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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「コードギアス『亡国のアキト』第5章(最終章)「愛シキモノタチヘ」鑑賞・感想」


コードギアスシリーズ外伝
『亡国のアキト』の第5章、最終章の鑑賞した感想になります。
おつきいただけると幸いです。

 

前回のラストで上空の方舟にいたユキヤが狙撃され墜落。
彼の生死はというところからの冒頭。

 

攻撃で意識のないユキヤと城付近の湖に沈んでいく機体。
その救助にアキトがレイラとアンナのアイデアで向かう。
ここで意識を共有するBRSシステムが活かされるのは、
本作の一つのSF要素の仕込みが活きたといえる。

 

このように意識に関する要素が絡むのは、
コードギアス本編でもCの世界の集合無意識や
そもそものギアスが人の精神に介入す力が多いことからも、
このシリーズでは大きな要素とされていると思えます。

 

それは、人が争う際に根っこにある様々な問題に
フォーカスしているからだといえるかもしれません。
人が争う理由は経済的な理由もありますが、
そもそもは人間の個々人から生まれる劣等感や優越感、
負けず嫌いの対抗意識、意地を張るなどから争うことになり、
それがやがて思想や主張の対立、
それが発展しての集団での対立、国家レベルの争いとなり、
その要素は経済的な理由の他にも
宗教的、尊厳的な理由でも人は争うわけで、
それは人の精神、意識から発していることだと言えます。

 

争いに関して考え出すと、人間の意識、考え方というモノに行きつくのではないか?
コードギアスはそういうアプローチで戦争と
人間の独立も兼ねた平和をテーマに描かれたと今回思います。

 

そうした人間の意識、感情はどこから来るかというと、
世界と自分以外の存在、他者があってこそで、
他者があることで比較が生まれ、
比較するから劣等感や対抗意識、
相手への不快感や不寛容が生じ、
攻撃して圧倒し、優越感を得て自らの価値と幸福を手にしようという目的論でも
人は争うと考えられます。

 

他者との違い、肉体的な境界という隔たり。その差異と、それへの違和感、不寛容。
そうしたモノを超えた、あるいはある程度の考え方の解消を得たところに、
人の他者への理解や分かり合いがあるのではないか?
それを形として描くための方法の一つに本作では、
意識を共有する科学的な力、BRSを設定したのではないか?
そんな風に考えます。

 

コードギアス本編が悪意の矛先を一つにして世界をまとめて、
皆が交渉のテーブルに着くように仕向けたのが
平和への一つのアプローチだったのですが、
その点で『亡国のアキト』は違う角度で、
他者との分かり合いと共同体になるための精神的在り方、
そこに平和と幸福があるのだと描いたと思えます。

 

一人きりだと理不尽にあふれる世界では生き延びられない。
かといって、他者への関わり方、考え方が未熟だと争うことになる。
そこで、他者と共に生きられるための考え方、
共同体を形成できる人間的成熟をキャラで描いた面もあったのかも。
それは、正しく他者を愛すること。
価値を見出した他者とその関係のために努力できること。
傷つけず、理解し、それを互いに行うこと。
これを分かり合いというのだと愚行するし、
本作では『BRSの意識の共有』という形でキャラたちのその内的形成の補助、促進として
平和へのアプローチを描いたのではないか?と思う。

 

BRSのことばかり書いていますが、
劇中の進行は、
帰還したワイヴァン隊を加えての、
シン、ジャンとミカエル騎士団で構成される部隊からの城の防衛が続きます。

 

この際、アキトはみつあみを切り、もしもの時のための遺髪としてレイラに預ける。
アシュレイはどう侵入したのか敵営内のジャンの部屋を訪れ、
自分たちを拾ってくれたシンを助けたいという気持ちを告げます。
ジャンはシンの願いを叶えたいという純粋な愛情を持っているようですが、
しかしこの5章を通して、アシュレイやアヤノからシンとジャンの考え方は間違っている
という示唆がなされます。
うーん、愛する者に出来ること、してやりたいことの形。
本作の愛しき者たちへ、とは、
シンやジャンのことでもあると思えます。
そうなると、その愛する者にしてやりたいこと、の齟齬、すれ違いが
本作のアキトの困難とシンとの対立の根っこにあるように感じます。
愛しい者たちへの正しいアプローチ。在り方。
それもまた共同体と平和には重要ということなのでしょう。

