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とーしろさんの趣味よもやま話の通用口。

「劇場版『コードギアスⅢ 皇道』鑑賞感想」


コードギアス反逆のルルーシュ、劇場版完結の3作目の感想です。

 

 

Ⅲは得に端折りで気になった点は少なかったように思います。
V.V.との決着のあたりは、
TV版視聴時に彼の情報にまったく触れていなかったので
シャルル皇帝の兄といっているが幼い外見だし、どいうこと?
とちんぷんかんぷんな印象でしたが、
(当時の情弱ぶりと今に輪をかけた圧倒的読解力のなさ)
改めて理解できたことをまとめてみると、 

 

 

シャルルとV.V.は双子の兄弟で皇族として生まれ、
その権力争いで騙しあう血族や周囲をみて、
嘘にまみれた醜い世界を嫌悪した二人は
力を合わせて世界をよくしましょう、
自分たちは嘘をつかないで、嘘のない世界を作りましょう、
という願いのためにそれぞれ動いていた。

 

 

ギアスの譲渡とコードの継承や剥奪の事情をみると、
シャルル兄が割と幼い時分にギアスを得て、
不老不死のコードを得たのかな、と考えますが、

 

 

シャルルが俗世での国家による武力面で世界を変え、
その力で世界にちらばるギアスとコードに関する情報と能力者、遺跡を掌握し、
根本的に世界の理を変えるために超常の力を利用して
『神(とそのシステム)』を破壊し、再創造しようとして、
その領域にアクセルする空間と
神を弑すための力のキーのひとつとしてC.C.のコードを手に入れようとした。

 

 

V.V.がC.C.に固執していたのは、
二人の目的のために彼女のコードが必要だったため。

 

 

で、V.V.がルルーシュの母マリアンヌ殺害の犯人なわけですが、
これは二人だけで願いを叶えよう、
と誓い合った唯一の存在であるシャルルが
本当に分かり合う存在であるマリアンヌを得て変わったことから、
彼女を排除してシャルルを自分の方に戻そうとしての行動だった。

 

 

この残酷な世界で唯一、願いを同じくする血を分けた兄妹だから、
それがシャルル兄には最大に優先することだった。

 

 

本来なら、弟の妻を殺してしまうことは善悪でいうと悪で、
しかし前述のように子供時分(と容姿から推測)にコードを得て不老不死となったことで、
善悪や倫理観があいまいな子供なような性質があり、
それでマリアンヌへの犯行に及んだのだと思えます。
知能は長い時間を生きて長けているが、無邪気な子供としてのV.V.の性質。
シャルルを自分にとって大切なままの存在に届め、
その彼が悲しむことも平気で行う。
そしてそれが正しいかどうかでいうと、
V.V.には正しいけどシャルルが怒るから彼に嘘をついた。
マリアンヌは残念だったね、と。
当然、自分が殺しておきながら、と顔を怒りにゆがめるシャルル。
それにこれはシャルルたちが誓った『嘘をつかない』に反していた。

 

 

でもこのシャルル兄の行いって、結局相手の気持ちを想像しない、
ひとりよがりな大切であり善の行いなので、

 

それらも含め、彼の嘘がシャルルのV.V.を裏切る理由の一つとなった、と。

 

V.V.に関しての理解は幸せが済んだあとで
Cの世界のルルーシュとシャルル、マリアンヌ、C.C.とスザクを加えた対決をみると、
シャルルの目的がよく分かりました。
以前はこの辺、よく分かっていなかったんですよね。

 

 

シャルルもシャルルでこの世の理不尽や醜さ、残酷さを嘘から痛切に感じて、
それを実直に変えようと試みた人間だった。
マリアンヌはそれに共感し、賛同した協力者であり彼の本当の理解者。
なんというか、ルルーシュとシャルルは親子ですわ。
やってることも求めるモノもだいぶ近しい。
ただ、まったく同じではなく、
Ⅲの内容では兄のシュナイゼルを加えて、
過去、現在、未来をそれぞれがみて目的のために世界を変えようと行動している。
こだわっているモノが違う彼らは、だからその手段と結果も違ってくる。

 


ところで、シャルルの『神を弑す』とは、
ある種、この世のすべてを生んだ神という親である存在への反逆の行動とも思えました。
親への反抗と、それを通しての自己の形成、確立、
そうやって行動していくことで自らの願い、
望む幸福へと向かっていく。
シャルルにとっての幸福と自己、そして願いは、
世界という存在、神という親への反抗でなされようとしたと言える。

 

 

