1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「秋だけれど「おでん」を食べた昨日と、「関が原の戦い」の今日」

たまには日常のことでも書きましょうか。

と思ったのは、

昨夜の夕餉がこの季節にしては少し早いのでは、という印象を抱く

「おでん」だったからです。

おでん画像

いや、冬場でなくともスーパーなどでは年中おでんダネが買えますから、

作って食べようと思えば年中境界突破の無差別嗜好なのですがね。

そんな訳なのに妙に気になるその訳とは、

やはり気候、特に気温の状態によるものであると考えられます。

おでんを食べても熱く負担を感じないくらいに、

日中も夜も涼しくなった、ということですね。

秋ですね。

でも秋刀魚はまだ食べたという印象はないです。

梨は食べたのですが。

(梨は高いですよね~。1個あたりで200円前後するんですから)

いや、でもやっぱり「がんも」と「ばくだん」は

季節感なしに旨いですね。

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日常の記事内容にしようと思っていたのですが、

調べると今日は「関が原の戦い」のあった日だとか。

しかしこの日付は「その当時の暦算」上です。

だがまたしかし、この「昔の暦」、

江戸寸前の暦と、現代人が認識する江戸末期の天保歴が指す「旧暦」という

時点で既に別モノです。

ですから歴史の教科書や知識の歴史雑誌、時代劇などなどでは、

旧暦という縛りで語らずに「慶長」「安政」「天保」などと

その時々折々の暦で時代を表わしている訳ですね。

ここでひとつだけ留意して欲しいのが、

現代のグレゴリオ暦は「太陽暦」で、

明治初期のそれ以前は「太陰太陽暦」であったので、季節と日付が今とずれているというのが本当なのです。

なので広義でも

「関が原の戦い」のあった日の記述は

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)

となっているところが多いです。

実際には夏の終わりではなく、秋頃の出来事なのです。

(最近の歴史の授業で現行暦と古い暦を区別して教えてまでいるかは定ではありませんが。

おそらく古い暦とのずれの概念を教えている教育現場は、きっと少ない事でしょう)

こちらの「YAHOO!知恵袋」でそれにあたる意見が述べられています。

「歴史書は全て西暦に統一した方が良いと思いませんか?」

これに対しては、そんなことをするよりも、

むしろ正味な知識をしっかりと教えて、

日付表記のずれの訳を認識させることが本当なのでしょう。

また、寄せられた意見に

イスラムなどを鑑みて、キリスト教暦の表記はいらない」

というモノがありますが、

それは浅薄です。

(もしくは宗旨観念に基づく意見でしょうか)

なぜなら、

日本国内で共通見解と、教育の為に公式に出される日付

に関して話しているのだから、

旧暦、新暦の概念がそもそも違う他の国の認識を引き合いに出すのは筋違いだからです。

この国の歴史がかつてそういう暦を使って来たからこそ

日本で両方の表記が必要であり、

旧新どちらも混在するのが今の日本なのです。

そして「そういう国の人間の為」の普遍性であり、認識です。

日本の古い暦(太陰太陽暦に属する天保歴など)

と現代の世界的に普遍性の高いグレゴリオ暦を、

日本人が国内で両方認識している、ということがそもそもの今している話の問題のおこりなのです、が。

しかし、なら

「今はグレゴリオ暦を採用したのなら、旧暦概念は撤廃すべき」

という意見の方もいますが、それも乱暴です。

というか、歴史への尊敬の意に欠けます。

かつての歴史と、その暦の呼ばれ方は尊重して然るべきモノです。

(この通念が分からない方は、

「歴史というモノ」そのモノに関心が希薄であることが窺えます。

詳しい説明は省きますが、幕末付近の勉強をしてみると良いかもしれません)

ですから、慶長年間などの呼称は、例え解りにくくても在り続けるべきですし、

また、現代の暦というグレゴリオ暦算での認識の高さから、

西暦で物を言わない事の方が社会的に不都合があるのだと思います。

以上から、

旧暦上の9月15日に行われた「関が原の戦い」が、

グレゴリオ暦上では西暦1600年の10月21日に起こった、

という表記が広まっていて、

更にこの違いと「ずれの理由」が

あまり広く知識として認識されていないという事が

浮き彫りになりました。

基準をひとつにまとめた際の不具合が、

歴史の授業で「そこまで細かく教えている時間はない」

とばかりの姿勢のせいで、バグとなって表れているように思います。

まとめるのは良いのですが、ならその際の整合性や不備の是正は

しっかり執り行うべきなのですが。

教育的怠慢ですか!?

(それとも通念の改革とは、それ程に難しいことだという話でしょうか)

ともあれ、でないと、おでんみたいに愛されるメニューになりませんよ~。

などと懸けてみたりします。

というか、歴史を愛する人はそういう細かいことを

微に入って細を穿つが過ぎるのも問題ですね(自省)

そもそもが、西暦と当時の暦のずれを指摘する細かさが

この記事のおこりです。

これは気にしない人は気にしない、

そういう種の問題です。

ベターに考えて、

慶長年間に使われていた暦算での9月15日を

現代の暦で表わすのは難しいので、別に今日でも良いとも感じます。

しかし、それだと歴史の、また人の影の妙味を知らずに

過ごすようなモノかもしれません。

今回おでんを食べて季節感に思いを馳せたように、

気にしだすと何かの発見に至ることもあるかもしれませんよ。

などと、謎のおでん推しをしつつの今回の記事でした。

余程ばくだんが旨かったのでしょうか(笑

ではでは。