 

ユキヤは治療中なため、司令部のハメル少佐も前線に援護として加わり戦闘状態に。

 

戦闘中にシンのギアスとアキトのBRSの作用によって、
両者の機体が共にこの世界から消失する。
これは、意識世界の力の一部といえるギアスと、
意識を共有するBRSの相互干渉、作用によって
二人が物理的な世界の特異点になった、
物質世界と精神世界の境界がなくなったため、
アキトとシンと、その周囲の自機を消失させた……ということでしょうか。
これによって、両者は現実世界の通常の束縛、理を超えて
互いの記憶と体験を共有した。
この場合は、シンの抱える問題の根本にある、父母の事柄。
シンがいかにして世界と人に絶望したか。
愛する母の裏切り。
その母をそうさせた父の在り方。
麒麟児だからこそ人の可能性や理想というモノも信じるところがあったのではないか?
と以前の感想で書きましたが、
だからこそ、身近な存在の大きな、愛する父母の浅ましさに
シンは人間の底を見て深く傷つき絶望したのかもしれません。
愛情と理想の反動としての深いネガティブ。

 

あと、シンのギアスはC.C.とはやはり別個のようです。
シンとアキトの邸宅にある――あとのシーンでアキトとレイラがその絵について話しています。
その絵の中にはギアスの紋章のある髑髏が――
から現れた髑髏から授けられた力のようです。

 

この髑髏とギアスの力はどういうモノだったのか?
考えようによっては、
絵自体にギアスの不老不死性を持った人間が封じられていたとか、
ジョジョ4部のアンジェロ岩のように)
または、過去のギアス保持者の力が絵に思念とコードの授与をする力を
遺すことが出来る、
保存拡散(を絵という媒体でする)する力で、それがシンの家に受け継がれて、あったとか?
小説版があるそうでそこでは語られているかもですが、
自分はそんな想像をします。

司令部に突入した部隊の銃撃により凄惨なことに。
これに絶望するレイラの前に、
スマイラス将軍の前にも現れた管理者が。
彼女の存在を自身で語り、人にはギアスは過ぎた力だったかもと彼女は言う。
そして、人間は滅んだ方が良いのでは?と。
それを覆すきっかけにレイラがなればそれは回避される、と彼女は去りますが、
レイラの前には突入される前の司令部の光景が。

 

これは……レイラが見たのは少し先の未来だったのか。
それとも、実際には銃撃が起こり、
管理者によってそれが巻き戻された時間にレイラがいるのか?
この辺はwikiでは後者だと書かれています。
ただ実際の脚本上の解釈や、小説ではどうかは分かりません。
Wikiがそれに基づいて書かれているならそうなのでしょうけれど。
もしくは、映像ディスク内の製作者なりのコメンタリーや、
なんらかの媒体でのインタビューでそう述懐されたとも考えられます。
うーん、ネトフリで見ただけでは分からない部分が多い、
作り込みの深い作品だと言えますね。

 

ところで、ここで管理者がシンのギアスを
『歪んだギアス』
と呼んでいます。
ギアスの発生元と枝分かれした系譜などがあるのでしょうか?
その中でもシンの家の髑髏のギアスは
本来の自身の願いを叶えるという目的としては
破滅的なモノである、
むしろ願いを破壊していき、それを拡散するかのようなギアスであり、
だから
歪んだギアスとして管理者は人の手で排除したいのかもしれません。
それが巡って人間を滅ぼさない手立てにもなるのかもしれません。

 

