1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「『ガッチャマンクラウズインサイト』~第10話まで視聴・考察」

うさま』は

ゲルサドラの『民意を表出させるふき出し様』から出で現れた、

この国の空気の体現者にして執行者のような生命体だった。

この“システム”ともいえるゲルサドラの新たな力は、

鈴木理詰夢によって世間の流れ

――この場合は大勢的意見――

すなわち空気が変えられることで、

生み出した元であるゲルサドラさえ

空気をひとつにすることを妨げる因子として

標的にして喰おうとした。

はじめちゃんがいち早くこの展開に気付き、

先回りしてゲルサドラをガードしたのには、

おそらく次のような意味があるとじゅーしーは考えます。

それは、ここで空気にながされるままに

批判の対象であるゲルサドラを始末したとしても、

それはいたちごっこのように途切れることなく、

また別の空気を生む温床になり、

(こん回に則していうと、

ゲルサドラを支持し首相にした責任所在や、

彼の施行した政策に関するリカバリーといった後処理問題、

これも責任のなすりあいの結果、生贄羊をまつりあげたりと、

それを大衆が大挙となって批判する空気や、

批判する対象を攻撃する空気を作り出す現実を導き出すこと)

同じことを繰り返しかねないからだろう。

(この辺、ガンダムW

『戦争』『平和』『革命』がワルツのようにループする

という民衆を扇動し繰り返される戦争の歴史、

その表現を想起させます。

時事的に、戦争に遠からず結びつきそうな法案を

反対する空気が、煽られる意味でも拡大しているのが、

なんとも皮肉であり、麻姑掻痒な表現にも感じますね)

ここに本作の狙いがあるように思います。

また別の視点からは、ゲルサドラをはじめちゃんが守ったことで、

つばさちゃんとの友情が成立する、

という作品的構造かもしれないですね。

話を戻して、

ではゲルサドラを守って、現在の世間の空気を抹消する

……くうさまを物理的に排除殲滅することで何かが変わるのか?

ということを提起したのが、10話までのストーリーといえるでしょう。

ここでひとつ、

表題の『インサイト』ととは、

直訳で『洞察』『眼識』

であるようです。

この単語は、どうもケースバイケースで解釈が異なる

玉虫色ワードであるようです。

こちらのサイトで少し見解が述べれています。

マーケティングでいう「インサイト」とはいったい何か?意味は?

じゅーしー的な本作とすり合わせた意訳としては

『見抜く力』

言い換えると、世間の大勢的意見――『空気』を読む(見抜く)力

指しているのではないかと。

しかし、本作で描かれる話の結び方、

すなわちガッチャマンたちの成し遂げる

ヒーロー的行動の結実とはなにか?を考えると、

ここまで話が進むと感じますが、

それは世間に付き纏う『空気に支配された選択』という

民衆が犯しがちな愚を乗り越えさせることにあるように思います。

インサイト≒空気を読むという大勢的流れ

からの脱却。

ガッチャ 36

ガッチャマンの……

ひいては累がこれから求める方向としては、

空気に流されて大勢を決めることの打破。

それぞれが意思を持つこと。

すなわち、個々が考えるということ。

それは自分の意志を持って意見を吐き出すこと。

それを恐れない勇敢な姿勢、

すなわち、

それぞれがヒーローのスガタを実践するという事が肝要なのではないか。

(これは前作で、クラウズを広く配布した発想にもある考え方ですね。

もう多くの方々によって述べれている意見である事でしょう)

そうすることで、

少数特定の限られた者が特異で秀でた能力を持つことでなれる

ヒーロー性、ヒーロー像を脱却することもする。

すなわち、一億総ヒーローとなる。

ひいては全人類60億が総ヒーローとなれる。

まさしくそれは、人類のアップデートに他ならない。

イノーベーション<革新>はそうして成される、

ガッチャマンクラウズは描こうとしているのかもしれない。

(一期ではクラウズを皆が意志を以って使えることで

総ヒーローへの道を提示していた。

しかし、世間にはムード(空気)という人類の進化に

妨げとなる要素がまだあり、

それがクラウズを廃止に追い込んだのが

本作の前半)

ただ、それはいくらくうさまを排除して、空気を刷新したとしても、

机上の空論めいていることに映ります。

肝心なのは、それをどう世間と人の間に浸透させていくか。

すべての人間がヒーロー的な振る舞いが出来る、

という『空気』ではなく、

『意思による選択』が出来るようになるよう

どう導いていくか。

それを『人間は猿』と言い切る鈴木理詰夢に示さなければいけない。

累は、ガッチャマンは。

この先あと2話くらいかな?のなかで、

注意し留意するキャラの動向として、

鈴木の動向と考え。

つばさちゃんの選択と行動。

ゲルサドラの先行き。

などの本作の新キャラの動向の他、

総裁Xと累が見い出し選択し、導いていく方向性

が挙げれます。

(他には国の首相決めとか、ベルク・カッツェの先行きなど)

前作から続く、人類の進化と、

それを達成するひとつのカタチである

『人類総ヒーロー』

これが本作でもし達成される方向性を見出せる結末になるとしたら、

(変化は性急には出来ないことは累も学んだ。

本作で出る結論一つで理想は簡単に

達成されはしないだろうことは自然でしょう。

だから、方向性を示すエンドではないかと予想します)

それは累と鈴木の思想の決着……というか、着地点次第なのでしょう。

(この辺が、誕生日が一緒で、背中合わせな二人の相似(双子)性を

感じさせてなりませんが)

ですから、ですが

残りの話数で一体どういう結論にいたるのかは、

自分ごときにはクリアに合理的に予想できませんので、

展開を見守りたいと思います。

ガッチャ 26-3

人類のアップデート……

イノベーションの成就。

すくなくとも、現在の社会の雑然として無駄に込み入った、

ともすれば醜悪にも映る環境や思想に一石を投じ、

良い方向に向かわせるモノであるならば、

よりよい社会を形成することを目指した人間達の物語であるならば、

うまくいくと良いと思います。

猿どもに贈る物語。

そんなフレーズが浮かびますが、

それを作り手に向かって

「何様だ、お前!」

と怒りに駆られる層がいるのと同時に、

その空気に染まらずに

「自分は矮小で愚かである」という自覚を以って

内省し成長しようとする人間もいるはずなんですよね。

大勢とは、空気とは、傾向とは2:6:2である、と。

その脱却も処理する伏線としたら、どうなるかというと、

それも皆がヒーロー的な在り方を実践することなのでょう。

猿からの進化――脱却。

革新というのは、そういう内省、

累の口にした内発性という、

『一人で考える』ことをする事からも端を発して

人間と世間に拡がって行くのではないかと、

そんな事を思ってしまう作品だな~と。

ガチャクラ面白いな、と思いつつ今回はこの辺で。

ではでは。