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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「現実と理想の対立と救いの物語。アニメ『マギアレコード』視聴感想」


1月期のアニメ
『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』
(以下『マギレコ』)
を視聴して、完走したのでその感想を書いていきます。
おつきあいいただけると幸いです。

anime.magireco.com


本作はソシャゲ(アプリゲーム?触れていないので詳細はよく分かりませんが)
のマギアレコードのアニメ化版ともいえる作品で、
まず気になるのは脚本がまどかマギカでありながら虚淵先生ではないこと。
総監督/シリーズ構成. 劇団イヌカレー(泥犬)となっております。

 

そのため、見ているとやや演出が『物語シリーズ』を感じさせるところがありました。

 

ストーリーは本家まどマギと同じく
きゅうべえによって魔法少女となった女の子たちが
しかし魔女との闘いで命を落としていく。
けれどそんな魔法少女が救われる、という噂を聞いた魔法少女
環いろはが噂の先である神浜市に向かう。
いろはは自身から記憶と存在が失われた妹を探し求めるという目的があったが、
神浜市は魔女が集められ魔法少女たちも集う激戦区だった。

 

強い魔女との闘いで窮地に陥るも、
熟練の魔法少女七海やちよたちと出逢い
妹の捜索とともに神浜の魔法少女たちと交流し、魔女と戦っていく。

 

……という出だしでしたが、エピソードの各所を拾っていいくと、
神浜に行く前の地元でのいろはときゅうべえのワンシーンに、
変わった雰囲気の見世物小屋が描かれますが、

 

これはまどマギの提示するリアルの象徴に感じました。

 

子供たちに夢を与えたり、願いを叶えてくれる存在というのは、
大抵誰もが喜ぶ甘いエサをぶらさげて寄ってくるが、
それはそういう人たちの目的、利益があってのことであり、
そのことに気づかずに安易に他人の力で自らの願いや欲求を叶えようとした子供は、
そのツケを正当に払わされることになり、
場合によってはその夢を売る存在たちにパクりといかれて
生死も行先も分からなくなる……

 

というように、
まどマギのきゅうべえが提示したある側面の現実を象徴しいているシーンだと思えました。

 

この神浜で噂をいくつか追っていくうちに
やちよが探し求める梓みふゆの存在が浮き彫りになり、
いろはとやちよの失った者同士の絆が育っていく感じでした。
これは二人が理想よりも現実に向き合う立場に立つということでもあり、
そのための支えがいろはとやちよのお互いなのだと思いますし、
のちに他のメンバーも増えてのみかづき荘なのだとも思えます。

 

それからみふゆの登場とともに存在が浮き上がってくる
マギウスの翼と、
その幹部が束ねる『マギウス』という組織。

 

これが『魔法少女の過酷な運命に対して救いを与える』
ことを目的としていて、一種の宗教団体のような様相を呈している。

 

この辺は、
そもそもまどマギというのが
前述の他人の力で安易に願いを叶えようとした、
迂闊にそういう存在の意図を分からずに乗っかってしまい、
自分の力で叶えようとしない『子供』たちが負ったツケが
魔法少女の現実、真実であるといえて、

 

まどマギ本家はそのツケに対して
まどかやほむらなりに
自分で叶えようとした子供たちの結末の物語でもあったといえると思います。
そこで
魔法のような救いがあったのがまどマギ本家だった。

 

では、本作マギレコではどうなるのか?
となった時に、
願いを叶える代償に捕まった子供たちがどうなるのか?
助かるのか、助けられるのか?
なんにせよ、マギレコもマギレコなりの現実への救いを描こうとしていると思われます。

 

そして、
いろは的には妹が何かに捕まってそれがどうなるのか?
という命題も本作にはあると思います。
ただ、この妹が見つかるかどうかよりも、
妹の存在の真相が本作の結末のキーとして絡んでくる可能性もあるかもしれません。
あくまでなんとなくの予想ですが。

 

ベタなところでは、
妹も見つかって、かつマギウスとの問題もスマートに解決、
なのでしょうけれど、
それだとじゃあ、そもそものまどマギが抱える『魔法少女の救い』はどうなるのか?
となるのですが、
これらがそれぞれ独立して解消されるか、
それとも絡み合ってまとめて解決されるか?
この辺は本作の見どころだと個人的に思います。

 

まどマギ本家では救いのためにシステムを変えましょう、
という答えでしたが、
これがマギレコでも同じになるのか、
それとも変えてくるのか?