管理者は、人間という生命のためになるギアスを世界に与え、
(それも集合無意識という元々は『人』が望んで世界にフィードバックしたとも考えられますが)
それが世界と人のためにならないなら、
人の手で排除させる。
これは管理者が人を使っているというよりも、
現実世界の人の動き、力の流れは
直接にはその世界の人間たちにしか動かし得ないのではないか、
だからこの点を抑えられれば人間は滅びないでいられるきっかけになるよ、
とレイラの前に現れて語ったのでは?と感じます。

 

司令部への突入に対処し、
敵ユーロブリタニア軍ミカエル騎士団の兵へ停戦を申し入れるレイラ。
そして現実世界に戻りナイトメアで戦闘を続けるシンとアキトの元に彼女は向かう。
この辺は、スマイラスと同様、管理者の言葉にのっとって
シンに対処するためでしょう。

 

結果、ナイトメアが中破して刃で戦う二人の攻防に対して
レイラの『ギアスの欠片』の力が良いように作用して
シンの動きを鈍らせる。
この力の介入がなかったら反撃しないアキトは斬り捨てられていたかもしれません。
というか、二、三太刀浴びていますからかなり際どかったです、実際。
それだけのシンのアキトを殺すという執念。
執念というか狂気ですね。
シンが家族を殺したのは、
愛する者が苦しむならそれを死によって呪縛から解き放ち、
もう苦しまなくていいようにするため。
愛している者たちを楽にしてやるため、という彼の愛情から来ていたようです。
それは……愛してはいるのでしょうけれど、
方法としては間違っているということでしょうね。
ジャンはそんシンの望みを叶えてやることを自身の愛情の形としていますが、
それに対してアヤノが言ったように、
そんな愛し方をしてもその人はそれでは幸せにはならない、本当の意味では。
一時満足しても、絶望の苦しみへの自分なりの解消法が満たされて満足しても、
そんな自分を誰が価値を見出して愛するのか、
という意識するにせよ無意識にせよの思いが募り、
結果また苦しむことになる。


シンにとって自分を愛している者たちの愛は見せかけの上っ面であり、
自分が本当はどういう風に愛している者たちを思い、
苦悩しているのかをその人たちには分からないのだから、
誰が彼を本当に愛せるのか。
彼の愛は自分自身を苦しめ、結果終末に向かう一途すぎる一途さがある。

 

その愛し方は、他者を傷つけて満たす愛は、
巡って自分を苦しめるということ。
DVのようなモノですね。
愛しているはずなのに、自分の考え方と方法が間違っているから
互いの関係は破壊的になって幸せは遠ざかる。

 

こんな狂ってしまった愛を抱えるシンに、
それは間違っていると諭す方法とは……、
彼を愛する者が彼の幸せを作ってあげるには……?
うわべの言葉じゃ通じない……、
むしろ、レイラとの交渉でみせた人間と世界への不信から、
安っぽい言葉は一蹴されることでしょうし……。

 

レイラのギアスの欠片によってアキトとシンの意識はBRSとは別に共有状態になったようです。
先のナイトメア戦でのギアスとBRSの共鳴と意識の共有では
シンの過去をアキトが共有し、
この時のシンは、アキトとの共通の記憶から弟の彼を愛していたことを思いだしたようです。

 

レイラの『ギアスの欠片』の力は、
BRSのような意識を繋ぐ力なのだとWikiにはあります。
だからこそ、シンと刃を交える光景をリョウやユキヤ、アヤノや他の面々が共有し、
その彼らの「アキトを殺すな!」
という意識がシンにも雪崩こんだ。
そしてシンの動きを鈍らせた。
けれど最後まで愛する者を殺すという狂気に囚われて刃を振り下ろしたシンは、
間にジャンが割って入って……。

 

このジャンの行為は、
シンのことを本当に分かろうとした命を懸けた行為だったのでは?
と思います。

 