その息子、ルルーシュは親、シャルルがそうして作った世界への反抗をした。
ひとえにそれは、最愛の妹ナナリーのために。
けれど、そうしてルルーシュが反抗し提示した行動の結果を、
ナナリーは独自の意思で反抗する。
それは、肉体的に不自由で守られるしかできないはずだったナナリーが
世界に抗った行動だった。
最愛の兄と自分と、自分を支えてくれる一部の優しい人たちの彼女の世界。

 

 

だから終盤、大量破壊兵器、フレイアの発射の鍵を渡すように
ナナリーに対してルルーシュがギアスをかけたとき、
彼は妹ナナリーにひざまずき、最大の敬意を表した。
もう、庇護されるだけの存在ではない、
一人の人間として、世界に、そして大切なモノのために
否定しがたい血をわけた者にさえ逆らっていける強さを彼女が備えたから。

 

 

それはルルーシュが求めた、願いのために行動する力。
世界と誰かの押し付ける理不尽に抗い、屈することなく
自らの望みと幸福に向かっていくために人が必要なモノ。

 

 

そして、このルルーシュとナナリーの兄妹の反逆の意思の根っこには、
妹のため、みなが穏やかに暮らせるため、
という誰かへの労わりと優しさがある。

 

 

理不尽も身勝手も嘘も、利己のために生じるモノであり、
苦しみ困っている誰かの事情や気持ちを想像するところから、
優しさや労わり、利他は生まれる。
彼らの反逆はそのこころで生まれ、行動に繋がっている。
一見、残酷で厳しい現実の世界では、
そんなモノが無力な場面はあるし、
すべての人がそういうモノを尊重しない現実もある。

 

 

すべての人がそんな優しさを持てるなら、
とっくに世界から残酷さは消え失せている。
しかしそうではないからこそ、世界はいまだ残酷だ。
けれど、そのこころをわずかな人々でも持っているからかそ、
どこかの場面で助けられる人もいて、世界は周り続けているといえる。

 

 

ランペルージ兄妹が求めた『優しい世界』
それはこんなこころがあるからこそ少しずつ近づいていくのではと思わされる。

 

それさえも、自分のギアス、願いなのでしょうかね?

 

あと、Ⅲで一番印象が強いのは、
やはりラストの仮面の騎士ゼロによって貫かれた皇帝ルルーシュの手に触れるナナリーでしょう。
このこれまでを悟り、そこから
「愛しています、お兄様!」
からの絶叫がもう……、
TV版でも2000年台のアニメで一番心にくるシーンだったのですが、
久しぶりに見たら、けいれんのようにしゃくりあげて泣いている自分がいて、
かえってそんな自分にびびりましたよ(苦笑
そのくらいこのシーンはやはりすさまじいんですよね、自分にとって。
名塚佳織さん、最高です!

 

ところで、少しまえのツイッタでこういうポストがありました。

 

『絶体絶命』という漢字は、分解すると
『糸』『色』『体』『糸』『色』『命』
となり、これを読んでいくと、
『いとしき体、愛しき命』
となるそうなのです。
なるほどですね。確かに絶体絶命のときって、
そのくらい自分の身体と命が愛しいくらい執着しそうですし。

 

 

そこからいうと、ナナリーの絶叫は、
最愛の兄への『いとしき叫び』であったと言えます。
この叫びにナナリーとルルーシュの二人のこれまでと、
そしてこの瞬間が凝縮されている、
というわけですね……(涙)

 


いやあ、良い作品ですと、改めて見て思わされました。

 


このシーンであと思うのが、
ルルーシュの見栄セリフ、
「撃ってもいいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」
ですが、
これはフィリップ・マーロウの『大いなる眠り』
のセリフだったのですね。
少し前に知る機会があったので、
映画を改めてみるきっかけのひとつにもなりました。
このセリフ、しびれますよね。

 


そんなラストシーンはやはりC.C.ですよね。
しかし、TV版とやや異なります。
何かの情報をもとにどこかに向かっているC.C.。
これが『復活のルルーシュ』へと続いていくのでしょうかね?

これは新作映画もチェックしたいですね。

 


時に、この三部作のサブタイトル。
『興道』『叛道』『皇道』
ですが、
それぞれ
行動の興り、起こす、行動の反動、
そして、皇→アルファベットのO→数字の0
→つまり『ゼロ』になる道。
それはすべてが無、争いがない平らか、平和になっていく道、
という意味合いが込められているのではないか?
と考えます。 

 


そんな『劇場版コードギアス』三部作の鑑賞感想でした。
次は『亡国のアキト』を見たいですね。ではでは~。