しさはありますが、
別種のいくつかの感慨もあっての涙だったとも思います。
それは決して悲しことばかりでもないはず。
エンポリオにとっては悲しい面もあっても、
徐倫を「お姉ちゃん」と呼び慕って協力し、
アナスイエルメェスたちとの闘いの旅をしてきたエンポリオにとって、
一度は躯となった彼女たちとこうした形でもまみえ、
彼女たちが生きてしゃべっている姿との再会は、
喜びもあったのではないか、と思うのです。

 

何事も一面的には捉えられないし、
自分も全てを理解しているとは言い切りませんが、
解釈も人それぞれだとしても、
せっかく触れてきた壮大な物語、
「納得」して欲しいというのが古参気味な自分の老婆心といったところです。
(男ですが)

 

こちらは、
アニラストバトルに寄せた自作ファンアート。
ついでにこのブログ記事にも掲載させていただきます。

 

 

因縁の解放。そして続ていく冒険。

 

 

嵐のなか進む車。
雨がF.Fだと言いえるなら、
6部ジョースターご一行みんなを乗せ、
今度は嵐を抜けて家族のもとへと向かうジョジョ
やはり1部冒頭のジョースター家が囚われた因縁から
解放されたのだと理解できると思います。

 

原作のラストコマはヒッチハイカーのウエザーを拾うシーン。
コミックスは例の集合と嵐のなか道の先へのシーン。
そしてアニメは更に少しのアニオリもあって、
その道の先には晴れ間が広がり、
さらに、七色の虹がかかっているように描かれていました。

 

7色
つまり7部への希望の架け橋。

 

ただ、この虹は完全にはまだ繋がってはいません。
諸々の事情があるのだとは思いますが、
あと1/3くらいの時間と予算と、何らかの猶予が必要なのだとも思えます。

 

この辺は、時間の流れと運命の針がその時を刻むのを待ちましょう。

 

自分にしてみれば、
今もなお6部のラストはやはり
感慨深いモノがあるタイプのラストシーンだと思います。
1部から6部の集大成だとは
OP映像や作品的意味合い、
アニメ10周年など様々な意味もあると思いますが確かなことで、
なによりジョースター家の因縁の決着が
あのラストシーンなのですから、
それは納得しかないわけです。自分にしてみれば。

 

様々な感想があってよいと思いますが、
自分はそんなことをこの20年を経ても変わらず感じたりした
アニメ「ストーンオーシャン」の最終回視聴でした。

 

最後に、
この戦いと因縁の決着は
ジョースター家が囚われていた因縁からの解放に至りましたが、
それはジョースター家に限らず人間が「運命」の牢獄に囚われた囚人であり、
ジョジョプロローグのように
その囚人は
一人は泥を見て、
一人は星を見た。

 

一人はその運命の大きさと力に絶望し、
一人はそれでも希望を胸に勇気をもって立ち向かうことを
その星の輝きに誓ったはず。
それが恐怖に立ち向かう迷いなき覚悟の戦いとなり、
因縁の解放へと至ったのだとすれば、

 

現実や運命に囚われる全ての、現代とリアルに生きる「人間」に、
その星を見る心と勇気を忘れないで欲しいと、
そんな希望を抱きます。

 

ジョジョアニメも6部までが昇華され、
次は7部のスティールボールランが期待されますが、
それがいつになるのか、
実際に実現可能なのかは
その時にならなければ分かりませんが、
その時にはまた星の痣を刻んだ人間、冒険者たちの物語について
語り合いましょう。

 

加えて、ジョジョアニメ化に携わった全てのスタッフの方々と、
声優のファイルーズ・あいさんや小野大輔さんたちに
ありがとうございました。
とともに
最大の敬意を表するッ!!

 

ではでは~。