愛する者は救うために殺す、苦しまないように。
そう考えるシンを本当に分かるためには、
ジャン自身も愛するシンを苦しみから救うために殺してみせないとならない。
そうでなければシンの本当の理解者とはなれない。
シンはある意味間違っているけれど、
彼はそういう考え方の人間だから。
今の彼のそんな在り方を分かってやるためには、
そして愛しているから分かって寄り添ってやりたいと願うなら、
自分の命と引き換えにそれをしなくてはならない。

愛している相手を自分が殺さなくてはならないし、
自分の想い――ジャンがシンを愛している――に応えてもらい愛されるなら、
ジャンはシンに殺されなくてはならないから。

 

ジャンの愛に応えた後にシンが心変わりすれば、ジャンは死ななくてもいいのでは?
という考え方もありますが、
ジャンがシンを殺さないとジャンの愛は伝わらないし、
シンがジャンに殺されて彼にジャンの愛が真実だと伝わったら、
(殺されているけど)シンがジャンを殺すことになる、愛しているから。

 

愛することで殺す、殺すことで愛が成立する、を互いに繰り返し滅びていく
……という愛の成立と生死の極限収束消滅とでも言うかが
この瞬間のジャンの行動となって表れていると考えます。

 

シンにとって、アキトとに懐かれていたことは
もっとも幸せな記憶だったのでしょう。
アキトを背負って歩く道には黄金の穂波。
輝かしい記憶だという表現だと思います。
(また、この道が夕暮れ時といのが、
この後のシンの歩む先が黄昏に向かっているのだとも表現している
秀逸な演出がされていると思います)

 

シンにとっても愛されていることは幸福だった。
では、彼に本当の愛を示すにはどうすれば良かったのか?
世界と人間への不信に染まり上げられたシンに対して。
それが、命を賭してでも彼の理解者になることだった。
そして、死の間際に出る言葉こそ真実。
死の間際に見栄を張ることもなく、
本心を吐露してしまうのが人。
愛している人への想い、感謝、
人生への悔い、世界や誰かのへの恨み、
消え行くことへの嘆きの叫び、さまざまでしょう。
もしジャンがあの状況で死を恐れる叫びをあげていたら、
自分の命が失われることへの恐怖のみで声をあげたら、
それが彼女の真実だったことでしょう。
けれど、彼女の最後の言葉はシンへの愛の告白だった。

 

それに、愛している者を殺すのは間違っている、
とシンに諭すためにも、
アキトを殺させるわけにはいかなかった。
シンは弟のアキトを愛していたし、
そのアキトを殺させてはいけないから、なんとしても止めなくてはならなかった。
あの刃が振り下ろされる状況下でアキトを殺させないためには、
ああいう態勢しかなかったのもあると思います。

 

で、この時ジャンが割って入れたのは
別にご都合主義な演出ではなく、
レイラがアキトとシンを目視し、リョウたちと視界を共有したように、
ジャンにも争う兄弟のことが見えていた。
そして場所を特定できた。(この辺は正確な解釈は難しいですが、そうも考えることが出来ると思います)

 

加えて、レイラのギアスの欠片で意識を共有した人々の
「アキトを殺すな!」
という姿がシンを押しとどめたことで、ジャンが駆けつけることが間に合った。
レイラのギアスの欠片の力が直接的な力でシンをどうにかしたのではないですが、
結果、老婆たちの長が占いのときにレイラに言ったように、
その力がレイラの愛する人を助ける力になった。

 

最後にシンはアキトへの愛情を確認し、彼に生きるように言いますが、
これは『幼いアキトは一人では苦しみ生きることになる、だから殺す』
というのが、
アキトはもう、愛し合って支え合ってともに生きる人間がいる、
だから殺す必要はない、
というシンの納得が出来たからだと思います。

 

そして、聡明なシンはジャンの自分への愛が
上記のような理由で本物だと理解し、
彼女の本当の名前を口してともに逝くわけです。
愛されていることを知って、その伴侶と共に幸福に逝ったとも言えます。
このジャンとのシーンは怖いくらい、異様に美しかった……。

 