 

そこで現実はそのままに、
みかづき荘という現実の寄る辺をもって現実を生きていく、
という線も考えられなくなはいですが、
まどマギ的かと言われると首をかしげてしまいます。
もっとこう、スケールが大きくてファンタジックな感じが
まどマギ的だというのがこれまで数作見てきた感覚なのですが……。

 

本作の魔法少女の救い、解放はマギウスが提示しようとしていますが、
やちよといろははそれに対立する形をとります。
そりゃ、やちよはEDでも雨の降る中を傘をさすという現実的な手段を講じて、
現実と向き合って歩んでいく人間なので、
マギウスのようによく分からないドッペルという現象から救われる、
というのを信じてついていくのは危険という考え方も分かります。

 

このやちよの危惧は、
きゅうべえの提示した願いが叶うをちらつかせて
そのツケとして命が代価ですよ~
というのに近い、安易に信じてはいけない現実と酷似しているように思います。

 

魔法少女が救われる、という願いが叶うエサにつられて、
さてその代価はどうなるのか?
やちよはその危険性をきゅうべえから魔法少女になる代価として願いが叶えられた
『そのあと』で身をもって学んでいるので、
マギウスにきゅうべえの提示の仕方と同じモノを感じたとのだと思います。

 

この辺は友人のかえでがマギウスに入信しても帰ろうとしたレナも
同じようなにおいをかぎ取ったのかな?とも思います。
この手口、きゅうべえと同じじゃん、うさんくさ。と。

 

というか、いろはの妹と昔一緒だったはずの天才頭脳の少女が
マギウスの一人として救いのシステムを構築したみたいですが、
この娘はあとになって、

 

「救いがただだと思ってるとか馬鹿なの?」

 

とか言って平然と犠牲を要求してきそうな気がします。
耳さわりの良い言葉で信じさせて、
実行して結果が出る段階になって犠牲が出ることを明かす、
というのは都合の悪いことは伏せて実行して結果や甘いエサでどうしようもできなくさせる
世間にも歴史にもあふれる手法だと思いますし。
これこそある種ベタなのかもしれませんが。
彼女は分かりやすい悪役だった、とか?

 

うーん、そこは現時点ではあくまで想像ですね。

 

そんなやちよといろはたちみかづき荘組と、
マギウス側の対立には
過程で杏子やマミさん、さやかも参戦。

 

この中でマミさんは自分が魔法少女に導いてしまった
さやかやまどかへの責任からマギウス側に。
そして最終13話での攻防。

 

この戦闘がすさまじかった。
マミさんの戦闘に外れなしというか、
えげつないバトルでした。
圧倒的火砲数に一発ドカン、
それに近づけば変幻自在のリボン鞭で死角なし。

 

マミさんはなあ、
ぱっとみレベルの高い人間、強い人なんですが、
その内面にある少女としてのもろさがあるからこそ、
反動としてこういう凶暴さや狂気を見せるというのは、
ある種リアルだと思えますよね。
マミさんはきゅうべえのシステムと並んで
まどマギが示すリアルの一翼なのかもしれません。

 

さやかも奮戦したのですが、
相手が悪かった。
この戦いでドッペルを使って抵抗するいろはとやちよ。

 

このドッペルと、あと二人の魔法少女の合体技などは
ソシャゲからの戦闘システムなのでしょうかね。

 

この戦闘でいろはマミさんとともに奈落の底に。
生死は不明でいろはに必ず生き残ると誓われたやちよの悲痛で
一期は幕となりました。

 

二期に続く、となった時、EDででたセリフが

 

「はやく来ないかな~、ワルプルギスの夜

 

