1046ワークス24口

とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「持たないと分からない、は実は違うのでは?というはなし」


今回は、あるワードから考えたことを
書かせていただきます。

 

以前、Twitterだったかで見かけた文章で、


「世の中は学歴じゃないよ」というためには東大程度には受かる必要があるし、
「世の中は金じゃない」というためには年収5000万くらいは稼ぐ必要がある。
上場企業の社長が「家は広すぎても意味がない、1LDKで充分」
と言えばカッコいいが、貧乏人が同じことを言っても
「広い家に住んでから言えよ」となるだけなのだ

 

というモノがありました。

 

当時はなかなかうなずけるものがありましたが、
今は「ちょっと待って」と思います。

 

これにつてい今の考え、自分の意見は、

 

学歴、お金が関係ないと言える人は精神の真の安息を知る人。

 

宗教的な意味合いではまったくないです。ご安心を(;´∀`)

むしろ、心理学的な
人の劣等感と自尊心的な観点での意見です。

 

学歴等は世間の提示するランクであり、
他者や他国に劣っているから自尊心を得、高めるために
躍起になってブランド、付加価値のそれらを求めるのが人の実際。

 

つまり劣等感根性から来ていて、
人間の本質的な自分と人の弱さ、非を認められる人は
そんなモノにこだわる必要がない。

 

だから、そう心と考え方が在れる人は、
学歴もお金も持たなくてもそういう回答には至れるのが真実。
このポストの文言は関係ないと思える。

 

これは、病気をしていない裕福な人が医者になることは現代もままあって、
でも彼らは病気の人の苦しみを『持って分かった』うえで医者になっているのか?
と問うと、
だいたいは違いますよね。

 

持たなくても『それ』は成立することがあるのが世の中の真実だと
自分は思います。
(なかなか険しい道で、
誰でも簡単に苦労せず、とはいかないとは付け加えておきますが)

 

このように、そのネガティブやポジティブを実際に体験しないと
本当の意味では分からない、
というのは詭弁だと思います。

 

それに、じゃあ世の中のお金や家の大きさにこだわらずに幸せに暮らしている人たちは
歴史上実際に数多くいて、
彼ら彼女らについて何かまともな説明ができるのですか?
という話になる。

 

彼らはそれを持たなくても、
幸せになる考え方を持てるわけで、
そういう人はちゃんと世の中にいるし、
そもそもそういう考え方ができない人が、お金やブランドや高級品で
自己の価値を高めようとして幸せ迷子になっているんだと思います。

 

世の中、長い歴史でもこいういう人はま~、多い多い。

 

突き詰めると、
幼い頃からも、今の自分も、現実を、分を、弱さを認める、
これがまず一歩なんですが、
大抵は他人や世間の基準と比較してそれで不満を抱き、
手っ取り早いみんなのしている、みんなと同じブランド価値を掴もうとして、
他人に優越もとることも加えて、
そういう幸せの追求の仕方に必死になっています、多くの人は。

 

そうじゃないと思うんですけどね……。

 

まあ、持つ事でその回答に接近しやすくなるという面はあると思うので、
全面的には違うとは言わないです。
部分的、人によってはその通りなのでしょうし、
自分のはなしも、あくまで人によって(しかも結構な少数派かもしれません)
なのだとは一応断っておきます。

 

結局のところ、これ1つが真理である、
というのを人間ごときのおろかで矮小な存在のカタワの小理屈で
決めつけようというのが間違いだ、
とそういうことなのかもしれません。

 

謙虚に参りましょう。

 

今回はここらで。
ちょっとノートパッドのコピペした過去メモ文章を見て、
そんなことを今の自分は思ったのでした。

 

ではでは~。