シンという人間が愛情の形、
愛する者たちへの在り方を間違ったときから、
本当に彼を愛する者、理解者、分かり合う者が現れたなら、
彼はこうなるしかなかったのでしょう……。
麒麟児の彼に
上っ面の綺麗ごとで塗り固めたなあなあの愛情や付き合いは通用しないから。
この場合、優れすぎるというのも、ある種考えものですね……。

 

そしてシンが倒され、ミカエル騎士団との戦闘も終結
ワイヴァン隊はリョウ、ユキヤ、アヤノ、それにアキトもレイラも生存達成。

 

wZERO部隊の面々は一人の死傷者も出すことなく、
博士の眠っていた旦那さんもアキトとシンとのBRSの共鳴に呼応して
意識が戻ってEDでは司令部の皆と一緒にいる。

 

スマイラス将軍の元へはアシュラ隊が交戦していたが、
そこにアキトとシンの戦いの余波で転送されたのか?
それともスマイラスに死を宣告した管理者が何かしたのか?
アシュレイ機が舞い降り、スマイラスを打ち倒す。

 

少しユーロブリタニアの上層部の人間が描かれますが、
この口ぶりからユーロブリタニア側のレイラたちへの敬意が感じられます。
もし彼らがハンニバルの亡霊の生き残りとしてレイラやアキトを見つけたとして、
本来ならユーロブリタニア側への損害を考えるとただではおかないところですが、
この様子から寛大な対応がされそうです。
これは同時に、ブリタニア側の人間にも他国の民への理解と尊重があるということで、
この以後、コードギアス本編でのルルーシュによる統一後、
E.U.圏での政治的やり取りに希望が見出せるシーンだったと思えます。

 

その後、レイラたちはアシュレイやアノウ、アシュラ隊の面々も含めて
老婆たちと共に旅をして暮らしている。
アノウもいるあたり、彼とも分かり合うという演出だったのでしょうかね。

 

ここでのアキトとレイラのやり取りは温かですね。
殺伐とした本作のラストで彼らがこうなったのはとても良い印象でした。
限りなく死の近い戦場にいたアキトが、
互いに愛する者たちと光ある中で生きる。
それは、孤独に世を冷めてみていたアキトに、
レイラが知恵と力と行動と、誠意ある意思で示した可能性だったのでしょう。
何より、他者を思う気持ちをあきらめなかった彼女が掴んだ可能性、
幸せだったと言えいます。

 

さて、そんな本作のラストでは、
シンによって幽閉されていたスザクとジュリアスの元に、
ロロが訪れて誘います。
ここからR2に繋がっていく。
果たしてルルーシュは彼の幸せと平和を築けるのか……。

 

そんな
コードギアス『亡国のアキト』最終章でした。
各シーンにこまごまと書いてきましたが、全体の簡単なまとめとして
厨二的は健在。
メカがバリバリ動く。
シーンの意味合いが深い。
声優陣が豪華。
人によっては???なやや難解な部分もある。
歌が大変良い。
婆さんにモテモテでまんざらでもないって、
相互理解を年齢差までカバーする懐の深さも見せている。
……とか最後に思わされました。

 

ややネガティブな部分があるので、
メンタルが落ち込んでいる時は重い作品と言えそうですが、
見て感じるとことの多い作品だと思います。
見どころがあって興味深い作品ですが、
余裕のある時にみる方が良い作品かな?
というのが最終的な感想です。

 

もしこのブログの本作の感想を読んで、
このシーン実際どんなだろ?と興味を持たれた方がいたら、
その辺も踏まえて挑戦してみると良いと思います。
個人的にジャンもレイラもアヤノも
女性陣の見せ場がそれぞれ大変良かった。
アヤノは助太刀キャラだったのかな?みたいな。
助太刀=スケ(昔のスラング、俗語で女の意)ダチ(友達)

 

それに
仁の人のレイラ。
愛に殉じた聖女のジャン。
三人合わせて
『仁聖助太刀』≒『人生助太刀』が互いに分かり合うために大切。

 

そんなことも思いながら、本シリーズの感想をまとめさせていただきます。

 

ではでは~。