だったので、この日、もしくはこの大魔女の存在が
マギウスの唱える救いのキーになっているのかもしれません。

 

本家まどマギでも結局のところ
ワルプルギスの夜が来た日が問題の争点であり、
その日こそがまどかによっての全ての魔法少女に救いがもたらされる日ともなった。
つまり、マギレコにおいてもこの日は
救いのXデーとなるのかもしれません。

 

ここで少し思うのは、
ワルプルギスの夜が神浜に自然に来るのか?
それともなんらかの誘導する手段があるのか?
あるとして、それ代償がなく安全なのか?
……って、まどマギでそんな都合のいいリアルは描かないと思いますので、
能動的に利用する場合、なんらかの犠牲を払いそうでもあります。

 

この辺が二期での争いとして一つのとっかかりとなるのか、
それとも自然に到達する日があるとして、
その日までのいろはを失って失意のやちよたちの
マギウスとの劣勢のやり取りが描かれるのか?

 

そんな風に二期の展開を少し想像したりもします。

 

どちらにせよ、ワルプルギスの夜到来めがけて二期は
争いが激化するかもしれません。
いろは生きている……とは、まあベタに考えるとありますが、
まどマギシリーズですから油断せず構えているのも大切に思います。

 

まあ、いろはがいなくなったら妹の件が宙に浮いたままになるので、
十中八九生存していると思いますが。

 

一期を通してみた感想では、
途中ちょっとダレルような感じもありました。
女性キャラ、魔法少女が多すぎて一人一人にあまり感情移入するような
感じもなかったです。
この辺は、ゲームで好きになってもらったキャラをアニメで改めて動かしています~、
ということかもしれません。(アニメの視聴のみの人間です)

 

けれどまあ、最終13話のバトルがすごすぎてそのタルミも全部吹っ飛んで、
二期が見たい気にさせられました。

 

この辺は映像マジックですね。
これをまどマギが示すリアル的にいうと、
夢を見せたのだからツケ、代価を払って円盤買ってね、ゲームにさらにお金を使ってね、
それで二期が作れるから、
ということなのかもしれません。

 

もう今のヲタクはそういう風にお金を払って一ユーザー、一ファンであり続けて
生を浪費するというシステムに囚われていると言えますからね、
この辺に対して、システムに、現実に抗うことは必要だよ、
ということをまどマギシリーズは視聴者というリアルに対しての
裏のテーマとして描こうとしているのかもしれません。

 

そういう視聴者、ヲタクの救いってなんでしょうね。
そもそも彼らは現実と向き合っているのか?
現実というのは、実は人間がみんな大したことなくて、
現実で成すことは上には上がいて、
みんな何かで誰かに劣っている、負けているという
生き辛い事実と向き合うことで、
辛くて問題にあふれていて、楽しいことばかりでは決してない、
それを承知して自分の力の及ぶ範囲で改善するのが
現実と向き合うということだと自分は理解していますが……。

 

まあ、たいていの場合、自分の非や弱さを認めると他者や世間から
笑いものにされて価値と幸せがさがるので厭う気持ち自体は理解できるのですがね。

 

物語やエンタメはそういう実は辛いことが多い現実を
麻薬や酒のようにいっときやわらげる支えの効果があると思います。
それが麻薬や酒よりも良いのは健康に障りがないという点。
ですが、これを辛さを薄めてやわらげることに終始していると何の意味もないのだと思います。

 

支えにして、自分の不足や劣等の現実と向き合って、自分なりの出来ることをしていく。
それが一番のアニメを含むエンタメの意味であり、
マギレコで辛い現実への何らかの救いが描かれるとしても、
それは漫然と酒やドラッグ替わりに摂取するのではなく、
いろはややちよのように現実と向き合っていくためにこそ活かすのが良いのではないか、
と自分は思います。

 

それこそが、まどかやいろは、やちよといった魔法少女がもたらす、
本当の救いの力だと自分は思います。

 

まだいろはたちは救いを提示していないけれどー。

 

そんな感想を持った『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』(一期)
の視聴感想でした。

 

ではでは~。